第一話 冒険のはじまり
時は縄文時代よりもはるか昔、そこには今の技術では考えられないほど高度な文化と、今でこそ迷信になっている『魔法』が存在した時代。その魔法を悪用し、地球を支配しようとする者たちがいた。
そいつらの名は、World Official Controler。通称『WOC』。特徴としては、侵略した土地の住民を洗脳して操って町を破壊したり、奇怪な儀式を行い異形の怪物に変化したりと、なんともおぞましい集団であるが、奴らには一つ変わった特徴がある。
それは、全員が女――生物学的にメス――なのである。
しかし、その魅惑の体とは裏腹にやることは傍若無人な奴らに見かねた神は、ウォックの怪人たちを封印するために十人の魔法使いを創り出した。
それぞれ全く違う属性を持つ十人の魔法使いたちは、各々の特長を活かしながら怪人たちを次々と封印していった。そのため怪人たちの地球支配化計画は、神の策略によって脆くも崩れ去ったのである。そして十人の魔法使いたちは、怪人たちをある島へ封印し、厳重な結界を張って島の地中深くに沈めたのである。
その後魔法使いたちは、自分たちが死んでも結界が破れないように自らの姿を動物に変え、姿を隠し、時を待った。
――私たちの意志を受け継いで、世界を守ってくれる人が現れるその時を――
☆ ☆ ☆
そうして時は流れ、二十一世紀。
『ある島』日本。
二十世紀後半の高度経済成長を機に社会経済は発展し、同時に科学も進歩した。今では携帯電話はすっかり普及し、人類の生活の一部になった。
そんな携帯をいじりながら、川沿いの道を歩いている少年が一人。手さげカバンに両腕を通し、背負うようにして持ち歩いている。もちろんそんな状態で携帯をいじっていては、周囲に注意が散漫になってしまい――。
ドンッ
すれ違った人とぶつかってしまった。
「いってっ!」
「馬場さんっ! 大丈夫ですか⁉」
「まずいっ! 右肩が脱臼した!」
「マジっスか⁉ 一大事じゃないっスか!」
少年は無視して通り過ぎる。
「お、ラッキー。今日は大吉出たぜ。うーんと、なになに? 『あなたには運命の出会いが待っているでしょう』? これは期待するべきか。うーむ……」
たまたまいじっていた携帯電話に入っているおみくじアプリの結果を、あれやこれやと考察している。
馬場という男のツレの二人が、少年の肩を掴んで振り向かせて怒鳴りつける。
「おいコラてめえっ! 馬場さんの肩が脱臼しちまったじゃねえか! どうしてくれんだ!」
「そうだそうだ! 慰謝料払えやコラあっ!」
もちろんこんな脅しは見え見えのハッタリである。だからこそなのか、そもそも気づいていないのか、少年が彼らと向き合うことはなかった。彼がまた無視して行こうとした時、
「よそ見してんじゃねーぞコラァ!」
馬場という男の右側にいた男が、少年に向かって後ろから右腕で殴りかかる。
少年はそのパンチを首を曲げてかわし、突き出た右腕の袖口を左手で、第一ボタンの空いた襟首を右手で掴み、流れるような姿勢で綺麗に背負い投げる。
「っああっ!」
アスファルトの地面に受け身もとらず背中から打ち付けたため、男はその痛みに悶える。
「この野郎っ! よくもカズを……!」
そう言いつつ、もう一人の男は右足で少年の横から蹴り払う。その足を少年は華麗にバク宙で足を飛び退け、空中でくるっと左に半回転すると、右足を引っ掛けて相手の頭を地面に叩きつけた。
「ぐああっっ!」
頭を打ったために軽い脳震盪になり、何かにすがるように腕を伸ばした後、男は力尽きて意識を失った。
「カズ! ヒデ!」
少年は、ほぼノールックで自分より図体のでかい男二人を倒したことがよほど嬉しかったのか、馬場の方に振り返ると右手の中指を突き立てて彼を煽動する。
「生意気な!調子に乗りやがって!」
右肩を痛がっていたはずの馬場が、腕を振りながら少年に向かって走り始めた。そして右手で顔を狙って殴りかかる。少年は呆れた様子でため息を吐くと、そのパンチを見事な足捌きで右に避け、先程と同じように背負い投げようとしたその時、
「あっ、危ない!」
とっさに叫んだのは、川のすぐ横に広がる砂地にできた野球場で、試合をしていたチームのピッチャーらしき子供だ。そしてなんという偶然だろうか、馬場の鼻頭にバッターボックスから放たれた打球がクリーンヒットした。
「ぶえっ!」
鳩が豆鉄砲を食らったような醜い声を出すと、馬場はその場に倒れ伏した。今度は痛いフリではない。
「ふん、なんだこの程度か。ま、ちょっといいことあったしこんくらいで勘弁しといてやるか」
と言い残し、少年はまた携帯をいじりながら、ゆっくりとその場を立ち去った。
「馬場……さん…………大丈夫……ですか?」
背中の痛みは引いたのだろうか、カズが馬場に駆け寄る。
「大丈夫だバカヤロウ!」
そう言うと、馬場はカズを右手で突き飛ばした。
「全くこの役立たず共がっ! ボロクソじゃねぇか!……しかし、俺達のことを意に介さずに負かすってこたぁ、あの通り名は伊達じゃないようだ」
そして馬場は、川沿いを照らす夕日に黄昏ながら、どこか物寂しそうに呟く。
「“瞬身のハヤテ”……か……」
◇
秋風が灼熱の地表を癒し、太陽が引きこもり始めた頃、紅葉ヶ丘高校にもようやく、赤と黄色のコントラストが鮮やかなデュエットを奏でていた。
風魔疾風はこの紅葉ヶ丘高校に通う二年生。
脚力にはかなりの自信があり、小学三年生の時には50m走で7秒を切っているが、成績やその他身体的特徴はこれといってない。
顔は比較的悪くない方だが、中学生の頃に幼馴染を不良から助けたのがきっかけで、よく不良に喧嘩を売られている。その度に鍛え上げられた脚力で相手の攻撃をかわしては反撃していたため、いつしか“瞬身のハヤテ”という通り名が風の噂に広まり、彼の身のこなしのよさを恐れられた。そのため、クラス及び学校中の様々な人たちから少し疎遠なのである。
疾風は今日も登校してきた。この高校の制服の特徴である濃い緑のブレザーのボタンをあけ、白いワイシャツの襟に結ばれている赤茶色のネクタイの結び目を緩め、自前のベルトで締めたグレーのズボンを下げて履いている。私立高校だからかローファーを履いているが、その黒いローファーはかかとを踏み潰している。
「待ちなさいよ疾風! この神出鬼没っ!」
後ろから少女の甲高い罵声が聞こえた。疾風は頭を掻きながら後ろに振り返り、
「うるっさいなぁ。朝からやかましいんだよ! このノロウイルスっ!」
と言い返す。
「何ですってぇ⁉ あたしは食中毒じゃないし、それにノロくなんかないもんっ! なんたってこのあたし、雷神香美菜様は長距離のプリンセスなんだからっ‼」
「それを言うなら俺は短距離のプリンスだぞ‼ それに、練習前に食べすぎで腹壊してトイレにこもって、電話で俺に『ハヤテ~、あたし死にそうだよ~』って言ってきたのはどこのどいつだよっっ‼」
「な……ハヤテだって、あたしが学校の支度を完了する前に家に来るときは、いつも玄関先で待ってくれてたのに、いざ準備ができるともういないじゃない‼ それをどう説明するわけ‼」
「あれはおまえが『五分で終わるから♪』とか言ってたのに、五分経っても来ないからノロいお前をおいてったんだよ‼ なんか間違ったこと言ったか‼」
「それを言うならあたしだって‼」
お互いに譲らず、ハヤテとカミナの口喧嘩は熾烈な争いを繰り広げた。
「いいわよもう! あんたなんか絶交よ‼ ああ清々するわ! こんなやつと一緒に登校しなくていいなんて‼」
「ああ、俺も清々しい気分だぜ‼ てめぇみてぇなババァを置き去りにしていいんだからな‼」
「「ふんっ‼」」
結局二人とも、反対の方向を向いたまま校舎に入っていった。
「まったく、あの二人は仲がいいんだか悪いんだか……」
そう言うのは、次期生徒会長候補の水野水簾である。彼とハヤテたちは共に陸上部で、ハヤテは短距離のプリンス、カミナが長距離のプリンセスであるのに対し、スイレンはハードルの貴公子と呼ばれており、紅葉ヶ丘のトリプル・ハリケーンとうたわれている。
「……とりあえず……僕の選挙の応援くらいしていってくれよおおおおおおっっ‼」
………………とんでもないほどの自己中心さであった。
◇
―――ほぼ同時刻。東京のとあるビルの裏路地にて―――
「ハァ……ハァ……ハァ…………」
一匹のシャム猫が、何かに駆られるように慌てて走っていた。
「ハァ…………一体……どこに……いるの……ハァ……ハァ……」
何故か人の言葉を話しているが、ビルの裏なのでそれを気にする人はいない。
「そちらはいましたか?」
別の方向から柴犬がやってきた。猫と同じく人の言葉を話している。
「あ、レイン! いいえ、あたしのほうはいなかったわよ」
走っていたそのシャム猫は、柴犬を見て止まるなり、その白く長い尾をなびかせながら答えた。
「そうですか……今しがた埼玉から来たんですが……」
「あたしも東京中探し回ったけど、見当もつかないわよ。そもそもそんな素質を持った人、本当にいるのかしら?」
「そんなこと言わないの! 『封印』が解けかかってるし、なによりその素質を持った人がいないと、地球が滅びてしまうかもしれないのよ!」
「分かってるわよ。そうね、もっと南のほうを探しましょう」
そう言って、犬と猫の二匹は南へと走り去っていった。
◇
―――同日 正午―――
今朝ハヤテに叩きのめされた馬場率いる三人は、鬱憤を晴らすため近くの繁華街を闊歩していた。おもむろに馬場はカズに尋ねる。
「おい、あいつはどうした?」
「あいつ、と言いますと?」
「風魔ハヤテのことに決まってんだろうがっ! 今日あいつの学校帰りを狙って叩くぞ‼ 今度はぜってえぶちのめしてやる……! わーったな⁉」
「「うっす‼」」
カズとヒデはそろって答えた。
(とは言ってみたものの、どうしたもんか作戦が全く思いつかん。何かいい手はねえだろうか……)
【私が力を貸そうか?】
ふと馬場の頭の中に、女の声が響く。
「だ、誰だ⁉」
【私が誰かはこの際どうでもいい。もう一度問おう。『力』が欲しいか?】
「…………ああ」
【ではおぬしの体、しばらく借りるぞ】
途端に馬場の体が脈を打つ。心臓の鼓動が早くなり、全体的に熱を帯びてくる。
すると、馬場の胸がせり出してきた。男らしい立派な筋肉ではなく、女性らしい豊かな胸になる。髪の毛もうねうねと伸びていく。顔も女性のそれになり、輪郭が小さくなっていく。上背の高い大男だったが、だいぶ小さな女の子になった。変化はまだ止まらない。履いていたズボンはどんどん短くなり、左右がまとまりブリーツスカートに変化する。足は靴下が構成され、膝下まで伸びていき白く染まる。靴も、ぼろぼろのスニーカーから茶色い艶のあるローファーに変化した。そして上着は、小さくなった体に纏わりつき、首の回りに逆三角の大きな襟を生じる。馬場は一瞬にして、不良の大男から小柄なセーラー服の少女に変化した。
「あ、兄貴……」
カズとヒデは、変わってしまった馬場の姿を呆然と見つめる。
「あら、おぬしには子分がいたんだったな。よし、私にも子分が欲しいと思っていたところだ。早速使わせてもらうとしよう」
そう言うと馬場、いや馬場だった少女は口から大量の触手らしき物を出し、カズとヒデを襲う。触手はそれぞれの口の中に入り込み、二人を苦しめる。
しばらくして触手を抜くと、二人の姿が変化していき、馬場と同じセーラー服の少女になった。だが、その目に生気はなく、虚空を見つめている。
「さあ二人とも、いくぞ!」
「「…………はい」」
三人の不良、いや三人のセーラー服の少女はハヤテのいる紅葉ヶ丘高校へ向かっていった。
◇
―――同日 午後四時―――
「あぁ、やっと終わったぁ」
昇降口からうーんと背伸びして、一人の女の子が出てくる。カミナだ。
「さぁて、あんな神出鬼没野郎もほっといて、先に帰ろうっと。あぁあ、今日もラントレきついだろうなぁ」
口では不安そうにしてるが、実際は鼻歌交じりにスキップしている。道路を挟んで反対にあるグラウンドへ向かう途中、校門のあたりから怪しげな視線が送られていることに気づいた。近寄ってみると、そこに居たのは見たことのない制服を着た三人の女の子だった。どこの学校の子かはわからないが、少なくとも自分の知っている学校ではない。
三人のリーダーであろう女の子が、カミナに話しかけた。
「あ……あの……ちょっとお聞きしたいことがあるんですけど…………」
「な……何かな?」
向こうがもじもじしていたので、カミナも少し焦ってしまう。
「ふ……ふふふ……ふ、風魔ハヤテ先輩を……知ってますか……?」
一瞬、相手が少し笑ったとカミナは錯覚する。しかし気のせいだろうと思い、無視した。
「知ってるけど、それが何? あいつとどういう関係なの?」
(やだぁ、何この子達。あいつの後輩? うーん、高校までハヤテとずっと一緒にきたけど今までそんな子見なかったし、第一……)
と、そこまで考えたとき、不意にその少女の口調が変わった。
「いやぁなに、当てずっぽうで聞こうと思っていたのだが、まさか幼馴染に最初に会えるとはな。おぬしもなかなか運がいい」
(何なの? 急に喋り方変わるし、どうしてハヤテと幼馴染だってバレたの? まさか、心を読まれた?)
混乱しているカミナをよそに、少女は続ける。
「正解だよ。おぬしの心は私に筒抜けさ。だが知られたからには…………ただじゃおかないよ‼」
カミナはとっさに叫ぼうとするも、女の子にすばやく懐に入られ、叫ぶ前に口を塞がれてしまった。だが、その感触は何故かおかしい。
(何これ? 腕にしてはやけに太いし長い。それに何よこの突起。まるで…………蛸……の……よ……うな…………)
ガクッ
辺りには甘いにおいが充満し、その匂いにつられてカミナは眠ってしまう。だが他の下校している生徒らは、その匂いに気づくことはなかった。それどころか、三人の見知らぬ女の子が来ていることも、カミナが居ないことにも気づいてない。
「ふふふ…………よし、後は…………」
少女は、腕から生えた巨大な蛸足をカミナの身体に巻きつけたまま、彼女が行こうとしていたグラウンドに向かった。
◇
―――それから一時間後―――
「ふあぁ、寝過ごしたぁ。部活に完全遅刻だよこれじゃあ……サボるか」
教室で寝過ごしてしまったハヤテ。部活をサボるために帰ろうとしたとき、
「な……何だあれ?」
ハヤテが見た方角には、蛸足のようなものがうねうねと動いている。
しかもそのうちの一本は何かに巻きついていて、よく見るとそれは――――
「カミナぁぁぁぁぁぁぁ‼」
ハヤテはカミナの名を叫びながら、グラウンドへ駆ける。するとそこで待っていたのはセーラー服の少女だった。少女は右手の甲を左頬に添えて嘲るように言った。
「ふっふっふ。ようやく来たな、風魔ハヤテ!」
「お、お前は何者だ! 何故こんなことをした!」
「私はおぬしに直接の恨みはないが、この“カラダ”が恨みがあるそうなのでな。試しに来てみればおぬしはいなかったが、代わりにおぬしの幼馴染という子を見つけたのでな。おぬしを呼び出すための囮にさせてもらった。なに殺しちゃいない。ただ少しの間眠ってもらうだけだ。その少しが永遠にならなければいいがな」
「カミナを返せ‼」
「私は別に構わないが、どうしてもというのなら…………力ずくで奪い返してみろ‼」
そう言うや否や、少女は右の袖から蛸足を出すと、カミナを持っていないその足でハヤテめがけて連続で間髪入れずに攻撃を繰り出す。ハヤテは、ジャンプを繰り返しては避けていたが、次第に避けきれなくなり、ついには足が当たってバランスを崩した。その隙を狙って蛸足がさらに何度も振り下ろされる。
ドスドスドスッ
「ぐあああああぁぁぁ‼」
「…………ううんっ……」
叩かれた衝撃はすさまじく、地面をそこだけへこませるほどの衝撃だった。あまりの威力にハヤテの身体は血が滴り、腕や足の骨の一部を何本か折っていた。だがそんな時、攻撃した時の衝撃でカミナが目を覚ました。
「ここは…………⁉ ハヤテ⁉ ハヤテぇぇ‼」
「うぐぐ……そ、その声はカミナか⁉ カミナ! 大丈夫か⁉」
「あたしのことはいいから……はやく……こいつを………あぐっ!」
カミナが言いかけたところで、少女は蛸足による拘束をさらにきつくする。
「さっきの攻撃で目覚めちまったかい。まあいいか。どうやらおぬし、もう立ち上がるのがやっとのようだな。そろそろとどめをさすとしよう」
「や……やめて……げほっ……ハヤテが…………死ん……じゃう……」
カミナの顔が少しずつ赤くなり、表情が苦しそうになる。
「これでおしまいだ! 死ね! 風魔ハヤテ‼」
「いやああああああああああああああああああっっっ‼」
(くそっ、これまでか……俺の人生、正直悪くなかったなぁ……)
「ちょっと待ったぁぁぁぁぁぁぁ‼」
「がふっ⁉」
突如現れた猫が少女の顔を横から、その小さく可愛らしい前足で思いっきり殴った。すると、なぜか少女はものすごく吹っ飛び、野球などで使われる壁に激突。そして倒れてきた壁の下敷きになった。
「ふーう、危なかったぁ。あたしが遅れてたらどうなってたことか……」
少女を殴り飛ばした猫は、ため息をついている。
そこにハヤテがやってくる。だが、その表情は安堵ではなく怒りに満ちていた。
「おい、くそねこ‼」
「なによ。あたしはくそじゃないわよ‼ あんた何様のつ――むぐっ⁉」
「助けてくれたことには感謝している。けどな……何でカミナごと吹っ飛ばすんだよ‼ 死んだらどうしてくれんだよ‼」
ハヤテは猫の顔を握りながら怒鳴りつけた。
「思い返せば確かに……あああっっ‼」
と言って、猫は慌てて吹っ飛ばした少女のほうへ行った。
だが奇跡的にもカミナは生きていた。たぶん蛸足がクッションになったからだろう。ハヤテは生きているのを確認すると、急いでおぼつく手足でカミナを救い出した。
「ハヤテ‼ ありがとう‼ 朝はごめんね。もう気にしてないから……」
「……ああ、俺もだ。悪かった、言い過ぎて」
「いやいいわよ……とりあえずここから逃げよう」
「オッケー」
「お……おのれぇ……おぬしたち……許さぬ……許さぬぞ……‼」
突然、倒れていたはずの少女が粉々になった壁を吹き飛ばし、そこに立っていた。
「ううう……うううあああああああああぁぁぁぁぁぁっっっ!!」
ものすごい奇声を上げて空に絶叫した少女の体は、ゆっくりと波打ちながらどんどん変わっていく。
まず肌が全体的に赤く染まり、どんどんその色が濃くなる。筋肉が隆起し、着ていたセーラー服が破ける。するとその筋肉から新たに六本の蛸足が生えてきて、八本になり、正真正銘の蛸怪人になる。そして、背丈が2m近くまで伸び、ショートカット髪が伸びて紫に染まる。この時点で手足がない半蛸半人だったが、八本足の上に真っ赤な色の女性らしい腕が生えてきて、同じく八本足の下から、スレンダーな足が生え、最後に胴の中心に女性らしい乳房ができた。
その姿はまるで全身真っ赤な女性が本物の蛸をスカートにしているような感じだ。
「あの姿は危険よ‼ ……ハヤテ君だっけ? あなたに力を貸して欲しいの」
「え、俺? ……ていうかなぜ俺が猫にあーだこーだ指示されないといけないんだ‼」
「あなたの力を見込んで言ってるの! 時間が無いわ! とにかくこれを受け取って‼」
猫が一度後ろ足で立って前足で空を裂くような挙動をとると、その空間が光り輝き、光の中からなんと杖が出てきた。
「何だこの杖は……何の変哲も無いただの木製の杖じゃねえか。これでどうやって戦えってんだ?」
「今から教えるわよ。それは――――」
「あの杖はまさか……まずい!!」
蛸の女怪人――クラーケンウーマンは、杖を見るなりハヤテたちに向かって突進してきた。
「おい、言うとおりにやればできるんだな」
「そうよ、あたしにできるのはここまで。後はあなたの力でどうにかしなさい」
ハヤテは、右手に持っていた杖を左手に持ち変える。次に両腕を開き、右の甲を自分の方に向ける。するとその甲に薄緑色の魔方陣が浮かんできた。
そして目の前で両腕をあわせ、杖に魔方陣を近づけ、魔力を注ぎ込む。
最後にもう一度杖を持ち替えて、空に掲げて叫ぶ!
「ソーサリー・エボリューション‼」
そう言うと、杖の先から細く淡い薄緑の光が空を駆け上がり、天を刺す。すると、その場所から竜巻が舞い降りてハヤテの身体を包み込んだ。
その竜巻の中で、ハヤテの身体が変化する。
まず、顕著だがそれなりにしっかりしていた身体は、さらに顕著になり、肩幅も縮んでいく。胸は膨らみ、豊満で大きな乳房が形成される。腰周りも細くなり、くびれが形成される。逆に尻と太ももが太くなり、肉付きがよくなっていく。また足は内股になり、すらりとした足になっていく。そして顔は小顔になり、輪郭は丸みを帯びる。さらに、短かった髪は伸び、薄い緑色に染まり、腰の辺りで止まる。肌もきめ細かくなって、眉毛も細く、目も大きくなっていく。
変化はまだ止まらない。
服は制服から薄い緑色のレオタードに変化し、身体のラインを強調する。その腰の辺りからは薄緑色のスカートが伸びていき、まるでバレリーナのチュチュを思わせる形を作る。下半身は白いストッキング包まれ、さらに白いブーツがその足を包み込み、かかとをぐいっと持ち上げる。白昼にさらされた肩を覆うように、白い羽衣のようなものがかかる。両手は白い手袋に包まれ、胸元に大きな薄緑のリボンが結ばれ、その中央には大きな翡翠が輝いていた。
そう、ハヤテは一端の高校生からちょっと変わったバレリーナ風の女の子になったのである。
そして竜巻は止み、変身が完了する。そして開口一番に口上を言う。
「吹き荒れる一陣の風、ガストレディ!!」
言いながらハヤテ、いやガストレディは顔を赤く染め恥ずかしがっていた。
なぜならこの口上も、変身するときの動作も、そのときの呪文も、全て前もって通りすがりの奇妙な猫に言われたことを、そっくりそのまま行ったのである。それだけでも恥ずかしいのに、すっかり女の子になってしまった身体に、このような露出度の高い格好をさせられたことを、彼のプライドが許そうとはしなかった。
「あなたは……一体……誰……なの……?」
カミナが少し引き気味に言った。それはそうだろう。なにせさっきまで喧嘩していたとはいえ、幼馴染の、しかも男子がいきなり目の前で女の子になって動揺しないわけが無い。
(ひどいなぁ、俺は風魔ハヤテだぜ)
「ひどいわねぇ、あたしは風魔ハヤテよ」
心と口では全く同じことを言っているが、女の子特有の高い声と、女言葉で流暢にしゃべるハヤテを見て、カミナの不安はさらに駆り立てられる。
(あれ、なんでこんなしゃべり方になってるんだ?)
「あれ、なんでこんな話し方になってるのよ?」
今更気づいても遅かった。なぜならその時―――
「死ね‼ 風魔ハヤテ‼」
すぐ目の前までクラーケンウーマンが迫ってきていたからだ。
(やばい、逃げ切れるのか……?)
背に腹は変えられないので、ハヤテはとっさに走ろうとした。
どひゅっ
「な……何⁉ 何が起こったの!?」
そう言ったのは他でもないハヤテ……ガストレディ本人だった。
見ると、少し真横に避けたつもりだったが、実際は20mほど離れている。変身して脚力が上がったのだろう。自分の足に少し自信を持ったガストレディだった。
「おのれ……ならば、これならどうだ‼」
今度はスカート状になっている蛸足を伸ばして攻撃してきた。だが、一度慣れるともう使いこなすほど、ハヤテの運動センスにはすばらしいものがあった。あの脚力を応用し、相手の背後を取っては追撃をかわし、また背後に回ってはかわしと防戦一方ではあるが、確実にチャンスをうかがっていた。
いつしかクラーケンウーマンの蛸足は身体に絡まり身動きがとれずに居た。
「ハヤテ‼ 今よ‼」
猫が叫ぶ。
(分かったぜ!)
「分かったわ!」
そう言うと、ガストレディは杖をくるくる回した。するとその円周に沿うように魔方陣が浮かび上がった。そして魔法陣に杖の先を向け、魔法を唱える!
「ウィン‼」
すると、クラーケンウーマンに向かって小さな竜巻が飛んでいく。途中で落ち葉を巻き込みながらどんどん回転速度を上げていき、それはいつしか木枯らしに変貌し、クラーケンウーマンを襲い掛かっていた。
その木の葉が彼女の身体をずたずたに切り刻んだ。
「ぎゃあああああぁぁぁぁ‼」
クラーケンウーマンは八つ全ての蛸足を綺麗に切られ、力なくその場に跪く。
と同時に、相手の身体の表面が少しずつ灰燼と化し、徐々に元の少女の姿に戻っていく。
「おのれぇぇ‼ だが、これで我々に勝った気でいるならとんだ茶番だな。私のほかにも仲間はまだたくさんいる。せいぜい束の間の平和を楽しむことだな」
と捨て台詞を残して、完全に元のセーラー服の少女になった彼女の身体からは、クラーケンウーマンの人格を感じられなくなった。
その様子を見ていたガストレディ……ハヤテも元の男子高校生の姿に戻る。
「ふう、これで一安心だわ。さて、後継者も見つかったことだし私はここらでおいとまさせてもらいましょうか」
安堵の溜息を漏らす猫の後ろで、ニタァと悪魔の笑みを浮かべるものが一人。
「おい、くそ猫」
声も口調も男に戻ったハヤテは、開口一番猫に向かって話しかけつつ歩み寄る。
「……ちゃんと一から説明してくれるんだろうなぁ……」
指をパキポキ鳴らしながら近寄ってくる悪魔は、猫の頭部にそれはそれは爪痕が残る仕打ちを施したそうな……。