06 酒粕パック
洗顔を終えた芙蓉の顔は、思っていた以上に酷く荒れていた。
寝不足と疲労のためか、隈も浮いている。
これでは普段の化粧が厚くなっていたのも道理だ。
本当はきちんと休むのが一番の対処法だが、花酔楼で一番の売れっ子にはそれも無理だろう。
「そこ、寝る」
そう言って私が指差したのは、部屋の奥にある寝台だった。
寝台とはいっても、それは現代のようなスプリングの効いたものではない。見事な彫刻の入った木組みの上、に幾重にも布の敷かれたやたら硬そうな代物だ。
「あははは! やけに色気のない誘い文句だねぇ」
スッピンの芙蓉が甲高く笑う。まるでアニメに出てくる悪役のようだ。
(なに勘違いしてるんだか)
冗談だと分かっていても、こちらが真剣な分カチンときた。私は真剣に芙蓉の要求に応えようとしているのに、言葉が拙くてそれが伝わらないのが悔しい。
そんな時、余暉がぽんと私の肩に手を置いた。
「姐さん。小鈴は真面目な子です。あまりからかわないでやってください」
余暉の真剣な物言いに、芙蓉は黙り込んだ。
「なにさ、ちょっとからかっただけじゃないのサ。寝ればいいんだろ、寝れば!」
そう言って、芙蓉は潔く寝台の上に横になる。
私は余暉にぺこりと頭を下げ、重い荷物を持って寝台の近くに移動した。
陣取ったのは、ちょうど芙蓉の頭の上あたり。
私からは、芙蓉の瓜実顔がちょうど逆に見える。
「目、とじる」
そう言うと、芙蓉は大人しく従った。
私の相手をすることに、少し疲れ始めているのかもしれない。
(大人しくなってくれるのは、好都合だけど)
手元では用意した材料を、小鉢でだまができないように混ぜ合わせていた。
「なンだい? なんだかいい匂いだね」
これがいい匂いだということは、芙蓉はそうとうだと思う。
「これ……酒、しぼった……あまり?」
「酒粕のことか?」
『酒粕』という単語が分からなかったので、知っている単語を繋ぎ合わせてみた。するとすぐ傍で、余暉が補足してくれる。
彼はよく会話の練習に付き合ってくれているので、私の言いたいことがなんとなく分かるのだろう。
そして、私が用意した品というのは酒粕だった。それも紹興酒ではなく、ちゃんと米からできた酒の搾りかすだ。味は日本酒よりも甘い。
酒粕の方はどうも料理に用いるようで、厨房から拝借してきた。客に出す料理は専門の料理人が通いで作りにくるのだが、朝ごはんや簡単な調理は私の仕事だ。だから食材の中から、いつもくせで美容に使えそうなものを探していた。
「みず、まぜて……しぼる」
そう言いながら、私は混ぜていたものを布で絞った。本当は一晩おいておいた方がいいのだが、今は時間がないのだから仕方ない。
材料は、酒粕と雨水と油を少々。油は見た目だけでは何の油かまでは分からないが、やけにどろっとしてるのでカスターオイルかもしれない。カスターオイルならシミやそばかすにも効果的だ。
それらを混ぜ合わせたものを、芙蓉の顔の上にのせてゆっくりと伸ばしていく。白くぽってりとしたそれは、私の手でゆるゆると広がっていった。
「冷たいわね」
「しゃべらない」
私が言うと、なぜか芙蓉は大人しくなった。もう抵抗しても無駄だと思っているのかもしれない。
余暉も何も言わなかったので、部屋は静まり返ってしまった。
遠くで少女達の練習する楽の音が、かすかに聞こえる。
私と芙蓉の体温で緩くなった酒粕パックは、やがてその白い顔に行き渡った。芙蓉のリンパを刺激しつつ、老廃物も流す。
フェイスマッサージは姉にも施していたので、私の得意技の一つでもあるのだ。
もう十分かと思う頃にマッサージを止め、あとはしばらく待つように言った。パックはしばらくすれば乾いて、ぽろぽろと落ち始めるはずだ。
ふと気づくと、余暉が驚いたような顔で私を見ていた。
(あれ、もしかしてやり過ぎた? よかれと思ってやったけど、確かに子供がやるようなことじゃないよね……余暉は私のこと男の子だと思ってるんだし)
むくむくと湧いてきた後悔を無視して、私は持ち出してきた道具の後片付けを始めた。まずはたらいで手をゆすぎ、持ってきた道具や材料を片付ける。
それらをまとめて持ち上げようとしたら、見かねた余暉に横から掻っ攫われた。
「これは俺が片付けておくから、小鈴は芙蓉を見ていてやるといい。……頑張ったな」
そう言って、余暉は優しく笑って去って行った。
「ありがとう!」
どぎまぎしつつ、私はその背中に投げかける。彼の柔らかな笑みに、ほっと肩の力が抜けた。
しばらく部屋の中で待っていると、徐々に酒粕パックが乾いてきた。しかし今度は驚いたことに、芙蓉が眠っている。
(どうりで、やけに静かだと思った)
芙蓉を起こさないように、そっと絞った布で彼女の顔を拭う。布を絞って拭うを何度か繰り返すと、本来の白くもちもちとした肌が現れた。どうやらパックの効果は十分にあったようだ。
私は乾いた布でもう一度彼女の顔や首回りを拭うと、今度は小鉢に残っていた酒粕の絞汁を、布に含ませてぽんぽんと叩いた。
そう、なんとこの絞汁、化粧水として有効なのだ。
すっぴんで無防備に眠る芙蓉は、なんだか妙に幼かった。その体の上にそっと布団をかける。
本来の芙蓉の要望は叶えていないが、仕方ない。
私は近くを通りかかった見習いの少女に後を頼み、残した仕事を片付けるため芙蓉の部屋を後にした。
作中に書いたパックはなんとなくの知識で書いたものですので
真似する際は専門の資料を参考にしてください