42 凶手
抱き合う男の脇から手を伸ばし、そっと剣の柄を抜いた。
闇の中にきらりと光るそれは、思ったとおり刃先を潰していない実用的なものだ。
(このまま……せめて剣だけでも奪えればっ)
音を立てないように、ゆるゆると鞘から剣を抜いていく。
しかしあと少しと言うところで、連れの男がそれに気づいた。
「女! 何をしている!?」
慌てて剣を引き抜き、飛びずさる。
今まで抱き合っていた男はぽかんとした顔をしていたが、状況を理解するとその顔が怒りに染まった。
「何をする! 返せ!」
大男に詰め寄られ、震える足を叱咤する。
しかし剣は思った以上に重く、走ったとしてもすぐに捕まってしまうだろう。
(ええい、一か八か!)
私は覚悟を決め、演目が終わって空いたばかりの舞台に飛び出した。
鋭い剣の登場に、観衆がどよめく。
(黒曜、気付いて!)
私は剣技を装ってふらりと揺れながら、座る黒曜に視線を送った。
深潭の率いる部隊を引き入れるには、彼の合図が必要なのだ。
黒曜は驚きに目を見張っていた。
そしてその隣の皇太后は、涼しい顔で観劇続けている。
「待てこらあ!」
男が私を追って舞台に上がった。
二人とも舞台衣装なので、無関係な観客は演目と信じて疑わないようだ。
私は両手で剣を支えながら、その刃先を男に向けた。
男は素手だ。いくら力の差があるとはいえ、剣相手に襲い掛かってくるとは思えない。
しばらく、私達の睨み合いは続いた。
しかし彼の背後から現れたもう一人の男が、今度は観客に向かって剣を抜く。
「ええい、こうなれば俺一人で!」
そう言って彼は舞台を降りると、黒曜に向かって駆けていった。
さっと血の気が引く。
慌てて後を追おうとするが、重い剣を持ったままでは到底間に合わない。
最悪の展開を想像して、目をつぶりそうになったその瞬間。
男の前に、しなやかな影が飛び込んでくる。
余暉だ。
彼は黒子のような衣装を纏い、長い針のようなものを男に投げた。
篝火が照らす中で、男が呻きながら倒れる。
刺さっていたのは、しゃらりと飾りのついた簪だった。
城に武器を持ち込むことはできないから、余暉は商売道具を武器にしたのだろう。
少し遅れて、観客から悲鳴が上がる。
どうやら演技ではなさそうだと、悲鳴と戸惑いが人々に伝播していく。
しかしそちらに気を取られている間に、対峙していた男がすぐ側まで来ていた。
慌てて飛びずさろうとするが、一瞬遅く長い袖を掴まれる。
私は慌てて剣で掴まれていた袖を切り裂いた。
しかしその一瞬の間に、今度は手首を掴まれてしまう。
「小娘よくも!」
男は軽々と剣を持ち上げ、振りかぶった。
男の力は強く、とても逃げられそうにない。
もう逃げられないと、私は目をつむった。
せめてもこの隙に、黒曜が逃げ出してくれればいい。
そうひたすらに願った。
振り下ろされるまでの一瞬が、やけに長く感じられる。
(これが走馬灯ってやつなのかな?)
まぶたの裏に、黒曜と出会った時のことが思い出された。
初めは、恐い相手だと思った。
でもすぐに、彼が恐いだけの相手じゃないのだと知った。
(黒曜……せめて最後に、好きだと言いたかった)
皇帝にそんなこと言えるはずもないのに、私はそんなことを考えた。
さっき男に抱きしめられた時、はっきりと分かった。
他の男では気持ち悪いと感じる行為でも、相手が黒曜ならばそんなことはないのだ。
尚紅で抱き寄せられたあの時、頬が熱くなって、心臓が飛び出しそうに脈打った。
もう誤魔化しようがない。私はいつの間にか、黒曜という人を好きになっていたのだ。
走馬灯にしても長すぎる時間が過ぎたが、いつまでたっても衝撃も痛みもやってこなかった。
いくらなんでもおかしいと思い、恐る恐る目を開ける。すると大男が白目をむいて倒れていた。
「え!?」
驚いて辺りを見回せば、すぐ側に息を切らした黒曜が立っていた。
人々のざわめきと、大勢の足音。馬の嘶き。
黒曜の後ろでは女達が悲鳴を上げて逃げていき、宦官たちは震えながら座りこんでいた。
どうやら深潭の軍隊が着たらしい。
黒曜の合図が間に合ったのだ。
「良かった……」
安堵の溜息が漏れる。
しかし黒曜は厳しい表情で私に歩み寄ると、男に掴まれた腕を強引に掴んだ。
「なにを―――」
「無茶をするな!」
怒鳴られ、そして抱き寄せられる。
パニックになりながらも、その手を振りほどこうとは思わなかった。
その体温は余りにも心地よくて、ひどく安心できたから。
何がどうなってるかも分からないまま、私は結局その安らぎに身を任せてしまった。




