04 ピンクの花びら
本日三回目の更新
余暉のお陰で、私は妓女としてではなく下働きの少年として花酔楼にお世話になる事になった。
しかし、その生活は決して甘い物ではなかった。
朝は陽が昇る前に起きだし、水を汲んで湯を沸かす。
そして妓女達のために朝餉を準備し、それが片付けまで済むと今度は大量の洗濯物が待っている。
妓女達の洗濯物はとにかく量が多く、しかも高価な品が多いので破かないように慎重に洗わねばならない。
大きなたらいでごしごしと晴れ着を洗っていると、スイッチ一つで済む全自動洗濯機が恋しくて堪らなかった。
(ずっと蘭花にこき使われてきたんだから、雑用ぐらいやってみせるわよ)
初めはそんな風に甘く構えてたりもしていたのだが、お養母さんは完全に姉の上をいっていた。
一年間花酔楼に暮らして、分かったことがある。
それは、ここが榮という国の王都であること。王都は広大で、ここのように壁に取り囲まれた町が、無数にあるのだということ。
中でもこの町は皇帝のいる宮殿からほど近い場所に位置し、位の高い官吏もやってくる格式高い艶街なのだそうだ。
ある日、酔ったお養母さんがそう管を巻いていた。
かつては―――皇帝の酒宴に侍ったこともあるのだと。
(ホントかよ……)
今は白髪でしわくしゃの老婆であるお養母さんも、若い頃は名の知れた妓女だったらしい。
特に舞が素晴らしく、それが評判となり花酔楼を皇帝が訪れたとか訪れていないとか。
正直、お養母さんは酔うといつもこの話をするので、私は話三分の一ぐらいで聞いている。
しかしそれは流石に嘘だとしても、花酔楼は妓館の中でも特に大きいのだそうだ。これは余暉が教えてくれたのだから間違いない。
普通の妓館には妓女が二三人しかいないそうだが、花酔楼には十人以上の妓女がいて、常に妍を競っている。
(お陰様で、私の仕事も大忙し)
いつも夜遅くに狭い寝床に入れば、ふと気づくと朝になっている。
そしてまた、慌ただしい一日を繰り返す。
無心になって洗濯をしているつもりだったのに、喉の奥に込み上げてくるものがあった。
(やっと、自由になれたと思ったのに)
そう思うと、思わず目頭が熱くなった。
***
お養母さんは妓女を仕込むため、近所から売られてきた女の子達に歌や楽器を教える。
その教え方は容赦がなく、いつも中庭の茂みでは、誰かしら小さな少女が泣いていた。
少年だと間違われているおかげでその苦行から逃れている私は、いつも彼女達がいたたまれなかった。
家を恋しがって泣く、小さな少女達。
でも、今の私では彼女達にお菓子を買ってあげることもできないのだ。
花酔楼の人間はみな、隠れて泣く彼女達を当たり前の物のように受け入れている。
私はついに我慢できなくなって、彼女達の内の一人に声を掛けた。
「ねえ……」
「なあに、小鈴」
小さな手で涙を拭った少女の目には、しっとりと涙の膜が張っていた。
「お、おれが……きれい、してやるから……泣くな」
まだこちらの言葉に慣れていないので、カタコトなのは許してほしい。
(筆談の方が意思疎通がうまくいくんだけど、この子は文字分からないだろうし……)
私のぶっきらぼうな物言いに、少女は驚いたような顔をした。
怯えさせてしまっただろうかと心配になったが、彼女はぱっと花が咲いたように笑った。
「なにそれ。変なしゃべりかたぁ~!」
少女の甘い舌たらずな言葉に、私はほっと安堵の息を零した。
彼女にちょっと待っていてと言い置いて、私は物置同然の寝床へ走る。そしてそこに隠しておいたコスメセットの中から、新品同様の化粧筆と一色だけパレットを取り出した。
色は、ラメの入った綺麗なピンクだ。
それを服の袂に入れ、少女の元に戻る。
少女は私が焦って戻ってくると、今度は照れくさそうな顔をする。
「小鈴、焦っちゃって変なの~」
そう言う彼女の顔を、戻る途中に濡らした布で優しく拭う。目につく汚れを払い、ついでに涙で熱くなった目尻を冷やすためだ。
「これ、のせてろ」
心地いいのか、彼女は私の言うがままに顔を上にあげ、布を目の上に乗せていた。
その隙に、私は化粧筆にさっきのピンク色のチークを取り、ミルク色の彼女の頬をのせていく。
「くすぐったいよぅ」
少女はもじもじと足をすり合わせた。
笑いを我慢しているようなその様子からは、先ほどまでの悲壮な空気が抜け落ちていた。
「もう、いいよ」
化粧筆とチークのパレットをしっかり仕舞い込み、彼女の目元から濡れた布を外す。
彼女を疑う訳ではないが、化粧道具を持っていることは、誰にも知られたくなかった。
折角運よく、妓楼に入る時にお養母さんにとられずに済んだのだから。
「何したの? 小鈴」
「姐さん、かがみ……見る」
「分かった! 姐さんのところに行って、鏡を見せてもらえばいいのね!?」
少女ははしゃぎながら、転がるように建物の中に入って行った。
鏡を見た彼女が喜んでくれればいいと思いつつ、私はお養母さんの言いつけを済ますため、彼女とは逆の方向に歩き始めた。