表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
39/43

39 翠月

「鈴音。顔を上げてくれ」


 黒曜の声には、悲痛な響きが宿っていた。

 しかし私の立場では、許しがなければ直接言葉を交わすこともできない。


「鈴音、頼む」


「……っ」


 黒曜の声は、まるで頼りない子供のようだった。

 どうしてそんな風に思ったのだろう。

 黒曜は立派な大人で、この国を統べる皇帝陛下だというのに。


「陛下。ここは人目につきます。とにかく中へ」


 深潭の押し殺した声が聞こえた。

 その刹那、伏せていた腕を取られ体が持ち上がる。

 黒曜の手が、しっかりと私の腕を握りしめていた。驚きに声も出ない。

 改めて見た黒曜はやはり、神々しいばかりの天子様だった。


「乱暴はよせ!」


 余暉が、黒曜の手を払う。

 私は慌てた。


「余暉! 私平気! ……お許すください。陛下」


 私が余暉を庇うように立ち上がると、何か言いかけた黒曜が苦い顔をして顔を逸らした。

 重い沈黙が場を支配する。

 結局深潭に促され、私たちは両儀殿の中に移動することになった。朝議が終わった後なのか、中は閑散としている。

 背中に、兵士たちの視線が突き刺さった。

 その視線から逃げるように、私たちは近くの房に飛び込んだ。


「これはどういうことだ」


 房に入った途端、黒曜は私に詰め寄ってきた。


(それはこっちのセリフだよ!)


 私は泣きたくなりながら、叩頭のために膝をついた

 皇帝の顔を直接見ることなど、私のような者に許されるはずがない。


「やめよ!」


 しかし床に額づくよりも早く、黒曜の悲痛な声が落ちてくる。

 私は戸惑い、深潭を見上げた。

 彼は長い溜息をつき、私に直答を許した。

 早く皇太后の企みを伝えなければと思うのに、黒曜の顔を見ると言葉が出ない。

 彼はとても傷ついた顔をしていた。おそらく私も、同じような顔をしていることだろう。

 騙されたのは私の方なのに、まるで彼の方が傷ついているみたいだった。

 黒曜の優れない表情を見ていると、胸が痛んで身動きすらも取れなくなる。


「鈴音。その服を着ているということは火急の用だな。何があった」


 深潭に促され、ようやく金縛りが解けた。

 彼の冷静さに、おそらくその場の誰もが救われていた。


「はい。今夜、後宮の祝宴で、招かれた雑技団に凶手あると、聞きました」


「ほう。それは皇太后の手引きで間違いないか?」


「雨露内侍監の手引き、よるもの、です」


「明確な証拠はあるのか?」


 深潭の鋭い追及に、言葉に詰まる。

 証拠と言われれば、困ってしまう。私は春麗の言葉しか聞いていないのだから。


「証拠……ないです。皇太后の侍女、聞きました。私の命、助けてくれた。陛下に知らせろと」


 深潭は考え込むような顔をした。


「ふむ―――難しいな。それだけでは、皇太后に突き付けても適当に言い逃れられてしまうだろう」


「そんな」


「皇太后は狡猾だ。悔しいが、その証言だけでは皇太后を牢につなぐのは難しい」

 

 なにか証拠になりそうなものはあるだろうか。

 必死に考えるが、何も思い当たるものがない。


「一体どうしたら……」


 途方にくれていると、今まで黙り込んでいた黒曜が口を開いた。


「―――そいつはその雑技団の者なのか?」


 黒曜が余暉を威圧する。

 どうも、この二人は相性が良くないらしい。

 私は慌てて、黒曜から余暉を隠すように二人の間に割り込んだ。


「この人、違う! 私の知り合い、です。雑技団だけど、凶手違うです!」


「確かに凶手ではないが、俺はあんたにだって従わない。皇帝陛下」


 刃向うような余暉の言葉に、私は心臓が止まりそうになった。

 どうして余暉は黒曜に喧嘩を売るようなことばかりするのだろう。

 今日、初めて出会ったはずの二人なのに。


「なんだと?」


「余暉!」


 私は慌てて謝罪をするようにと、余暉に飛びついた。

 皇帝に歯向かえば、最悪処刑されてしまうかもしれない。

 しかしそんな私に構わず、二人は睨み合いを続ける。

 頭上で行われる静かな争いに終止符を打ったのは、深潭の意外な言葉だった。


「お前はまさか……翠月なのか? 断絶された、華家の」


 深潭が、呻くように言った。

 三人の視線が、彼に集まる。

 深潭の顔からは珍しく眉間の皺が消え、その目は驚きに見開かれていた。

 一人だけ話に取り残され、私は急に遠くなってしまった余暉の横顔をじっと見つめていた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ