37 再会
陽が、ゆるゆると空にのぼっていく。
最近はぐずついた天気が続いていたのに、今日はまるで皮肉のような快晴だった。
もし雨が降れば、外で行う舞台は中止になったかもしれないのに。
苛立ちと焦燥がないまぜになる。
時折見回りの兵士とすれ違うが、彼らは宦官姿の私を気にも留めない。
後宮にほど近い場所なので、珍しくもないと思っているのだろう。
女官が出るのには制限の多い後宮も、宦官ならば自由に外出することができる。
宦官の中には、城下に広大な邸宅を持つ者すらいるそうだ。
その資金の出所は、考えたくもないが。
しばらく行くと、遠くに両儀殿の建物が見えた。
両儀殿は、後宮と外廷を隔てる壁の、ちょうど真ん中に立っている。
皇帝が政務を執る場所なだけあって、荘厳で巨大な建物だ。
知らず、足が駆け足になっていた。
両儀殿には見張りの兵士がいるだけで、官吏たちの姿はない。
まだ朝議が続いているのか、それとももう終わってしまったのか。
祈るような気持ちで、私は走った。
駆け寄る私を怪しんで、兵士達が身構える。
「止まれ! 何用だ!!」
「畏れ多くも陛下のおわす両儀殿で礼儀知らずな!」
差し向けられた槍は恐ろしかった。
しかし深潭と入れ違いになったらと思うと、そちらの方がよほど恐ろしかった。
私は槍の目の前で立ち止まり、上がった息を思いきり吐き出した。
「深潭、さまに、急ぎ、知らせ……」
「宰相閣下に、だと?」
深潭の名前を出しても、兵士達は槍を下ろそうとしない。
(どうしよう……。急いで深潭に知らせないといけないのに!!)
俯きながら、必死にこの場を切り抜ける方法を考える。
しかし、ただでさえ言葉が上手ではないのに、口で上手く切り抜けられるはずもない。
そうこうしている間に、兵士達が集まってきた。
宮殿に勤めるエリートなだけあって、誰もが筋骨隆々の逞しい体つきをしている。
無理に駆け抜けようとしたって、途中で止められてしまうのがオチだ。
「違う! 違うます! 深潭様に急ぎの知らせ! 早く!」
必死に訴えるが、彼らは警戒を緩めようとはしなかった。
「その知らせとはなんだ? 言えば通してやる」
「それは……」
最も前にいる兵士に尋ねられ、言い淀む。
皇太后が皇帝の暗殺を企んでいるなど、こんな場所で迂闊に口にするわけにはいかない。
もし計画が知れたと皇太后にしれたら、彼女は別の方法で皇帝を殺そうとするだろう。
私は皇太后には知られず、この情報を黒曜か、或いは深潭に知らせなければならなかった。
宮殿のほとんどは皇太后派に占められており、迂闊なことを言えば今ここで消される可能性だって十分にある。
(ここまでなの? 折角後宮から出られたのに……ッ)
目の前にある両儀殿の建物を見上げていると、涙がこみ上げそうになった。
折角春麗が教えてくれたのに、私にはどうにもできないのか。
黒曜だって、私を信頼してこの役目を任せてくれたというのに。
悔しさを噛み締めながら、私は一歩下がった。
このまま兵士達と睨み合いを続けていても、事態は打破できない。
こうなれば近くで潜んで深潭が出てくるのを待つか、それともどうにか中書省まで行く方法を考えるか―――。
(諦めるなんて、絶対にしない!)
初めは、密偵になんてなりたくなかった。
皇帝なんて知らない人のために、どうして命を賭けなくてはならないのかと思っていた。
でも、真剣に国を変えようとしている黒曜を見て、考えが変わった。
皇帝のためじゃなくて、黒曜のために密偵になろうと思った。
彼の歯痒い気持ちが、痛いほど伝わってきたから。
自分に、こんな諦めの悪さがあるなんて知らなかった。
他人のために、こんなに頑張れる必死になれる時がくるなんて、思わなかった。
卑屈で気が弱くて、ずっと姉の命令に逆らわずに生きてきた。
でも今はたとえ槍を向けられても、成し遂げたいと思うことがある。
「連れて行け」
隊長格なのか、兵士の一人が低い声で命じた。
羽交い絞めにされ、恐怖で喉が引くつく。
どうなってしまうのか。
どこへ連れて行かれてしまうのか。
(ここにいなくちゃ、深潭に会えないのに!)
祈るように、目をつむった。
すると近くで、どさりと重い音がする。
何事かと目を開けると、兵士の一人が地面に手をついていた。
「何をする!」
どうやら後ろから押されたらしく、立ち上がった兵士は顔を真っ赤にして叫ぶ。
「いや~申し訳ない。荷物で前が見えなくて」
兵士の向こうから、聞き覚えのある声が聞こえた。
私は信じられなかった。
だってその人は、その場にいる筈のない人だったから。
「ふざけるな! 牢屋送りにしてやる!」
兵士が相手を捕まえようと襲い掛かるが、相手はまるで魔法のようにそれをいなしてしまった。
周りを取り囲む兵士達が唖然としているのが分かる。
私も、一体何が起こったのか全く分からなかった。
「将軍様。弱い者いじめはそれぐらいになさってくださいな」
冗談めいた口調は、底知れない響きだった。
「お前は……」
兵士の一人が、掠れた声を漏らす。
気のせいか、彼らの腰は引けていた。
「しがない芸人ですよ。聖母神皇様のご慈悲で、臘日の祝宴に招かれまして」
皇太后の名が出ると、兵士達は目に見えて狼狽した。
彼らはすぐさま槍を下ろす。
皇太后の不興を買いたくはないのだろう。
彼らは私を置いて、そそくさと両儀殿の警備に戻っていった。
「余暉……どうして?」
取り残された私は、懐かしい人を見上げ問いかけるしかなかった。




