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33 噂話

 あの晩から、黒曜は後宮にやってこなくなった。

 会えないまま、いたずらに時間だけが過ぎていく。

 彼がどうしてあんなことをしたのか、その理由はいくら考えても分からなかった。


(私を慰めようとしたんだ。特別な意味なんてない)


 そう思うのに、あの日を思い出すと居ても経ってもいられなくなる。

 元々、男性との接触は苦手な方だ。

 気兼ねなくしゃべれるのは、性別を感じさせない余暉くらいかもしれない。


「ほんに、この“マッサージ”とやらは気持ちいいねえ」


 思考に沈んでいた私は、はっとして皇太后の顔に意識を戻した。


「気に入る頂けて、よかった、です」


 黒曜が来なくなっても、皇太后に仕えるという仕事はなくなったりはしない。

 まるで二十代のような肌の皇太后に、私は日夜さまざまな美容法を試していた。

 彼女の尻尾を掴む前に飽きられてしまえば、私の命はない。文字通りの死にもの狂いだ。

 お抱えの侍医などからも話を聞き、私は皇太后に満足してもらうために必死だった。

 冬場は冷えに気を付けなければならない。

 大陸なので乾燥はそれほどでもないが、それでも肌は繊細なもの。

 慎重に状態を見極めて対処しなければいけない。

 しかし同時に、皇太后のことを聞いて回っても不自然ではない立場を手に入れたことで、密偵の仕事は順調だった。

 私のつたない喋り方は周りを油断させるらしく、侍女達は意外なほど素直に色々なことを教えてくれる。

 皇太后の趣味、趣向。どんな色が好みであるか。或いはどんな動物の細工が好きか。

 直接役立つことばかりではなかったが、過去に失敗をして後宮を去った人々の話も、少しずつ聞くことができた。

 だからあなたも気を付けなさいと、侍女たちは意外なほど親身になって心配してくれる。

 彼女たちも騙しているということに、少しだけ良心が痛んだ。


「では、午後にまた参る、ます。お健やかに過ごす、くださいませ」


 そう言って、私は皇太后の広い房を後にした。

 宮の主は笑顔で私を見送ったが、その傍に控えた春麗は私を見ようともしなかった。

 勝手に化粧をしたあの日以来、春麗はそれとなく私のことを避けている。

 仕方のないことなのかもしれないが、その冷たい表情を見る度に気持ちが落ち込んで仕方なかった。

 謝りたいと思っても、取りつくしまもない。

 外は朝だというのに、重く雲がたちこめている。

 白い息を吐き、私は一人尚紅の建物へと戻った。



  ***



「大変なことになったわ!」


「ついに陛下のお目にかかれるのねっ」


 その女官たちの会話を耳にしたのは、完全なる偶然だった。

 私は冬でも元気に茂るクマザサを探して、薄暗い後宮のはずれまで来ていた。

 クマザサは新芽よりも青々とした葉の方が効果が出るので、それを探す内に後宮の奥にまで踏み込んでしまったのだ。

 声のする方角にはうち捨てられた古い井戸があり、その近くで数人の女官がこそこそと身を寄せ合っていた。

 『陛下』という聞きづてならない単語に、私は慌てて身を潜める。


「臘日の祝宴に陛下をご招待なさるなんて、ついにお二人の仲も雪解けかしら」


「あら、あなたって随分楽天的ね。聖母神皇様のご命令ですもの。皇帝陛下だってお断りできるはずないわ」


「そんなことより、当日は一体どのお妃様の宮にお泊りになるのかしら。もしかしたら私達宮官にもチャンスがあるかも!」


 彼女達は位の低い宮官のようだった。

 人気がないのをいいことに、寒さも気にせず楽しそうにしている。

 よく見ると、その顔触れは皇太后の宮で見たものばかりだ。

 もっとよく話を聞こうと、私は身を潜めて彼女たちに近づいた。


「雨露様が、城下から雑技団をお招きになったそうよ。素敵な俳優もくるのかしら。本当に楽しみね」


「あらちょっと。俳優なんてめじゃないわ。陛下だってお美しいと評判じゃないの」


「でも、陛下はいつお隠れになるか分からないじゃない? この状況だし……だったら、俳優と火遊びでもした方がましよ」


「なんてこと! 言葉がすぎるわ!」


 耳を傾けながら、私は息を呑んだ。

 “お隠れになる”というのは、死の隠語だ。

 皇太后と皇帝の危うい力関係は、女官たちにすらも危険なものとして映るらしい。

 それにしても妙なのは、皇太后の宮を出入りしている私がこの話を初めて知ったということだ。

 臘日は既に明後日に迫っている。

 後宮では臘日の準備こそ進んでいるが、そこに皇帝陛下がやってくるというのは今初めて知った。


(秘密裏に準備が進められている? でもなんで?)


 頭に沢山の疑問が浮かぶ。

 どう考えても、いい知らせでないのは間違いない。


(黒曜は知ってるの? 陛下が後宮にくるなんて危険すぎる!)


 最悪の未来を想像し、居ても立ってもいられなくなった。

 黒曜たち官吏は、祝宴だからといって後宮に入ることはできない。それは皇帝を守る禁軍も同じことだ。

 後宮に入れるのは、女官か宦官のみ。

 もしもの時に皇帝を守るその仕組みが、今は逆に皇帝を危険に晒している。

 今の後宮は皇太后の庭なのだから。

 高鳴る鼓動を抑えつつ、笹の隙間から慎重に息を吐いた。

 寒い筈なのに、不思議と汗が出てくる。

 冷静になろうと思うのに、どうやってもうまくいかない。


(くるはずがない。黒曜や深潭が、陛下を止めるはずだ。だから、大丈夫……)


 必死に自分に言い聞かせても、不安は決してなくならなかった。


(とにかく、黒曜か深潭に確認しなきゃ! 急いで尚紅へ帰って―――ッ)


 笹を抜けようと振り返ったその時。

 首筋に衝撃を感じ、私は気を失った。

 

 

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