03 勘違いしてくれてありがとう
本日二度目の更新
彼女に連れられて行った先は、立ち並ぶ瓦屋根の家の内の一つだった。
瓦と言っても、なんだか日本の物とは形も少し違うようだが。
門をくぐると、そこは中庭になっていた。庭には池があり、小さなお堂が向い合せに立っている。
綺麗に緑が整えられたその庭を、私は美しいと思った。
(もしかして、これを見せるために連れてきてくれたのかな?)
そう思って女の人の顔を覗きこむが、彼女は同情するような目で私を見下ろすだけだった。そういえば、いつの間にか連れ立っていた男達も姿を消している。
(あれ、それにしてもこの人、随分大きくない?)
顔を覗きこんで初めて気が付いたが、彼女は女性にしてはかなりの長身らしかった。
(私なんか平均よりかなり低めの身長だもんなあ。いいな、羨ましい)
そう思って彼女を見つめていたら、羨ましい気持ちが顔から出ていたのかもしれない。彼女がポンポンと頭に優しく触れた。その手は、白くて指の長い器用そうな手だった。
彼女は更に私を連れ、庭の奥へと入って行った。
するとあまり行かない内に、建物の玄関のような場所に突き当たる。
近くにあった窓(なんとガラスが嵌ってない!)から中を覗きこめば、そこはやはり中華風の調度で固められていた。その中には、漢字がいっぱい書かれた木の札がぶら下がっている。
(やっぱりこの世界の文字は漢字なのか……)
見たことがあるようなないようななその文字を目で追っていたら、急に手を強くひかれた。
驚いて前に視線を向ければ、そこには険しい顔をした、白髪の老婆が立っていた。
(え……何!? ちょっ、誰!?!?)
訳も分からず美女の顔を見上げるが、彼女は大丈夫だと言うように私の肩をたたくだけだった。
老婆はじっとりとした嫌な目で、私のことを値踏みでもしているかのようだ。
やがて、老婆が何かを言って首を振り、背中を向けて奥に引っ込もうとした。
美女はそれを必死に呼び止め、頭を下げている。
なんとなく私のことで謝っているような気がしたので、私も一緒になって頭を下げた。
そして顔を上げると、その老婆はゾクッとするようないやな笑みを浮かべていたのだった。
***
あの日から、約一年。
今年もまた、黄砂の吹く春を迎えようとしていた。
専門学校を卒業して二十歳だった私は、もうすぐ二十一歳だ。
といっても、こちらの世界では十三歳ということになっているのだが。
―――そう。
中華風の世界に迷い込んでしまったあの夢から、私はまだ醒めていないのだ。
確か昔はお粥を炊いている間に一生分の夢を見た人もいたそうだから、いつかは醒めると信じて今は待つしかない。
しかし問題は、夢の中のくせにお腹が空くので、何がしかの職に就いて賃金を得なければならないということだった。
ということで私は現在、冷たい水で床を絶賛水拭き中だ。
「床は水面のように、窓枠は玉だと思って磨きな!」
どしどしとやってきたのは、例の白髪の老婆だった。
一年が経った今では、彼女の言葉も少しは分かる。といっても、まだまだ喋るのは苦手なのだが。
「はい。お養母さん」
母と呼ぶには年を召しすぎているような気もするが、この店にいる人間は全員が全員、彼女を養母と呼ばなければならない決まりだった。
店―――そう。ここは妓楼だ。
日本で言う吉原。女が春を売る所だ。
それを知った時の、私の驚愕と言ったらなかった。
(あの美人め! 私を売りつけたんだな!?)
当時、私は本気でそう思い込んでいた―――。
「小鈴!」
呼ばれて振り向くと、そこには余暉がいた。
そう彼こそ、私をこの妓楼へ連れてきた張本人。あの美人さんだ。
私が彼を男性であると気づくのには、あれから一日近い時間が必要だった。
(だって余暉って、女の人なんて目じゃないぐらい優しげでおしとやかなんだもん)
そう思いつつ、近づいてくる青年に応じる。
小鈴というのは、余暉のつけてくれたあだ名だ。
言葉が通じず名前も名乗れなかったので、私は砂の上に木の枝で『鈴音』と書いた。
すると次の日から、彼は私の事を小鈴と呼ぶようになっていた。
(なんでいきなりあだ名? まあいいけどね)
余暉は、この花酔楼の妓女達の髪を結いにやってくる髪結い師だ。
この世界の女達はみんな驚くくらい髪が長くて、着飾る時はそれを驚くほど複雑に編み上げる。
だから妓楼が沢山あるこのあたりでは、彼のような髪結い師が沢山いるのだ。
勿論、その中で断トツ美しいのは余暉に間違いないが。
なんせ一晩に一度は必ず、「お前は幾らだ?」と酔った客に聞かれるらしいのだから。そんな時、彼は必ず相手の沓を思いきり踏みつけてやるのだそうだ。
そう、彼は優美な見た目の割に、凄く漢らしい性格をしている。義理堅く、仲間内での信頼も厚い。
そんな彼のお陰で、私はこの夢の中で妓女になることもなくちゃんと暮らしていけているのだ。
それもこれも、ショートカットの私を少年だと余暉が勘違いしてくれたおかげだった。