25 お妃様御用達?
本日二度目の更新
入宮して一週間ほどは、掃除や片付けなどで忙しいながらも平穏に過ぎて行った。
一通りの準備や用意が終わり、さあてどうやって皇太后に取り入ろうかと考え始めたその時、私の寝起きする尚紅の部屋に突然一人の女性が現れた。
「失礼いたします。こちらに最近黒家から入宮した宮官がいると窺ったのですが、貴方様で間違いないでしょうか?」
私はその時、食事から帰ってきたばかりで運よく鬘を被っていた。
(ギリギリセーフ!)
焦りを悟られないよういかにもと肯き、居住まいを正す。
女性は後宮に相応しい優雅な物腰で、身につけている物も一般の女官とは一線を画していた。
(これは……内官? それにしてはやけに腰が低いような……)
後宮に入った目的が目的だけに、油断はできない。
それとなく相手を観察しながら、失礼がないように指先まで緊張させる。
彼女は、まるで花が開くようににこやかにほほ笑んだ。
「我が主が、貴方様の化粧を所望しております。一緒に来ていただけますか?」
ごくりと唾を飲み、私は静かに頷いた。
***
「まああなたが、噂の化粧師とやら?」
丸い目をぱちぱちさせているのは、見るからに高貴な女性だ。
後宮に入るだけあって、流石に若く美しい。
頭には高価な簪を山ほどつけ、化粧はこれでもかというほどに塗りたくられている。
とても残念なことに、私の感性ではそれらの飾りが余計な物のように感じられた。
もっと質素な飾りの方が、この人のスタイルの良さやそのしなやかさが際立つだろうに。
「その化粧師とはなにアルか?」
私が尋ねると、部屋にいる女達は奇妙な顔をした。
またおかしな言葉を使ったらしい。
くすくすとおかしそうに、部屋の女主人が長い裾で口を隠した。
「ふふふ。異国帰りというのは本当のようね。あなたが黒花琳に、夫婦円満の化粧を施した化粧師なのでしょう?」
聞き覚えのある名前と身に覚えのない話の内容に、私は首を傾げてしまった。
見かねて侍女が説明してくれたのは、驚くべき話だった。
なんと、私が花琳に施した現代日本風の薄化粧が、夫婦円満を招くということで貴族邸の使用人達に大流行しているのだそうだ。
そしてそれを実家からの手紙で知ったこちらの内官―――つまりお妃様の一人が、ぜひそれをやって見せてほしいという。
戸惑いつつも、正五品以上のお妃様に恩を売っておいて損はない。
私はすぐに了承し、尚紅へと化粧品を取りに戻った。
そしてコスメボックスではなく、黒邸で用意した自然由来の化粧道具などを彼女の部屋に持ち込む。
私が日本で買った筆を真似て、職人が腕によりをかけた化粧筆各種。
鉛白ではない、もち米の粉を用いた白粉やそれにさまざまな色味を足して作ったコンシーラー。更には、体に害のない顔料を足して作ったアイシャドーやチーク等。
その豊富な色味に、侍女やお妃様は目を丸くしていた。
「ほう。異国では化粧にこれほど沢山の道具をつかうの?」
まずは化粧を落としてもらおうと、洗顔のためのカスターオイルを取り出す。
侍女たちは、危険なものはないのかと落ち着かない様子だ。
お妃様本人はと言えば、興味津々といった様子で私の持ち込んだ道具一式を覗き込んでいる。
「はい。といっても、おひとりの方、全部使うないです。これは、人それぞれの悩みに合わせて、色や筆を使い分けるです」
「身体に害はないの?」
心配そうにしていた侍女の内、最も年かさの女性が前に進み出る。
どうやら、彼女がこの部屋の侍女達の統括役であるらしい。
「ない、です。ここにあるものは全て、自分で先試した物、です。なんなら、お妃様に使う前に私に使って見せる、ですか?」
「そんなのいいわ! 早くお願い!」
先ほどまでお淑やかにしていたお妃様が、侍女を押しのけて飛び出してくる。
私は驚きつつ、彼女を宥めて寝台へ寝てもらうよう誘導した。
そしていつものように、掌で温めたカスターオイルを、万遍なく化粧の上に乗せていく。
もったりとしたカスターオイルが、お妃様の厚い化粧をゆっくりと押し流していった。
「はあ、きもちいいわねえ」
「お妃様。口閉じてください。この油、口入るよくない」
「やっぱりお体に触るのでは……」
「口入る、よくないだけ。肌に潤い与えるには、この油一番いい、です」
侍女たちは気が気ではない様子だが、お妃様の体はすっかり弛緩してしまっている。
自分のマッサージでリラックスしてもらえるというのは、やはり嬉しい。
時間をかけてリンパにマッサージを施し、丹念に化粧を落としていく。
最後に蒸した布でお妃様の顔を拭えば、つるりと剥き卵のような肌が現れた。
「まあ!」
「お綺麗ですわお嬢様!」
「はあ、とても素敵な心地だったわ」
侍女がお妃様を取り囲み、そのつるつるになった肌をかわるがわる褒めたたえていた。
主人に対するお世辞もあるのだろうが、確かに彼女の肌は美しい。
どうやら彼女は、思っていた以上に若いようだ。
化粧を落としてみたら、その下からまだあどけない顔が現れた。
「お妃様の肌、若くてお綺麗。化粧薄いが、より魅力なるます」
「ほほ、そうかしら」
彼女はまんざらでもなさそうに頬を染めた。
しかし、その目はすぐに悲しげに伏せられてしまう。
「でも、わたくしの目はまるで小豚のようにまあるいわ。これでは陛下をお迎えしても、興ざめされてしまうと思うの」
確かにお妃様はくりくりっとした小動物のような目をしている。
それが彼女の長所だと思うのに、この世界の価値観ではそうではないようだ。
まるで子豚のように―――という表現を聞いて、私は驚いてしまった。
「では、墨で切れ長の目に致しましょう」
にっこり笑って、私は張り切って彼女に化粧を始めた。




