22 秘密がばれました
27日大幅改稿
「どういう、こと……?」
掠れた声が床に落ちる。
黒曜の言った言葉の意味が、理解できなかった。
「俺、男! 後宮、入れない!」
もう何度も繰り返した言葉を、咄嗟に叫ぶ。
男ならば後宮に入らずに済むかもしれないという打算が、そこにはあった。
しかし頭をあげた黒曜の目が、まるで肉食獣のように鋭く光る。
「皇太后は女官や宦官の中でも、本当に信頼している者しか傍に寄せ付けない。しかしその懐に飛び込めれば、あの女の弱みを握ることもできるだろう」
もう黒曜は、皇太后に対する侮蔑を隠そうとはしなかった。
ぎらぎらと光る肉食獣の瞳が、私を威圧する。
逃がしはしないと、その目が言っていた。
(そうか、今の話を聞いた時点で、私は何も知りませんじゃ済まされないんだ! この人、それが分かってて私にその話を……っ!)
ぶるぶると、寒さとは違う理由の震えがきた。
私が誰かに黒曜や深潭の企みを話したところで、平民が何を言っているんだと一蹴されるのがオチだ。しかしそんなことをしようものなら、恐らく二人のどちらかに、私は消されてしまう。
そして彼らの言うがまま後宮に入り込めたところで、そこには皇太后の弱みを探るという危険な任務がついてくる。
首尾よく成功すればいいが、失敗すれば間違いなく命はない。
「なんで、俺? 無理! できない」
黒曜から離れたくて、反射的に立ち上がる。
しかし咄嗟に手首を掴まれ、引き寄せられてしまった。
「細い手首だな。これなら女と言っても通る」
(そりゃ、正真正銘女ですからね!)
この野蛮な男から離れたくて、私はじたばたともがいた。
しかし手首を掴んだ腕はびくともしない。
「騒ぐな。家人を起こして醜態を晒したいか」
吐息がかかるほど近くで脅迫され、ぞわっと鳥肌が立つ。心臓がどくどくと脈打っていた。
(怖い……っ)
抵抗をやめても、黒曜は私を放してはくれなかった。
「その化粧の技術があれば、皇太后は確実にお前に興味を持つ。あの女が喋ったことを、伝えてくれるだけでいい。酷なことを言っているのは分かってる。それでも、お前の協力が必要なんだ」
先ほどまでの強引な様子とは違い、黒曜の声には必死さが籠っていた。
(そんなこと言われたって!)
「どちらにしろ、花酔楼の女達のことは、城下では評判になっていた。皇太后が興味を持つのも時間の問題だ」
「だからって!」
もう一度手を振り払おうとして、押さえつけられる。
私は半ばパニックに陥り、じたばたと暴れた。
バランスを崩し、冷たい石の床に倒れ込む。
咄嗟には受け身が取れず、私は痛みを覚悟して目を閉じた。
固いものに、肉を打ち付けたような音がする。
しかし、いつまで経っても、痛みはやってこなかった。
(痛く……ない? でもなんか、息苦し……っ!)
どうなったのだろうかと目を開けると、息が掛かりそうなほど間近に黒曜の顔があった。
硬い筋肉が、私の体を地面の冷たさから守っている。まるで私が押し倒したかのような大勢だ。
「えっ……」
抱きしめられている。その事実が、ひどく私を動揺させた。
一方黒曜は、痛み堪えるように眉を顰めている。
「無事、か?」
掠れ声で尋ねられ、こくりと頷いた。
でも目を見ることはできなくて、必至に顔を逸らす。
「立てるか?」
黒曜が腕を外したので、私は慌てて立ち上がった。
しかし、黒曜は仰向けに倒れ込んだまま、なかなか起き上がってこない。眉を顰めて、難しい顔をしている。
どこかを痛めたのかと、私は慌てて手を貸した。
ところが、伸ばした手が振り払われてしまう。
(怒らせちゃったんだ……)
頼みごとを断った上、官吏様を下敷きにしてしまったのだ。
これで嫌われないはずがないと、私は泣きたくなった。
先ほどまでは彼から逃げたくてたまらなかったのに、拒絶されたと思うと辛い。
(黒曜はただの下働きの私にだって、優しくしてくれたのに)
しかし黒曜はもう片方の手で、なぜか自分の目を隠した。微かに覗くその目元が、薄く染まっている。
「とりあえず、それを隠してくれないか?」
そう頼まれたものの、『それ』が何を指すのか分からず、困惑した。
「黒曜様、『それ』なに?」
尋ねると、黒曜は我慢できないと言うように叫んだ。
「いいから、その胸を仕舞ってくれ!」
その指摘の意味を理解するのに、一秒以上の時間が必要だった。
下を見れば確かに、腰帯が解けて襦裙がずり落ちている。寝る前だったので胸を押さえるさらしは巻いていなかった。
(ぎゃーーーー!)
悲鳴を口の中に呑み込み、慌てて飛び出していたものを仕舞い込む。腰帯をきつく縛り、上着の合わせを掻き合わせた。
その間に、黒曜は立ち上がっていた。
「お前、女だったのか……」
その証拠を、ばっちり見られた事実に打ちのめされる。
(こんなことなら、もったいぶらずに申告しておけばよかったっ)
先にそう言っておけば、黒曜ともみ合うようなことにはならなかったかもしれない。
しかしどう後悔したところで、今では後の祭りだ。
「何者だ!」
黒曜の声を聞きつけた家人が、様子を見にやってくる。
泣きたい気持ちで、私は困り顔の黒曜を見上げた。