19 即席令嬢の作り方
翌日から、なぜか私のお嬢様教育が始まった。
「俺男! 女の作法、いらない!」
何度そう訴えても、誰も取り合ってはくれない。
とにかく、あれをしろこれをしろの一点張りだ。
この屋敷に来た日、出迎えてくれた老人が私の先生になった。
お淑やかに見える礼儀作法から、琴、琵琶などの楽器の演奏。漢詩の詩作に名筆の臨書。
老師の教えは厳しい。初めて対面した時にした拱手も、コテンパンに直された。
曰く、腕の角度がなっていないだの、指先をもっと伸ばせだの、男と女は手を逆に組むのだ馬鹿者め! などなどなど。
上手くできなければご飯を抜かれてしまう。なので私は抵抗もそこそこに、必死でその教えにくらいついていった。
(ご飯で釣るなんて卑怯だ)
花琳はそんな私を心配して、たまにお菓子を差し入れしてくれる。
お礼にこちらは肌をきれいに保つ美容法などを教えたりして、彼女とはかなり仲良くなった。
あの日以来旦那様との仲も良好だと、たまに惚気てくる。
彼女の仏頂面の旦那様―――黒深潭はなんとこの国の宰相様なのだそうだ。
黒家は代々宰相を輩出している名門であり、花琳はその遠縁の娘なのだという。
「―――初めてお会いした時から、深潭様は素敵でしたわ。わたくしずっとお慕いしておりましたの」
庭園にある四阿で、私達は向かい合いお茶を飲んでいた。
目をハートにして語る花琳は、愛される者の自信か最近とみに美しい。
あの日以来、花琳はこの国では珍しい薄化粧を好むようになった。
最近では黒夫妻のおしどり夫婦ぶりにあやかって、使用人の女達も似たような化粧をしている始末だ。
私の化粧がきっかけで悩みを克服してくれたのは嬉しいが、毎日この調子なので少し当てられてしまう。
「あら、鈴音さま。お茶を飲む時の手の形はそれではいけないわ」
そう。私達はゆっくり休憩を楽しんでいるのでなく、これもお嬢様教育の一環だった。
名門貴族の遠縁とはつまり、花琳自身もどこぞの貴族のご令嬢ということだ。
なので私のお嬢様教育には、花琳もしっかり参加していた。
今も向かい合ってお茶を飲みながら、その所作をテストされているところだった。
「俺、男……どうしてこんなことする?」
理由も分からず女装を続ける日々に、私は辟易していた。
ついこの間まで妓楼で下働きをしていたというのに、これでは生活に差があり過ぎる。
「いけません鈴音さま。言葉遣いもそれではだめ」
余暉に教わった下町言葉も、しっかり矯正されている。
『鈴音』という名前は、異国風だが字は女性らしいということでそのまま使ってもいいことになった。
偽名だと咄嗟に反応できないので、正直ありがたい。
(それにしても黒深潭は、私を女に化けさせて一体何をさせるつもり?)
「花琳、知らない? 女、ふりする、理由」
そう言うと、花琳が困った顔になった。
「申し訳ないですけど、存じ上げませんわ。旦那様はただ、後宮に入れても問題ないようにせよとの仰せで……」
「後宮?」
知ってはいても、馴染のない場所の名前が出てきて戸惑う。
後宮とは、皇帝のために国中から集められた美女が暮らす場所だ。
しかしその事情ゆえ、皇帝以外の男性の立ち入りは厳しく制限されている。
後宮に勤める男達は、すべて男性機能を失った宦官という念の入れようだ。
(でも、どうしてそんな場所に私を? 男は入れないんでしょ?)
「俺、男! 後宮無理!」
花琳に訴えてみるが、彼女も困った顔をするばかりだ。
「なにも旦那様だって、本当に鈴音さまを後宮にお入れになるつもりはないと思いますわ。ただ、そうであってもおかしくないような教養を身に着けさせたいという意味かと。正六品以下の宮官ならともかく、内官は貴族の令嬢か小国の王女がなるのが普通ですから」
「宮官と内官って?」
「内官というのは皇帝のお妃さまのことで、正一品の四夫人、正二品の九嬪、正三品から正五品の二十七世婦、正六品から正八品の八十一御妻からなります。宮官というのは正六品以下の、宮廷内の職務に従事する女官たちのことですわ」
説明を聞いていると、頭がこんがらがってきた。
(えーっと、正一品とか正二品っていうのは確か位を表すんだよね? その数が少ないほど宮廷では偉いっててことでしょ?)
老師に無理矢理覚えさせられた内容を引っ張り出し、その様子を想像してみる。
四夫人、九嬪、二十七世婦、八十一御妻。それらを足して百二十一人。上位のお妃様が百二十一人として、その以外にも位の低い女官が数えきれないほどいるわけだ。
一夫多妻が許されていない日本生まれの身としては、それが一人の男性の妻の数だと思うと眩暈がする。
「でも、最近皇帝陛下はほとんど後宮にお渡りにならないそうです。まだお子もいらっしゃらないですし、旦那様もそれに頭を痛めておいでで……」
まるで我がことのように、花琳は辛そうな顔をした。
皇太子の有無が国にとって重要なのは分からなくもないが、それを終始周りに見張られているというのは、いい気分ではないだろう。
(まあ、そんなにせっつかれたら嫌にもなるか)
皇帝に同情しつつ卓子の上の油餅に手を伸ばそうとしたら、その甲をぺしりと叩かれる。
「淑女がお菓子をがっついてはいけませんわ」
(皇帝も可哀相かもしれないけど、即席令嬢に仕立て上げられようとしている私も十分に可哀相かも)
じんじんする手の甲を撫でつつ、私はそんな益体もないことを考えた。




