17 花の寝室
通されたのは。彼女の私室らしき部屋だった。
広い部屋には鴛鴦が刻まれた大きな寝台と、そして所狭しに花が飾られている。
いくらなんでもその量が多いので、私は首を傾げた。
(何かのお見舞い? ちょっと尋常じゃない量だけど)
その様子に気付いたのか、ここまで案内してくれた使用人が笑いながら説明してくれる。
「これらは全て、旦那様からのプレゼントなんですよ。奥様の名前が花琳様なのにちなんで、毎日こうして花を届けるようにと。本当に、夫婦仲がよろしくて羨ましいですわ」
長い裾で口元を隠しながら、彼女は優雅に笑った。
対して部屋の主である花琳は、おたふく顔のままでもじもじしている。
「そ、そんなことないですわ! 旦那様は、私に気を使ってくださってるだけなのです……」
白粉の塗りたくられた顔が、悲しげに歪んだ。
(あらら。これは謙遜じゃなくて、本当にそう思い込んでるのかな? 毎日花を届けてくれるなんて、素敵な旦那様だと思うけどなあ)
化粧さえ失敗しなければ愛らしい容姿をしていると思うのだが、どうしてこんなにも自信なさ気なのか。
せめて化粧で自信を持ってもらえれば。
そんな思いで、私は彼女に向き合った。
「奶奶、座る」
使用人達を真似してそう呼ぶと、彼女は眉を顰めた。
「そんな、貴方様は旦那様の大切なお客様。どうぞ花琳と呼んでくださいませ」
花琳は困っているのか悲しんでいるのか、複雑な表情でそう言った。
(あ、もしかして―――)
その表情にぴんときた私は、慌てて手を振り彼女の誤解を正した。
「違う! 俺、男! 旦那様の愛人違う!!」
(旦那が客を連れてくるからって言われて、こんな格好の人がきたら、そりゃ愛人かと疑いたくもなるよね)
そう、今の私は湯殿に用意されていた女物の服と鬘で、完全に女装しているのだった。
女の身で女装というのもおかしな話だが、一年以上男として暮らしてきたので動きにくいし落ち着かない。
(しかも、妓楼から身請けされてきたんだもんね。奥様からしたら、愛人が堂々と家に乗り込んできたと思ったのかも)
そう考えると、厚い化粧で武装していた花琳に申し訳なくなった。
(その旦那様とやらも、ちゃんと説明しておけばいいのに。無駄な心配をかけて可哀そうじゃない!)
勝手に憤る私の前で、花琳はぽかんと口を開けていた。
「おとこ……の方? そんな、お綺麗ですのに」
綺麗と言うのは、衣装のことだろう。
確かに用意されていた襦裙は、まるで西洋のドレスのように優雅なデザインだった。
袖口の広がった短い上着の上に、胸の下で帯を結ぶエンパイアラインのドレスのような長い裙子。更には羽衣のような披帛というストールを、両肘に引っかける。
花酔楼で姐さん達の着替えの手伝いをしていなければ、着方すら分からなかったに違いない。
とりあえず一人で着た衣装に不備がないようで、私はほっとした。
「とにかく、化粧、直す! 旦那様、見返す!!」
そう言って一人気合を入れて右腕を突き上げると、おどおどと花琳も腕をあげて賛同してくれた。
なんとなく、彼女とは仲良くできそうな気がした
「は、恥ずかしいわ」
私が(本来は女だとしても)男だと知った花琳は、今度は恥じらってしまってスッピンを見られるのを嫌がった。
気持ちは分からなくもないが、それでは化粧を施すことができない。
「男、思うから、恥ずかしい。俺違う。花琳、友達」
少ない単語で、必至に説得する。
まずは涙でぐしゃぐしゃの化粧を落とさない事には、肌にだってよろしくない。
「嫌なら、目、つむる。大丈夫、見張ってるから、痛い、しない!」
そう言って使用人を指差す。
彼女は引っ込み思案なご主人様に慣れているのか、泰然と成り行きを見守っていた。
どころか、少し面白がっているような空気さえある。
(面白がってないで手伝ってよ)
そう思わなくもないが、今は目の前のことに集中しなければ。
私が必死に言い募ると、心が動いたのか少しずつ花琳は顔から手を離していった。
このチャンスを逃してはならないと、すぐに作業に入る。
まずは使用人に頼んで持ってきてもらった唐胡麻油を、掌で温める。それを額から順に、鼻、顎、目元、口元の順で伸ばし、花酔楼でやっていたようなマッサージを施した。
こういう自然由来のオイルだけを使ったクレンジング法というのは現代にもあって、時間はかかるが水分を残したままで毛穴の汚れを取ることができるのだ。
この時代の化粧品は全て水で落ちる物なので、わざわざ化粧落としを使わなくても全て落とすことができる。
その代わり汗などで流れやすいので、あんまり濃い化粧をするのはどうかと思うのだが。
じっくりマッサージをすると、花琳の顔からは少しずつ強張りが取れてきた。
あとは用意してもらった蒸しタオルで、オイルごと化粧を拭き取る。
洗顔が終わる頃には、花琳はすっかりリラックスした表情になっていた。
「すごいですわ……こんな化粧の取り方、初めて」
花琳は物珍しそうに鏡を覗き込み、何度も自分の頬を撫でている。
気に入ったのならよかったと、私は嬉しくなった。
「きれい、落ちた! 花琳、化粧しない、きれい」
率直に思ったことを口にしたら、花琳の頬がぽっと赤くなった。
いけない。男のフリをしながら女装というのは、ややこしくていけない。
しかし、すぐに花琳は浮かない顔になった。
気分を害してしまったのだろうか?
だとしたら、余計な事を言うべきではなかった。
しかし私が謝る前に、花琳が悲しげに口を開いた。
「私って、いつもこうなの。緊張してばかりで、すぐに顔が赤くなってしまって……だから旦那様にそれを見られたくなくて、いつも白粉を沢山塗ってるの」
(そうだったんだ)
彼女が過剰な化粧をしていたのには、ちゃんと理由があったのだ。
その痛ましげな表情を見ていると、いても立ってもいられなくなった。
私の中に、何とかしてあげたいという強い想いが込み上げてくる。
「ちょっと、頼み、ある……」
事の成り行きを見守っていた使用人に向かって、私はあるお願いをした。




