15 旦那様ご勘弁!
そうして連れてこられたのは、見たこともないような大きなお屋敷だった。
花酔楼だって妓楼の中では大きい方だったが、このお屋敷はそれとは比較にならない。
馬車のままで巨大な門をくぐり、広い庭を進む。
家屋へ続く道は石でしっかりと舗装されており、馬車は殆ど揺れなかった。
また広い池や建物が点在しており、とても個人宅とは思えなかった。
(一体、誰が私を身請けしたの? 覚えなんて全然ないけど……)
落ち着きなく周囲を見回していたら、しばらくしてようやく建物に辿り着いた。
私は先に降りた男の手を借りて、恐る恐る馬車から下りる。
堂々と張り出す瓦屋根と、それを支える鮮やかな腕木。肘木には細かな装飾が施され、木の部分は全て不老不死を表す丹色で塗られている。
唖然としていると、建物の中から小柄な老人が出てきた。
彼はぱたぱたとこちらに歩み寄ると、慣れた様子で拱手をした。映画などでよく見る、掌に拳を当てて挨拶をするあれだ。
「お帰りなさいませ、こちらが例の……?」
「ああ。では頼んだぞ」
そう言い捨てて、仏頂面の男は私を置いて行ってしまう。
(え、置いてっちゃうの? 私一体どうなっちゃうの!?)
衝撃の事実にぐるぐるしていたら、老人が私の前にやってきた。そして先ほどと同じように拱手したので、私も見よう見まねでそれを返した。
それを見た老人が、好々爺然とした笑い声をあげる。
「これは、教育のし甲斐がありそうですな」
(教育? 一体何のことなの? せめて説明していってよ!)
意味も分からないまま、私は老人の後について屋敷に入った。
***
老人に連れて行かれたのは、これまた立派な造りの湯殿だった。
広い浴槽からは、ほくほくと温かそうな湯気が立ち上っている。
まるで温泉宿のような立派なお風呂だ。
一年半ぶりに見るまともなお風呂に、どうしようもなく心が騒いだ。
(花酔楼では絞った布で体を拭くのが精一杯だったもんね。女だってばれる訳にはいかなかったし)
今すぐに飛び込んでしまいたいという欲求を堪え、老人について行く。
するとそこには、色っぽい薄絹の女が二人、私の待ち構えていた。
「下界の垢を存分に落とすがよいぞ」
そう言って老人は女達に何事か言いつけ、私を置いて去ってしまう。
今から何が始まるんだろうかと不安になった。
「旦那様のご命令です」
「隙なく全身磨き上げるようにと」
「早く衣をお脱ぎくださいませ」
「私達が存分におもてなし致します」
そう言って、まるで天女のように美しい二人に傅かれ、私は冷や汗をかいた。
お風呂に入れるのは、嬉しい。
しかし二人の目の前で服を脱げば、女だということがバレてしまう。
(あれ、でももう妓楼を抜けんだから、女だってばれても構わないのかな? でも身請けをした旦那様は、私を男だと思ってるわけで……)
ぐるぐると考えていたら、いつの間にか女達が近づいてきていた。
そして当たり前のように、私の服を脱がし始める。
「ちょ、まって! うわっ」
逃げようとしたが、女性相手に乱暴はできない。
「うふふ、可愛いこと。初心なのね」
「綺麗にするだけだから、安心なさって」
慰めるように声を掛けられたが、ちっとも安心できなかった。
(どうしてこの世界の女の人達は、こうも色っぽいわけ!?)
それは恐らく今まで出会った女性たちが特殊だったのだろうが、どうしてもそう思わずにはいられなかった。
それにしても、二人掛かりで来られては逃げ場がない。
もうどうしようもないのか。ばれたらどうなるんだろうかと、考え始めたその時。
「あら、怪我でもなさっているの?」
女達の手が、胸のさらしを見て戸惑ったように止まる。
(チャンスだ!)
私は慌てて、女達の緩めた服の合わせを掻き合わせた。
「ひどい、けが。見ない、がいい。火傷」
慌てながら、どうにかそう言い募る。
怪我を見られたくないと嫌がれば、流石に無理強いはできないだろう。
すると思った通り、女達は困ったように眉を顰め、どうしようかと相談し始めた。
「ひとり、入れる! 姐さんたちの風呂の世話、してた、から」
それは真っ赤な嘘だったが、どうやら彼女達は信じてくれたらしい。
彼女達は道具等の使い方を教えて、湯殿の外へ出て行った。
とにかく女だとバレなくて、ほっと一安心だ。
私は彼女達の気が変わらない内にと、そそくさと服を脱いで湯船につかった。
久しぶりのお風呂は、本当に生き返るような心地だった。
体の芯まで解れ、深くリラックスする。
望んで連れてこられたわけではないが、これだけは嬉しいなと思えた。
それでも、別れ際の余暉の様子が気がかりで、心の底から完全に喜ぶことはできなかったが。




