表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/4

他人の部屋は落ち着かない



 私、瀧野瑠佳は、スキンシップが大の苦手だ。


 私には姉が二人おり、一人は七つ、一人は五つ歳が離れている。


 物心ついた頃から、母親に甘えたり庇ってもらったりしていると、五つ年上の次女から、酷くからかわれた憶えがある。今にして思うと、両親の愛情がまず長女に行き、まだまだ愛情を欲する五歳ごろに私が生まれたことで、今度は三女に関心が行ってしまったとなると、どうしても反発せずにはいられなかったということだろう。


 だが幼心にそんな姉の胸中を慮ることなど出来なかった私は、ただただ「甘える」ことがイコール「恥ずかしいこと」、「悪いこと」だと刷り込まれていった。もう薄々自我が芽生え始める三歳から四歳ころには、すっかりスキンシップ嫌いになってしまっていた。


 母親と共に入浴すること。おやすみのキスをすること。手を繋ぐこと。自ら愛を求めること。その全てを放棄し、拒絶し、極端に接触を避けるようになった。他にも、幼稚園の行事で保護者と一緒に走ったり、踊ったりすることが何より苦痛で、他の園児たちが何の蟠りもなく母親と仲睦まじく群れあうのを横目に、不機嫌そうにしている様は、未だアルバムの中にも残っていた。


 だが徐々に周囲を気にし始めたのは小学校に上がって一年か二年経った頃だったように思う。遠足などの時、男女同士で手を握るのを強要されたこともあった。嫌がる子が何人もいたので、自分の気持ちはおかしなものではないと思っていた。しかし、友人同士で手を繋いだり、ふざけて抱き合ったり、上級生の人に肩車されたり、そういったことにいつまで経っても慣れず、不快な思いばかりが募ったが、そういった接触を嫌がる友達はほとんどいないということにも同時に気づいていた。


 私としても、信愛をもってスキンシップをしてくれていることを理解していたので、気持ちは嬉しかった。もちろん、人を傷付けたくなんかない私は、ぎこちないながらも嫌がらず、友人や教師などからのスキンシップを全て受け入れていた。


 それでも、接触が嫌だという気持ちは、いつまでも残った。


 中学に上がり、同級生たちは思春期に突入し、誰が格好いいだの誰と誰が付き合っていだのという話が増え、より一層異性を気にするようになった。


 私はと言うと、そういった話は「話」なので自分に被害もなく、かつ人と、特に思春期に突入した同世代の人たちとコミュニケーションを取る上で、大変有効な手段として、男女問わず使用していた。


 そんな人間だったために、男女の友人比率はほぼ一対一だった。男友達の中には格好いいと言われているグループの人も多くいて、一部の女子からはやっかみや妬みの対象となってしまった。


 友情を取るか、校内の評判を取るか――。


 だが面倒事が大嫌いな私は、逃げることにした。――つまり、後者だ。


 進級し、クラスががらりと変わったころから、私はほとんどそういった話題を口にしなくなった。また、仲良くしていた男子連中ともクラスが分かれたこともあって距離を置き、友達は女子ばかりになった。特に、男ばかりを目で追っているような面倒な女ではなく、自分の趣味を持っていたり、もともとの自分のように男女分け隔てなく話をしたりするような、大らかなタイプとつるんでいた。


 そうすると、ますます人と触れ合う、特に男女間の恋愛ごとに対しては、からっきしになっていった。クラスの男子は喋らなくなることで顔も名前も一致しないくらいであったし、噂好きの友人がいるでもなし、まして自らの洞察力も観察する気もないので、思春期らしからぬ、のほほんとした中学生時代を過ごした。


 学生時代はそのように適当にあしらっていればどうにでもなったが(他人とどうこうなったとして、学校生活に支障を来すほどの害があることなんて殆どないからだ)、社会人になってからはそうもいかなかった。


 同じ職場の人間、上司、取引先の人間など、一度でも関係を悪くしたらやりにくいという立場の人間ばかりの状態で、私は他者の関わり合いになることを避けることが出来なくなってしまった。


 そうして私が取った行動は、とにかく「褒める」ことだった。褒められて嫌な人間などいない。本気で褒めたりすると愛情表現だと思われるので加減が必要だが、軽口で口説く様に相手を褒めると、それだけで案外喜ばれるものだ。それは男女平等に行うことで、両性の批判、とくに女性の反感を買うことを免れることができる。「あの子は誰に対してもああだ」という認識を得ることで、最も怖い「女の敵」にならずに済むのである。


 そうやって世渡りだけが上手くなっていく中、やはりどうしても避けられない問題が出てくる。そう、八方美人には付き物の「恋愛要素」である。


 殆ど誰に対しても会話を盛り上げ楽しく話しているとなると、その内の何人かから、職場の人間に対する好意以上の好意を持たれることが間々ある。


 当然、心から親しく付き合う、なんてことはごめんだと心底思っている最低の私は、お得意の「逃げ」に走る。気持ちに気付かないという鈍感なフリをしたり、目の前で他の男と仲良く話して気のあるように見せかけたり、会話の最中に誰とも付き合うつもりはないと冗談交じりに話したりすることで、行動を起こさせないようにする。明確な告白さえ封じてしまえれば、その先も気の良い友人、同僚同士でいられる。


 最悪、想いを告げられてしまっても、そこは女の強み、適当にあしらって、「明日からも仲良くしてね」と震えた声で言うだけで、再び円滑な人間関係が取り戻せる。無論ぎこちなさや気まずさは残るが、そういったものは風化していくし、ずっとそんな調子であれば、自然と距離は離れていくはずである。


 どうしてここまで人と対立するのが苦手なのか自分でも分からないが、そこは「日本人だから」という理屈で納得している。


 そんなこんなで、一生独身が決定している私は、精神疾患と言っても差し支えない接触不振な自分を「親しみやすい人間」の上っ面で覆い隠し、孤独を好み、じわじわと自分と世間との溝を深めていった。


 屈折二四年――私はまともに人を好きになり、想いを伝え合うことなんて出来ない――そう、諦観していた。





 適当に酒とつまみを購入した私たちは、ものの三〇分ほどで随分と砕けた話し方になっていた。


 同い年ということもあって(私は早生まれなので、学年は牛嶋より一つ上だ)、お互い敬語はナシにしようってことになった。


 友達が出来るのは純粋に嬉しいのでそれはいいのだが、どうにも他人の家で落ち着くことの出来ない性格なので、案内されたソファで居心地悪そうに座っていると、部屋着に着替えた牛嶋が別室から戻ってきた。


「ごめんごめ~ん。さっそく観よっかぁ」


 敬語の時は溌剌とした喋り方だったのに、タメ口になった途端、どこか緩い雰囲気になった牛嶋は、やはり年下なんだなぁと意味もなく納得する。


「そんじゃカンパーイ!」

「乾杯~」


 隣に腰を下ろした牛嶋と冷えたビール缶を軽くぶつけ合い、さっそく喉に流し込む。うま。


 牛嶋は酒に強いのか、一気に呷ってしまった。


「わくわく~」


 早速二本目のビールのプルタブを開けているのを横目に見つつ、リモコンの再生ボタンを押す。もちろん、DVDはセット済みだ。他人と一緒にいる時は、気を遣うのが大切である。これぞ人間関係を円滑に送るために必要なことであり……。


「そういえば瀧野さんさー、こういう映画好きなの? なんか意外っていうか」

「こういうって……ホラーで、グロ系?」

「うん。俺的には、そうだな。邦画とか好きそうなイメージ?」

「邦画も好きだよ。まぁ映画はどのジャンルも大抵好きだけどね。私は怖いのとかグロいのとか特に好き」


 一瞬引かれるかな? と思ったけど引かれるくらいは大丈夫だ。こういうマイナスイメージは、単純な「好意」からはマイナスにはならない。恋愛的な「好意」からはマイナスになるだろうけど、それは願ったり叶ったりだし。それに、この男からはそういう感情はないはず。印象だけど。


「おー。頼もしー!」


 牛嶋は嬉しそうに笑って、旨そうにビールを飲んでいる。特に気にしていないようなのでいいか。


 私は牛嶋からテレビへと視線を戻した。それはともかくとして、経緯は大変不本意ではあったが、かなり期待値の高い映画なので、もう牛嶋はいないものとして映画に集中しよう。


 牛嶋の家のテレビはかなり大きくて、家で観るより格段に迫力がある。それに、意外と部屋も綺麗に整頓されていて、あまり気が散らない。というより、物がかなり少ない気がする。なんとなく意外。ごちゃごちゃと趣味がありそうな気がするのに。生活必需品と、本棚には新書がほとんどで、小説がちらほら。雑誌なんかは見当たらない。装飾品なんかもないので、私はなんとなく、ここに越してきてそんなに日が経ってないんじゃないかと勝手に推測した。


 ぼんやり室内に目を配っていると、突然、右肩に軽い衝撃を受けた。


「ひぇっ!」

「!」


 テレビ画面を見て、最初のワンシーンで人の頭に斧がめり込んだことに驚いた牛嶋が、私の肩にしがみ付いて来たようだった。


 ――そんなことは瞬時に悟ったが、私は条件反射宜しく、右肘を牛嶋の胸辺りに決め込んでいた。


「いだっ!?」

「あっ、ごめんなさい!」


 私は、暴力を振るったという事実というよりは、苦痛の声を聞いたがために謝っていた。意味は同じだろうが、接触を遠ざけるためにした行為に対しては後悔していないが、それのせいで他人に痛い思いをさせたことが申し訳ないという気持ちなのだ。謝罪の言葉は勝手に口から出た、そんな感じだった。社会人はすぐに謝罪の言葉が出てしまう。特に謝罪の気持ちを持っていなかったとしても。


「痛っ……いや、こっちこそ急にごめん。……てか、そんなに嫌だった?」


 牛嶋の悲しそうな顔を見て、良心が痛むのを感じた。しまった。これはマズい。フォロー入れないと。


「イヤぁ、違いますって。びっくりしたから、ついつい。恥ずかしがり屋さんなんで! 自分シャイガールなんで!」


 はっはっは、と軽口を叩くと、さすが気の利く男、私のノリに合わせてくれる。


「む? 瀧野さんは意外と純情な乙女心? 純情な感情は伝わらない?」

「あっはっは! ザッツライ。てか牛嶋さん、そんな怖がりなのになんでこれ観たかったんですか?」

「怖いの好きなの! 怖いけど」

「うーん」


 困り顔で首を傾げると、牛嶋は私の方へずいと顔を寄せてきた。


「だから瀧野さん。手を繋いで観たいです!」

「え……や……えーと?」


 そう来るか。予想外の展開に、私の口からは無意味な言葉しか出てこなかった。何と返答するものかと考えあぐねていると、牛嶋が大げさな身振りで顔面を覆い、泣き真似を始めた。


「うわぁん。やっぱダメ? やっぱ俺のこと嫌いっ? こんなにこんなに怯えた可哀想な美男子なんだよ? ほらっ、人助けだと思って! ヘルプミー! アイニージュー!」

「や、別にキミが嫌いとか、じゃなくて。てか自分で美男子言うな、このイケメン。ボケ多くて拾い切れないっつの。そうじゃなくて。私、ちょっと人に触られるの苦手っていうか」

「む? そうなの? へぇーっ、そうなんだ。見えないー」


 どういう意味だ。


 軽く憤慨しながら肩を竦めていると、私が困っているのに気付いているはずの牛嶋から(こういう人間が人の感情に疎いはずもない)、更に追い打ちを掛けるように上目で懇願してきた。


「手繋ぐのダメ? 肩寄せるくらいならイイ?」

「………」


 私は閉口した。諦めと脱力で、弱々しく頷くことしかできなかった。それに気を良くした牛嶋が、やけに嬉しそうに私の肩に自分の広い肩をぶつけてくる。


 そしてまじまじと私の顔を見て一言。


「うわぁっ、スッゴイ眉間に皺寄ってる! ホントに嫌なんだ、あはは! 面白~っ」


 なにこいつ、うざぁ……。


 私に体重を掛けて寄り掛かりながら、心底可笑しそうに爆笑する男の、目の前で揺れる清潔そうな前髪を引き千切りたくなった。


 今、わかった。こいつ、ドSだ……。


 一通り笑い終えたのか、目尻に浮かんだ涙を指で拭っていた牛嶋がふと真面目な表情になる。自然と私も、間近に迫るその淡い茶の双眸を見つめ返した。


「でも瀧野さん、それ、しんどいんじゃない? スキンシップダメなの」

「まぁ」

「彼氏とかどうすんの?」

「あー、無理だね。絶対」

「てことは処女……痛っ」


 とりあえず牛嶋の頭を叩く。今度は、心は全く痛まなかった。手は痛かったけれど。


 しかし一瞬で立ち直った牛嶋は、何を思ったのか、急にソファから立ち上がった。


「よっし決めた! 瀧野さん」


 展開に付いていけない私は、名前を呼ばれたにも関わらずぽかんと上背のある男の顔を見上げるしかない。


「毎週金曜日は俺と瀧野さんでホラー映画鑑賞会しよ! 一緒に苦手克服ガンバロー!」

「……は」

「よぉっし決定~! 瀧野さん、金曜は一緒に帰ろうねーっ」


 話終わりっ! と新たなビール缶を開け、つまみのピーナッツをぼりぼりと食み始めた男の横顔を呆然と眺めながら、私は口を開いた。


「………」


 しかしその口からは、何の言葉も出ず、疲労と哀愁のたっぷりこもった溜息だけが勝手に漏れただけだった。


 どうしてこうなった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ