本音と建前
――動物とは。
動物とは、主に同種族を愛し、慈しみ、助け合いながら、繁栄していく。その表現は様々で、人間であれば言語であったりジェスチャーであったり、目線、声音、仕草等々、多種多様のバリエーションで伝える。それだけ人に伝わり辛いものでもあるし、人はそれがなければ安心できない。
そして、最も必要とされる感情を表現する行動。それは、スキンシップである。いつかテレビでやっていた、子ザルの求める母親の実験。二体の代理母、どちらに子ザルが愛着を示すかの実験である。片方は固い金属で出来た、生きるのに必要なミルクを備えたロボットの代理母。もう片方はミルクも出ず、毛布を被せ、母ザルの様相を模しただけのもの。その二つの模型を、子ザルの前に並べるのである。
結果は、後者の方に子ザルは長時間しがみ付いていたというものだった。お腹が空けば冷たい金属の母ザルの乳を飲みに行くが、腹が膨れるとすぐに暖かい毛布の母ザルへと戻り抱きつく。
そう、それだけ、「柔らかさ」「温もり」とは、動物たちにとって必要であり安心を与えてくれるものなのである。
私たち人間も然り、嫋やかな母親の抱擁を求め、大きく包み込むような父親に頭を撫でられたい。きょうだいたちを守り守られ、友人たちとじゃれ合いたい。
――そして、愛する人と触れ合いたい。
その綿々脈々と続いてきた営みこそ、古来より発展し続けてきた我々生きとし生けるものの、最大の最重要項目ではないだろうか――。
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今日は一週間で一番浮かれる、金曜日の夜である。私、瀧野瑠佳は、五日ぶりの休日を満喫すべく、仕事帰りにレンタルビデオショップに寄った。
職場の近くにもあるが、プライベートな時間に仕事関係の人間とは出会いたくないため、いつも行くのは自宅の最寄り駅から徒歩三分ほどのレンタルビデオ屋である。
だから私は油断し切って、大好きな映画を借りようとあれやこれやと洋画のコーナーを物色していた。普段から外に向かうアンテナが極端に短く、あまり目的以外のことが目に入らない私だったが、こうなるともうDVDしか目に入らなくなっている。
ふと、以前から気になっているタイトルの映画を発見した。三年ほど前に制作されたもので、この間インターネットでたまたま知る機会があったものだ。
私の大好きなジャンルの映画だが、こういったものは友達と全く趣味が合わなかった。友達はみんな恋愛ものだとかファンタジーだとか、あとは大ヒットするような感動作が好きな人が多い。
映画自体は好きなので私はいろいろなジャンルに手を出すが、結局これが一番好きだった。
いわゆる「グロテスク」なホラーモノである。
単純にホラー映画も好きだが、非現実的な部分の多いものは興醒めしてしまうのだ。そのため、かなり衝撃的ではあっても、リアリティの残るような作品が好きだ。
人の心理描写なんかも面白い。ただ、「グロテスク」なものは、あまりに私の日常とかけ離れているので、フィクション色を強く感じる。それが好きだった。
私は迷わずその映画を手にしようとして――。
別の人間が、全く同じものに指を掛けたのに気付いた。
「お」
「あ」
私は反射的に手を引いた。顔を上げてその人間と見合わせると、知っている顔が目を丸くして立っていた。
「あれっ? 瀧野さん、ですよね。一課事務の。こんばんは!」
「……こんばんは」
そこにいたのは、同じ会社に勤める営業二課の牛嶋陽介だった。
牛嶋は人好きのする笑顔をにこにこと浮かべて、挨拶してきた。残念ながらとっさに笑顔を作れない私は、ぼそぼそと返事をするだけで精いっぱいだった。
「仕事帰りっすよね~。もしかして家、こっちの方なの?」
「ハイ、まぁ……あはは」
私は無意味な愛想笑いを漏らした。顔が引き攣ってないといいけど。
しかし、さすが営業職なだけあって、愛想のいい男だ。顔も整っている方だから、ちらほら浮いた話を聞く。まぁ噂なんてアテにならないけれど、話題に上がるっていう点で目立つってことだろう。
新卒で入社してまだ二年だが、取引先の印象もかなりいいらしく、近々営業一課に配属されるのでは、というような噂もあった。私は営業一課の事務をしているから、同じ事務の女子連中が煩くなるだろうなぁとぼんやり思ったような記憶がある。
それはそうとして。
顔見知り程度の人間に会ったときほど気まずいものはない。さっさとこの場を抜け出したい。しかしそんな失礼なことは出来ない。私は小心者の八方美人だった。
「偶然っすね! 俺もこっちなんスよ。駅から歩いて一〇分!」
「へぇ~。便利でいいですね」
うわー。ほんと意味ない会話。でも仕方ない、会社の人間とは仲良くするに越したことはないし。適当に話を合わせておこう。
つーかコイツこの辺に住んでいるならもうこの店に来られないのでは。最悪。
「それよりこれ、借りたかったんすよね? でもこれ……」
牛嶋は困ったように手に持ったDVDケースを揺らす。三本ほど同じパッケージのものがあったけれど、他はレンタル済みらしく、これが最後の一つだったようだ。
当然、人と揉めるのが嫌いな私が取る手段は一つだけだ。
「ああ、いいですよ。そんなに急いで観たかったわけではないので」
「え? でも」
「大丈夫ですよ。他にも観たい映画ありますし。それじゃあ」
よし、完璧。
好印象を持たせつつ、さりげなくこの場から撤収する。これは私の今のベストである。
心の中でドヤ顔をしていた私はしかし、次の瞬間その余裕は脆くも崩れ去った。
「あっ、瀧野さん! 待って」
「……はい?」
さすがにこの距離、彼の声量から「聞こえませんでした」なんて理由がまかり通るはずもなく。私はなるべく自然に見えるように振り返った。
「俺の家で一緒に観ましょう! ねっ」
「え」
嫌。その文字が真っ先に頭に浮かんだが、そんなことはもちろん口に出せない。
こいつマジか。えっと、あれだぞ? 話なんてほとんどしたことにない、女相手にそんなこと言うか? もしかしなくてもこいつチャラいのか?
私の不審を感じ取ったのか、牛嶋が慌てて首を横に振る。
「あっ、変な意味じゃなくて、ですね! これ、この映画。怖いやつじゃないですか。なんかちょっと、一人で観るの怖いっていうか。……駄目ですか?」
「あ、なるほど……えぇと」
八方美人ゆえか、私は頼まれごとに弱い。断った後の気まずさや人間関係がきくしゃくするのが極端に苦手なのだ。
牛嶋自体はいい奴っぽいし、女には不自由してないだろうし、私相手に変な気は起こさないだろう。それに、友好関係は作っておくに越したことはない。なにかとやりやすいし。
私は自分のテンションがダダ下がりになるのを感じながら、そんなことはもちろんおくびにも出さずとびきりの笑顔を作った。
「そうですね。じゃあ、ゴチになります」