南の森のリサーチャー
部屋を出て玄関ホールまで来たところでB.E.は侍女に呼び止められた。
「あの……っ!」
悲痛な面持ちで声をかけてはみたがその後をどうにも言い出せずにいるようだった。先を歩いていた老執事も足を止め、振り返る。
「どうか、クリオラ様をお救い下さい!」
「ん?」
「クリオラ様は……クリオラ様には病と言ってありますが、本当はヴァンパイアに呪いをかけられているのです!」
執事がゆっくりと頷く。
「私からもお願い致します。あのお方は本当に不憫なお方です。あのヴァンパイアに目をつけられてからは大切なものを奪われるばかり。日に日に強まる呪いにより、最後には命まで奪われる……
しかし生きてさえいれば、またかけがえのない何かを得る日もあるでしょう。あなた様が呪いを解いて下さればきっと……」
「ずいぶんと期待されているようだな。期待するのは構わないが、約束は出来ないぞ?術者を倒せば呪いが解けるとは限らない」
「そ、そんな……」
B.E.の歯に衣着せぬ言葉に侍女は力なくその場にへたりこんだ。
(俺は幼い女領主の命を救いに来たわけではない――)
「それでもどうぞ、よろしくお願い申し上げます」
執事が恭しく頭を下げる。
「相手がヴァンパイアと分かった以上、逃げはしない。それだけは約束するさ」
そう言い捨てるとB.E.はそのまま踵を返し、屋敷を後にした。
さて、そのまま件のリサーチャーとやらに会いに行こうにも、南の森がよく分からない。いや、森は村の南に広がっているので分かるが、かなり深そうだ。どの辺りにそのリサーチャーがいるのだろうか?
村からの道は森の手前までしか続いていない。近くで畑を耕していた農夫に訊いてみると、
「……森に入ればわかるだよ」
と、意味ありげな顔をされた。その薄ら笑いに少なからず警戒心が働いたが、村人と接触しているくらいだ、いきなりとって喰われることもないだろう。そう考えてB.E.は森へと足を踏み入れた。
生い茂った木々が陽の光を遮る。薄暗がりの中、ふと後を見ると何かがおかしかった。
B.E.が来た方向には見覚えのない大木がそびえ、視界を閉ざしているではないか!思わず駆け寄りその木の後ろも見やるが、そこには深く深く森が広がっているばかり。
(馬鹿な!まだ森に入ってそれほど進んでもいないというのに!)
だが、どちらを向いても最早森から出ることは不可能のように思えた。大きくひとつ、溜め息をつく。とりあえず進むしかないだろう。
憶えのない樹が突如現れるくらいだ、道しるべに印を刻んでも無意味だろう。考えるだけ無駄なような気がするので、なるべく歩き易そうな方へと足を進める。
進む程に徐々に周囲が明るくなってきたような気がする。と、突如視界が開け、小さな小屋が現れた。小屋を避けるように木々が並び、その一帯だけ陽の光が差していた。どうやらここが不思議な森の主の住処のようだ。
木造のドアに手をかけるとキィ……と小さな音を立てて開く。中には怪しげな器具やら書物やらが所せましと積み上がっている。その奥から白いローブを羽織った小柄な人影が現れた。
「やぁ、いらっしゃい。話は聞いていたよ」
顔もそうだが声も男か女か、よく分からない。顔はこちらを向いているが何処を見ているのか?これもまたよく分からない、そんな視線を軽く不快に感じる。
(ん?話は聞いている?領主の方から伝書鳩でも飛ばしたのか?)
「違うよ。ボクが君たちの話を聞いていた、って言ったんだ」
ニタリと薄気味悪い笑みを浮かべるリサーチャー。だが、B.E.は動じない。
「それなら話は早い。とにかく敵の情報が欲しいんだが?」
「もう少し驚いてくれてもいいのになぁ~……」
何やらリサーチャーは不満なようだ。
「こんな不思議な森に住んでいる人間のやることを一々驚いていたらきりがない」
肩をすぼめてみせる。
「あっはっは……確かにその通りだね!」
そう言って気持ちよく笑うリサーチャー。最初は妖魔の類いかとも思ったが、こうして人間味のあるところを見せられると少し安心する。
「北の廃城にいるというヴァンパイアのことを詳しく聞きたい」
「B.E.君は仕事熱心だね。いいよ、教えてあげる。
北の地に住まうのは、今では残り少ない純血のヴァンパイア。真祖の魔力と血を最も濃く受け継ぐ者。伯爵の爵位を持つこの地の夜の君主。その名は……」
そこまで聞けばもう、B.E.にも敵が誰だか分かった。
「ブレスト伯爵!」
「そう、君の全てを奪ったあの男だ。たった一つ、憎悪だけを残してね」
(このリサーチャーはどこまで知っているのだ……?)
いや、ハンターとしての彼の経歴を知っている者ならば、その馴れ初めは知っていてもおかしくはない。
「……ともかく、君は『敵を知る』ことと引き換えに『逃げる』という選択肢を失った。コレは代償としてはあまりにも大きいんじゃないのかい?」
「元々逃げる気など毛頭ない」
むしろ敵を知ったことで彼の闘志は更に燃え上がっていた。
「……そうだったね。余計なお世話だったね。すまない、聞き流してくれ」
そう言ったリサーチャー瞳は哀しげで、先程の笑っていた時よりもはるかに人間らしかった。
「まだ知りたいことがあるんだが……領主にかけられた呪いだ。ヤツを倒せば呪いは解けるのか?」
リサーチャーは目をきょとんとして聞き返す。
「呪い?領主にかけられた?何のことだい?」
「表向きは病ということになっているが、伯爵の呪いで日に日に衰弱していると従者から聞いた。それを解いて欲しいとも言われた。生憎とそちらの方面は疎いものでな」
行き掛けの駄賃に呪いも解いてやろうというわけでもないが、下手を打って呪いが暴走などしようものなら、流石に後味が悪い。
「伯爵は彼女に呪いなんてかけていないよ?そもそもそんなことをする意味がない。あの晩だって彼女の寝顔を眺め、頬をひと撫でしただけさ」
意味がない……果たして本当にそうだろうか?
長命のヴァンパイアにとって、人々の苦しむ姿は最高の酒の肴。それを長く楽しむ為に、ゆっくりと徐々に命を奪う呪い。
理にかなっているのではないか?若干、違和感を感じる部分はあるが。
「それでは本当に心労から来る病なのか?」
「……5年前のあの晩。伯爵は領主の屋敷に忍び込んだ。侵入者に気付いたサンドリヨン公は伯爵と口論の末、殺されてしまう。騒ぎを聞きつけた兄も公の亡骸を見て伯爵にくみかかるが斬り捨てられる。
その有り様を見た幼い少女が心に傷を抱えても、何もおかしくはないね。そういう意味では確かに伯爵が呪いを与えた、とも言える。
だが、それも第三者による見解に過ぎない。
伯爵を倒すことでこの「呪い」は解けるかい?」
「……無理、だろうな。もしかしたら逆にその怨念が彼女を生き永らえさせている可能性すらある」
「結局は彼女自身がどう捉え、どう受け入れるか?の問題なのさ」
既に彼女は自分の存命をほぼ諦めている。少なくとも伯爵の討伐をより優先していることは傍目にも明らかだ。
己の信念と彼女の願望、そのどちらも伯爵を討たねばならない存在と捉えている。それだけは彼女もB.E.も同じで、決して譲れはしないだろう。そしてそれは他の事柄よりも格別に優先される。B.E.が多くのものを犠牲にして伯爵を追い続けて来たように、彼女もまた、領民の平和のため、伯爵を討たねばならぬと信じ、全てをかなぐり捨てて臨んでいる。
故に、やはり事後の彼女のことは二の次、三の次。呪いがあるかないかも含めて、今考えても仕方ない――もしかすると今は考えない方がよいかもしれない事柄なのだ。
「――そうだな、彼女を永らえさせるために伯爵を討つわけではないのだからな。まぁ、それ以前に一つ致命的な問題があるわけだが」
「致命的な問題?」
「伯爵の強大な魔力に対抗出来る武器がない」
「武器がない?ハンターの君が武器を持たないって?」
「俺はヤツの力を侮らない。真祖の一人にして純血のヴァンパイアだからな。並みの武具では太刀打ちできないだろう……もし、何か使えそうな武器があれば、貸してもらえないだろうか?」
リサーチャーが困ったような表情を見せる。
「観測者のボクにそんなことを頼られてもねぇ……そんな都合のいい武器は持っていないよ。魔力付与くらいなら出来るけれど?」
「魔力付与?」
「その腰の剣を一日、ボクに預けてくれるなら、伯爵の魔力を相殺出来るように魔力を備えさせてあげるよ」
「それは助かる」
そう言って剣を差し出す。
「……やっぱり迷わないんだね、君は」
当然だ。つい今しがたB.E.は呪いのこととかけて自分が為すべき事を確認したばかりだ。
伯爵を討つ――
それが最上であり、必須であり、絶対だ。
「あなたが喜ぶような礼が出来るとは思わないが、どうか、よろしく頼む」
「――確かに承ったよ。明日の夕刻には宿に届けるよ」
小屋を後にし、帰途につく。来るときに惑わされた森もあっさりと開けて農夫に道を尋ねた農道に辿りついた。
それは確実な前進であり、B.E.には文字通り道が開けたと目に映ったのだった。