若い領主の願い
そう、それはいつの時代か、どこの国の話かも分からない、そんな古びた物語……
今となってはおとぎ話でよく耳にする、そんなありふれた物語です……
男は屋敷の主に取り次ぎを願うとその場で――門の外で暫く待つように言われた。
革のベストを着込み、ずだ袋を肩に担いだ風体は流れ者か、はたまたならず者か。右眼の眼帯から大きくはみ出した傷痕がまた近寄りがたい雰囲気を漂わせている。
程なくして門が開き、男は中に招き入れられた。
「領主様はお体の具合が優れぬゆえ、寝室での会見となりますがお許し下さい」
赤い絨毯の敷き詰められた廊下の先をゆく、案内役の年老いた執事がかしこまる。
「構わないが、流行り病か何かか?」
「それは私からは申し上げかねます」
やがて執事は歩みを止め、両開きの扉をノックする。
「B.E.様をお連れしました」
「どうぞ、お入り下さい」
中からは若い女性の声で返事が返された。執事が仰々しく扉を開くと、ベッドには齢20に満たぬであろう少女が横たわっていた。長い金髪を太く三編みにして胸元に垂らし、上半身だけ起こしてB.E.を見据える眼差しと顔立ちはとても病人には見えなかった。
「ようこそおいで下さいました。私が領主のクリオラ・サンドリヨンです。このような姿で失礼致します」
一瞬言葉を失ったB.E.にクリオラは優しく微笑みかける。
「私のような者が領主を名乗り、驚かれましたか?亡き父の跡を継いではや5年……皆さんの力を借りてどうにか務めていますが、未だに初めてお会いする方には驚かれます」
口元に手を当てて小さく笑う。
「失礼した。そうか……いや、今のご時世、そういった話はよく耳にする。
……それでは、これは貴女が?」
そう言ってB.E.は胸ポケットから小さく畳んだ紙切れを広げる。紙切れには簡潔に3行だけ書かれている。即ち、
【依頼】
【魔物の討伐】
【領主 サンドリヨン】
クリオラが小さく頷く。
「はい、その通りです。実はこの村は数年前から魔物の脅威にさらされているのです。私の家族もみな、魔物の手にかかりました……
ですが、このまま魔物達の影に怯えながら暮らす謂れは、私達にはありません」
シーツを握りしめる手が小さく震えるのをB.E.は見逃さなかった。
「それは、仇を討てと?」
「そうは申しませんが、そう取られても構いません。私はこの村に平穏を取り戻すことが出来ればそれで構わないのです」
怒気のためか頬が赤らむ。しかし、その怒りが何に向けられたものかは計りかねた。魔物達が村を脅かすことか、それとも理不尽に大切なものを奪われたことか。はたまた己の心に土足で上がり込もうとする無礼な流れ者に対してなのか。
(理由など、どうでもいい……)
「所詮俺も一介のハンター、仕事があると思ったから来ただけだ。詳しい話を聞かせてもらいたい。期限や報酬……それに敵の情報はある程度掴めているのか?」
実際、これだけの情報では何が何やらわからない。この依頼書を酒場の依頼掲示板で見た時には何かの悪戯かと思ったほどだ。マスターの口添えがなければここには来なかっただろう。
「魔物の親玉が遥か北の山中にある廃城を根城にしていると言われています。更に詳しいことは南の森に住むという「リサーチャー」なら、何か知っているかもしれません。魔物に関する怪しげな研究をしていると聞きます」
「一口に魔物と言っても色々なヤツがいるが?レイスなどの実体のないヤツらは悪いが俺の専門外だ」
「これまでに村を襲ったのは、インプやグレムリン、それからサキュバスにスケルトン……デュラハンが現れたこともありました。剣で渡り合える相手だと思います。
ただ、魔物の親玉だけはそうもいかないでしょう。それらの魔物たちを束ねている、真に恐るべき存在……それは、ヴァンパイアなのです……」
自分が倒すべき相手を知らされてB.E.の顔色が変わった。
「充分な報酬がご用意でき……」
「クリオラさん、この依頼、受けましょう」
話を半ばで遮る承諾の言葉に流石のクリオラも驚いた。
「ほ、本当ですか!?ありがとうございます!」
ほうっと安堵の溜め息の後、しかし、クリオラが申し訳なさそうに続ける。
「ですが、ヴァンパイアの討伐をお願いするには充分な報酬をご用意出来ません。彼の手下を討って下さるだけでも、随分町は救われます。どうかご無理はなさらないで下さいね?」
「分かった。報酬は期待しない」
言い放つB.E.にクリオラは眉をひそめる。B.E.にしてみればこんな片田舎の町がヴァンパイア討伐の適正な額の報酬を用意出来ないのは目に見えて分かりきったこと。しょぼい町だと卑下したわけでも、クリオラの心配を無下にしたつもりでもないが、屋敷の人間の目には高慢に映ったのだろう。
「不思議な方ですね」
気まずい沈黙をクリオラの一言が唐突に切り裂いた。
「あなたのような生業の方はリスクと見返りを天秤にかけるものと思っていました」
「知らないのか?神様ってのは俺みたいに普段信心の欠片もないような輩がたまに見せる善行が一番お気に召すらしい」
あまりお人好しに思われても面白くないので適当にはぐらかす。だが、それがまたクリオラには可笑しかったらしく、クスリと笑いを漏らす。
その直後に、クリオラが咽せ込む。執事が慌てて駆け寄り、水を差し出すが、それも取り落としてしまった。ようやく落ち着いた後で、クリオラが力なく笑う。
「……すみません、お見苦しいところを……」
「具合が良くないとは聞いていたが、見た目よりも随分とひどいようだな」
大きく息をついて、クリオラが答える。
「……はい、お医者様が言うには、恐らく次の冬は越せないだろう、と」
(あと1年足らずの命だと!?)
だが、妙に納得できた。残り僅な命だからこそ必死なのだろう。
実際のところ、彼女自身にも彼女の感情は把握しきれていないように見える。しかし彼女が村民を思う領主であれ、肉親の仇を望む復讐者であれ、いずれの場合でも、ヴァンパイアを討つことは彼女にとっては必須なのだ。となれば全てをかなぐり捨ててでも、という彼女の姿勢は至極当然だろう。
「この依頼に期限は設けていません。依頼達成の前に私が息絶えてもよいように遺書もしたためてあります。ですが……」
これまで気丈だったクリオラの表情に初めて、目に見えて陰が差した。
「ですが、町が平穏を取り戻すまでは、死んでも死に切れません……」
彼女の願いは、時間があれば何とか解決出来る類いのものではない。しかし、自分に残された時間の少なさを嘆く少女の顔には、絶望と悲嘆に塗り潰されたかに見えたクリオラの瞳には、それでもなお揺らがぬ決意の光が宿っていた。
「兎に角、まずはその「リサーチャー」に会って来よう。あなたは少しでも養生して下さい。また何かあったら宿の方に連絡を」