009 夢への鍵
「そろそろ準備を始めましょうか」
刹那は達は随分前に食事を終え、次が出る今宵まで待っていたのだ。運がいい事に今宵は満月だと刹那は言っていた。何の意味かは阿良々木にはさっぱり分からない。
訳が分かっていない阿良々木を置いておいて、刹那はガラスのコップに注がれた水をこくりと言う軽い音を立てて飲み干した。人間の姿を取っていたアクラは食事の食器を洗え終えたのちに何時もの物怪の姿に戻っており、今は机の上にちょこんと乗っかっている。
刹那は机の上に置いてあった黒いファイルの中からある物を取り出した。その物とは、阿良々木からひったくっあの依頼書だ。小さな小窓から見える月は綺麗な満月。薄い光が角度によって銀色などにも見え、妖艶な雰囲気を醸し出していた。
外に出た刹那は普通の家よりも少しだけ広い庭で空を軽く見上げたのち、静かに阿良々木の方を見た。
「スイマセン、阿良々木さん。井戸水、汲んで来てくれませんか?」
「へ…… あ、お、俺が?」
と言うよりも自分しかいないだろうが、月に見惚れていたせいか阿良々木の反応が遅れてしまったのだ。多少めんどくさいと言うのも頭の中にある。古来より、力仕事は男の役目だとか言う話があるだろうが、正直いい迷惑だ。
男だからと言って力がある訳でも無い。女よりも筋肉が付きやすい性質を持っているだけとも言える。阿良々木は平均的な男よりかは筋肉があるだろうがそれでもめんどくさい事に変わりは無い。
《井戸は裏庭の奥にある。そこの綺麗な水を持って来いよ》
何時も何時も上から目線な物の怪に阿良々木も多少我慢の限界に来ていた。
「俺に命令するな! 毛玉!!」
《毛玉だと!? 俺は毛玉なのでは無い!》
「どっからどう見ても毛玉だろ!! なんだその丸っこいふっわふわの毛並は!!」
《ふっ… 毎日の様に刹那にブラッシングして貰っているからな》
自慢げに鼻で笑うアクラに対して、阿良々木もキィ~ッと怒る。
「んな事はどうでもいい! ちょっと羨ましいカモしれないけど――…」
《ほれ見ろ。 嫉妬はめんどくさいぞ~色々》
「っ…… 俺はロリコンじゃねぇ!!」
《ロリコンだろ? 実際十歳年下の相手に…》
「あああああああああああああ!!!!!!!!」
ギャーギャーと五月蠅い阿良々木とアクラの言い争いをチラリと横目で見た刹那。顔には「何やってんだ此奴等」的な冷たい視線と共に浮かび上がってきていた。因みに阿良々木の叫び声などは外には漏れておらず、塀に彫ってある紋章の様な結界で防音や妖魔の出入りの制限なども出来ている。現在刹那が使っている奴は防音と妖魔の出入りの制限だ。契約妖魔以外は出入り禁止にしている状態なのだ。
「壷… 用意するか」
刹那はそう言ってふらりと足を滑らせ、家の隣にある倉庫へ向かった。
刹那の家は代々妖魔師であり、その妖魔師たち……ご先祖様が集めた特殊な道具を置いてあるのがその倉庫…倉とも言えよう。倉の中には色々な物が入っており、刹那はその全ての場所を何に使うのかと言う物まで全て記憶しているのだが、いざ探そうとなると少しだけ時間がかかった。
「………アクラめ…… 重い物は下に置けって言ったのに…」
お目当ての壷を見つけた刹那は阿良々木と今も尚、言い争っていようアクラに軽く殺気を向けた。仕方が無く刹那は体内にあるアクラの妖力を使いひょいっと軽々と壷を持ち上げる。
「確かに妖力使えば簡単だけどさぁ… 一応結構体に来るんだよね」
刹那は常人離れした身体能力を持ち合わせているがそれでもプロのアスリートを繋ぎ合わせた様な物。訓練を繰り返しても、妖魔の異常な動きについていけるハズも無い。
刹那が最初に教え込まれたのは体内にあるアクラの妖気の使い方だった。これさえ分かれば、妖魔を眼で簡単に追う事も可能だし、常人離れした肉体を得る事が出来る。副作用として、使った後は激しく体が消耗…悲鳴を上げるのだ。無論これもアクラの妖力で治せるのだが本人が直接的に意識しないと駄目な訳であり、刹那は自分の傷の治療は出来ないのである。
「もう少し、西かな……?」
倉の中から壷を取り出した刹那は月を見上げて首を傾げた。庭の真ん中に置いているつもりなのだが、目測ではやはり分かりにくい。水を入れればいいだけの話なんだが、肝心の水はまだ届かない…と言うよりも水を汲みに行っても居ない。
他人に頼んだ自分が悪いのだ。刹那は軽い溜息を吐いたのち、昔ながらの桶を片手に持ち静かに溜息交じりに告げた。
「やっぱりいいです。阿良々木さんはココで座ってて下さい」
使える物は使う主義の刹那であるが使えないと分かった瞬間、斬り捨てると言う決断を下すのは早い。怒ってもいない刹那は無表情で井戸水を汲んで来ようと歩き出した瞬間、阿良々木が刹那の持っている桶を軽く掴んだ。
「大丈夫だからさ、俺が行くよ。 女の子に力仕事を任せるのは俺として―――少し、アレだからさ」
あれと言うのはまぁ、察して貰いたいと言う訳である。頭のいい刹那ならばすぐに分かったらしく「じゃあお願いします」と桶を預けて家の中に入ってしまった。恐らくこれから何らかの準備があるのだろう。阿良々木はそう決めつけたのち、軽く溜息をついた。
めんどくさい事を引き受けてしまった物だと思いつつ、それでも彼女の役に立てるのが嬉しく思えた。あの黒い毛玉のおかげで散々な眼にあったが、阿良々木は息を付いて裏庭へ行こうとした時、アクラが軽くぽんっと言う音を立てて毛玉から小犬へ姿を変えた。毛玉では移動しにくいらしく、普段毛玉で居る理由は刹那の体力を極力減らさない為だと本人は言っていたが真意はどうかは分からない。
案内役をするようにアクラは阿良々木と眼を合わせない様に歩き出した。眼が合えばまた先程の二の舞いだとアクラは考えているからである。さりげない気遣いが心地よい様にも思えるのだが、何だか自分が頼りない様に思われているのが少し癪に障った。実際、自分よりも十歳下の女の子を死ぬ危険性のある仕事に送っている訳であるから癪に障る何て事、言ってはいけないのだろうが。
小犬の姿をしたアクラについて行った先にあったのは少しだけ古びた井戸。何だかあまり手入れをしていない様に思えたのだが、井戸の底を除けば綺麗な透き通った水が入っていた。ちょろちょろと湧き出しているのか、軽く泡の様な物が見える。持って来た桶を井戸の石部分に置き、括り付けてあった桶を井戸の中に投げ入れてロープを引っ張った。ぬめりと滑っている紐を引き上げる阿良々木。長年使っていなかった為か紐ばかりはぬかるんでいる様に思えた。井戸から桶を引き上げた阿良々木は驚いた様に眼を見開いた。井戸水につかった部分だけであるが、あのぬかるみが感じられないほど消えていたのだ。真新しいとも言えるぐらい、新品同様に綺麗になった紐を見て阿良々木は驚きを隠せずに居た。
そんな阿良々木を見てか、アクラがクックックと喉で軽く笑ったのち、ニヤニヤとしつつも説明をしてくれた。
《驚いたろ? この水は龍脈の加護があってぬかるんでるコケ何かは一瞬でその莫大なエネルギーに耐えられず消えちまうって訳だ。 因みになんでその紐は消した飛ばないかと言えば… この紐を作った三代目だったな、奴は好んで加護のある物を作る奴で家の中にある特殊な物は全てアイツが製作した物だ》
どうやら特殊な紐のおかげで消し飛ばないらしく、詳しい説明をされてもあまり頭の中に入ってこなかった阿良々木。こう見えて、国語の成績は悪い様だ。取りあえず水を桶の中に入れ、阿良々木はゆっくりと歩き出した。ピョンッと井戸の屋根の上から降りたアクラは先程よりもゆっくりと前を歩く。さりげない気遣いは阿良々木に対する信頼の証と言う風に思いたい。阿良々木は何を考えているのかあまり分かりにくい小犬の背を小さく見て微笑し、水を溢さぬようにそれでもギリギリまで早く歩いた。
◆ ◆ ◆
その頃… 刹那は己の自室で独り、悩んでいた。
「着物がいいだろうか…? それとも軍服か…いいや、今のままの服装か…はたまた着慣れている制服か…」
自らの姿を鏡に映し、「うーん」と考え悩む刹那。これから向かうは獏が居る場所。極めて難関と言われ、たどり着くのでさえ困難を極めると言われている場所だ。着物は―――綺麗だから刹那は好きだが、戦闘服にしては動きにくい動き方が鳴れていない為却下。制服はスカートがヒラヒラしているから此方も却下。
残るは今来ている拭くか迷彩色の様に濃い暗いグリーンを基準とした軍服である。今来ている服も動きやすいと言えば動きやすいのだが、でも最も動きやすいのはオーダーメードで戦闘用に軽量化、そして防御力の高い軍服だろう。雑魚妖魔相手ならばこんな事は考えないのだが、今回は獏だ。何があるか分からない為刹那はハンガーにかけてある軍服を取った。
パーカーをぱさり…と地面に落とし、ズボンも脱いで軍服を着はじめる。軍服は至る所にポケットなどがある。ズボンのベルトをカチャリとしめた時、どうも気になるのは長い髪だ。戦闘の時かなり邪魔と言っていい。
チラリと机の方を軽く見れば丁度机の上に置いてあった青い髪紐が目に入った。これは神崎里美から貰った髪紐であり、一度付けた事のある刹那だがかなり似合っていた。アクラ曰く、「貢物」らしい。一週間に一回ぐらいは何かしらの物を貰う為プレゼントよりも貢物の方が似合ってもいるだろう。でも、全てものが刹那に似合う様に考えられ、そして一度も被った事も無いと言う優れものだ。物凄い刹那信者と言えよう。彼女の正体を知ったら、どうなるかは分からないが。
軽い嫌がらせの様にも思える時があるのだが、それでも重宝する物もたまに貰える為にそう言う時は刹那も「ありがとう」などと言って礼を言って物を受け取る場合もある。髪紐の色は鮮やかな青色なのだが月の光によってか軽く銀色に光っている様にも見えた。刹那簡単に髪を手でつかみ頭のてっぺん辺りで持ち上げる。そのまま器用に紐で縛ってしまうのだ。ポニーテイルが完成した所で刹那はくるりと一回転体を回転させる。
「ふぅ…… まぁ、こんなモンか…」
くるりと回れば髪が揺れ、ついている髪紐も小さく揺れた。刹那は満足した様に頷き、そしてそののちに静かに階段から降りた。不意に眼に入るのは花瓶の中には一輪の白いアネモネ。
「花言葉は確か――――…… 希望」
思い出して刹那は小さく笑みを浮かべた。何に対しての“希望”か、自分が死ぬ事に対してか、それとも誰かが願う事全てに対しての“希望”なのか…。
「丁度いい…」
刹那は小さく微笑したのち、アネモネをするりと花瓶から出し、手に取った。そのまま向かうは家の庭。静かに建て付けが少し悪い扉を開ければそこには樽を傍に置いて待っていた阿良々木が居た。
「お疲れ様です。阿良々木さん」
「え、ぁ… う、うん」
疲れた事は別の意味で疲れた阿良々木であった。刹那は持って来たと思われる白いアネモネと黒い革の靴を履き、静かに阿良々木の方を見たのち、井戸水の入った桶を受け取り大きな細長い壷の中に井戸水を流し込む。ジョォオオ…と言う音が響き、水は壷の中いっぱいに入る。丁度その時、月が壷の頭上に居るのか壷の中に月が在る様にも見えた。
その中に刹那はポケットに折り畳んで仕舞い込んでいた依頼書を取り出しあろう事かその水の中にひらりと落とした。斜め後ろで阿良々木が「あぁあああああ!!!?」と言う声が聞こえたのだが、防音対策のおかげで外には漏れていない。「別に処分するなら水でも同じでしょ?」と言う様な眼を阿良々木に向けた刹那。阿良々木はその意図を呼んだらしく、コクリと小さく頷いた。
綺麗な井戸水の中で依頼書は浮くどころかどんどん沈み込み、軽く泡を吹いた。井戸の底まで到着したと思われる依頼書を見て刹那は上を軽く見上げた。月はまだ、この頭上に浮かんでいる。黒い雲がゆっくりと月を覆い隠す様に動き月がすっぽりと雲に隠れた頃、ぼこ…と言う音が壷の中から聞こえて来た。雲の間から漏れ出す月の光を消し去り、後には何も残らなかった。それを見て刹那は小さく笑った。持っていたアネモネを取り出しそのまま壷の上で落とした。重力従い、アネモネは壷の中に音を立てて堕ちる。
すると、不思議な事に壷の中に入ったアネモネがどんどん水を吸い込んでいた。水がぐるりと吸い込まれる様に移動し、アネモネを中心に渦巻いているのだ。しかし、その吸い込んでいる水は水と言う水ではない様にも見えた。微かに目視可能な陽炎の様な光景は普通の水では無いと実感させられる。
水を全て吸い込んだ白いアネモネは何だか黄金色の様にも見えた。刹那は浮かび上がるアネモネを掴み、静かに笑みを浮かべた。
「鍵の出来上がり」
鍵―――…。
刹那の言葉を聞いて不思議そうにひょっこりと壷を覗き込めば壷の中には何も残っていなかった。阿良々木が破棄するハズの依頼書も、運んで来た水も。一切、残っていなかったのだ。
依頼書は水に溶けたと言えば頭がまぁ、納得するのだがその肝心の水さえも消えていた為頭はこんがらがるばかりだ。これはある意味、ミステリーを通り越して若干ホラーの様にも思えた。
「流石はご先祖様の壷。 効き目抜群だね」
《三代目の創作品は他の妖魔師だったら喉から手が出るほど欲しい物だろうな》
妖魔師の中でもこれほどまで物に力を込めると言う事が出来る人間は皆無だ。しかも、何回も使えて壊れる心配が無いとなれば喉から手が出てもおかしくないぐらいに欲しい代物に違いない。
「アクラ、これ戻してきて」
《……分かった》
自分で行けよ。みたいな眼を向けたアクラだが刹那がやれと命令していた為に素直に間を開けて従った。ぼふっと軽い音を立てて人間の姿を取り、ひょいっと軽々と壷を持ち上げて倉の中に入ってしまう。
刹那はそんなアクラを見て、小さく息を付いたのち手の中で軽く黄金色に輝く元、白いアネモネを見ていた。
「それは……?」
アネモネに視線を移していたせいか、阿良々木がふと問いかけて来た。
このアネモネの正体が知りたいのだろう。刹那は静かに言葉を履き出した。
「鍵ですよ、阿良々木さん何度も言う様に」
「鍵……?」
阿良々木の言葉に刹那は静かに頷いた。
「あの依頼書は鍵だったんです。獏の空間へ行く為の。 獏は貴重価値の高い妖魔です。その理由は出会えないからと言うのに属するでしょう。 獏は滅多に夢から出て来ません。その為、妖魔師が出会える確率もごく僅か。 けれども依頼人…この妖魔師は恐らく一回こっきりではあるが獏の空間へ眠らずに行く方法を見つけたのでしょう。 そして――…」
「この、カラクリを解いた妖魔師に獏と出会う為の鍵を渡す…」
阿良々木の言葉に刹那は小さくまた頷いた。
「古来より、古来より月には強力な力。 魔力があるとされ、その魔力は全てを無効化、解除する力を持っているとされます。 この力を応用する道具が先程の壷。特殊な水も必要なのですが、条件が三つそろえば入れた物を何でも解除する事が出来るんです。 その、必要な物は一つは壷、二つは特殊な水、三つは満月。この条件さえそろえば何時でも〈満月の雫〉が出来ます」
「〈満月の雫〉って……」
〈満月の雫〉に食らいついた阿良々木。
名の由来、意味はとてつもなく単純だ。
「能密度な満月の力を一滴の雫にする、と言う様な意味です。ハッキリ言って英語にしただけなんですけど…そのまま〈満月の雫〉という人も居ますが、〈満月の雫〉と言った方がカッコイイんで大概の妖魔師はソッチを言いますね」
阿良々木はその発言に唖然とする。まさかカッコイイとかカッコよく無いとかで命名を軽く変えてしまうのだ。妖魔師も一応人間であるから、ぶっ飛んだ事はするだろうと薄々感じてはいたが改めて言われるとかなり唖然としてしまう。と言うかそんなの別に関係ないだろ!と思ってしまう内容が多いのだ。
「あ、それじゃあその黄金色のアネモネは?」
「あぁ、これは見ての通り〈鍵〉です」
「〈鍵〉……?」
態々英語で言うと言う事はまた何かしらの意味があるのだろう。
「これは夢へと繋がる鍵、もしも名づけるなら〈夢への鍵〉でしょうか?」
「ナイトメアって…それじゃあ悪夢でしょ?」
頭のいい刹那ならば意味を理解して使っているハズだろうが…にしてもネーミングセンスが少しかけている様な気がする。
「獏は悪夢を喰らいます。そんな彼に出会う為の夢の様で悪夢の様な鍵… まさにナイトメアがピッタリだと思いますが?」
確かに響きはカッコイイ。だが、そのまんますぎて何か嫌だ!と感じてしまう阿良々木は馬鹿では無いハズだ。
《刹那、運び終えたぞ》
「お帰り、アクラ」
人型から終わった所で小犬に戻ったのか刹那の胸の中に飛びつく。刹那は静かに向かい入れてアクラを何時もの定位置に近い方に乗せる。持っている黄金色のアネモネをアクラの鼻に近づけ、匂いを軽く嗅がせた。
「アクラ。 次は貴方の番だけど―――分かるよね?」
静かに笑みを浮かべる刹那。こんな所があの毛玉に似ていると思ってしまう。
《無論だ。 しかし刹那。 その前に阿良々木には退場を願った方が俺は良いと思うが?》
軽い毒舌を聞き流す刹那であるが実際阿良々木には退場して貰った方が都合がいと言うかもとよりそのつもりでもあった。刹那は阿良々木方を軽く見て静かに口を開いた。
「阿良々木さん。 悪いんですけど今日は帰って貰えますか? これから先は妖魔師の領域ですから。 だから足手纏いの阿良々木さんは帰って下さい」
柔らかな口調で話されてはいるが、明らかに隠されている言葉に貶されている。相手を傷付けないような言葉を選んでいる様だが、元々刹那はオブラートで包むのは苦手な娘だった。その為これでもせえ一杯。オブラートで包んだ方と言えよう。どうせならばバッサリ斬り捨てて阿良々木の精神的ダメージ負わせればいいのに。なんて思うアクラは鬼だ。
しかし、阿良々木も馬鹿では無い。妖魔師である彼女等に敵うハズが無いと頭の中では理解している。だけれどもやはり悔しいと言う気持ちは阿良々木の中で強くあった。無力な自分がこういう時には無性に呪いたくなる。しかし、好奇心を働いて彼女に無理を言って共に向かえば彼女の足枷になる事は眼に見えている。実力の差と言う奴が生まれた時から決まっていたこの差を阿良々木は何だか虚しく思ってしまう。けれども、仕方のない事。一般人の子供に生まれるか、妖魔師の子供に生まれるか、だたそれだけの違いなのだ。
阿良々木が背を向けて去った後、刹那は静かに息を吐いた。
《どうした? 刹那》
不思議そうに此方を見て来るアクラを見、刹那は静かに首を横に振った。何でもないと言う意味だ。「そうか…」と言って引き下がるアクラの優しさの甘え、刹那は静かにアネモネを宙へ放った。そして、すぐに言霊を放つ。
『導け』
言霊を放てばアネモネの周りに一瞬だけ言霊が漂い、そしてその中に縛り上げられる。アネモネはコンパスの様にゆらゆらと少しだけ揺れたのち、とある一点を差した。刹那は静かに言霊と放ち、『来い』と命令する。そうすれば刹那の手の平の上にアネモネはふわりと降り立った。
「アクラ、変化」
静かにそう言えばアクラは肩から降り、ぽふんと言う音を立てて人一人乗れるぐらいの犬……狼に変化する。ちゃらりと音を立てたのは刹那が軍服に何時も付けている時計。ケータイ何て持って行けないから仕事中は何時もこの堤時計を持っているのだ。
「アクラ、行って」
アネモネの差す方向は真上、つまり天だ。
《しっかり、捕まってろよ…》
「言われなくとも」
刹那は両手が開かない代わりにアクラのお腹を思いっきり足で挟んだ。苦しそうに軽く「ゔ…」と言う声も聞こえたが刹那は聞えなかった事とした。アクラは身を縮め、後ろ脚に妖力を思いっきり込めた。そのまま渾身の一撃でジャンプ!
ゴウゴウと刹那の耳元で風が唸りちらす。居心地のいい音と言えるか分からない音に対して眼を細め刹那はアクラのジャンプがピークに達した時点でとある物を見つけた。
「アクラ、あそこ…」
《!》
見つけたのは空間の狭間。普段は分かりにくく、この様な鍵に反応して開きが見える様な状態だ。因みに一般人が特殊な鍵を拾ってその空間の中に入って妖魔に食い殺される様な事があったりする。世の中ではこれを「神隠し」などと言ったりもする。
刹那が見つけたその空間の狭間はとても狭く今のままでは入れない事は確実であった。刹那はアネモネの茎を空間の狭間へ向け、ヒュンッと投げた。すると空間の狭間はいとも簡単に開かれた。
「行こうか、アクラ」
刹那の言葉にアクラは小さく笑みを浮かべた。
そうだ、彼女の在る べき場所は平凡な世界では無い。自分達と同じ―――非現実な世界だ。彼女は産まれた時から異物ているのだ。自分達と共に居ればいい。温かい場所の温もりなど知らず、冷たく孤独な世界を共に生きよう。永久に―――ずっと。
《あぁ、無論だ》
アクラは軽く返事をし、その空間の中に足を踏み入れた。
その瞬間、二人は何者かの影響により―――鮮やかな眩しい光に包まれた。