008 政府の人間
〈妖魔師〉とは政府の裏の処理役にも一役買っている者達の事である。大体の物は金を払えば何でもし、何でもと言っても殺しでは無く妖魔の退治や情報の末梢や隠滅など。
そんな中で妖魔師と政府の間では一つの契約が成り立っていた。それは妖魔師としても是非とは言い難い物であるが、その分金が払われる為問題ないとされている事である。妖魔師は極秘的に妖魔を狩らねばならないと言う物。
妖魔と言う存在が公に公開されれば混乱が待っているのは眼に見えている事だからだ。妖魔師としては公にして貰った方が動きやすい為、ありがたい話であるのだがそこだけは政府は頑なに許さなかった為に妖魔師は極秘組織扱いされている訳である。
話は変わる。
〈犬神家〉とは酷な生き方をする一族だと聞いた。体内に犬神を宿し、それが未来永劫続いて行くと言う。回避する手立てはたった一つとされる。子を産む事、そうすれば化物は自分の体から子供の体に映り、子供の体に住み着く。その産んだ化物を宿した娘を殺せないと言うのはやはり親の情と言う物だろうか?
それとも、今まで自分が苦しんだ分だけ子供にも苦しんで貰いたいだけなのか…何方にせよ、産まれて来る子供からしてみれば迷惑な話であり、周りから見ればとても酷だと言えた。
黒い高級車の中で阿良々木は静かに資料を読みつつもそう思っていた。彼の名前は阿良々木光矢。自分の名前を気に入っている訳でも好きと言う訳でも無かったが、しかしどうもあの子供に出合ってからと言う物自分がよく恵まれていた環境下にあったと言うのが目に見えて実感できた。自分の名前が輝いて見えるのはやはり〈情〉と言う物も深く関係しているだろう。
歳には似合わない濁った様な灰色の短髪は自らの目測年齢を更に増しており、変な意味、存在感を発揮させた。実年齢は二十六である阿良々木であるが、目測の年齢はかなり老けており下手すれば四十代後半に見られる事もしばしばあったりする。
そんな事もあって、髪を染めようかと思った事も何度もあったのだが喰い留まった。それはこの髪が遺伝であった事もあったし、何より亡き祖父譲りであった事仇からだろうと自己的に思っている。祖父は英国人で阿良々木は世の中で言う〈クオーター〉と言う人種に分類される。クオーターと言うのはあっさり言ってしまえばハーフの更に血が薄いバージョンである。母がハーフだった事もあってか自分もニホン産まれであったとしても英国の血が入っている訳であり、小さい頃から今の今まで近所のガキんちょ共からからかわれたものだ。今も変わらないが。
不意にそんなどうでもいい事を思いながらも窓から外の景色を眺めた。何時もと変わらぬ風景を意地出来るのは彼女等、妖魔師のおかげなのだと思ってしまうと少しだけ無力な自分が嫌に感じてしまう。
と言っても、阿良々木自身、妖魔などと言う空想動物を見た事は無し、その事を上司から放された時は本気で上司に対して「コイツ馬鹿か?」なんて思ったりしたものだ。無論口に出したら即刻クビになってしまう為踏み止まったが。
妖魔に初めて出会ったのは上司に渡された住所の先、今も向かっているが…独りの少女の家だ。上司に貰った資料によればその娘は人柱として産まれたも同然の様であり、そして誰もが彼女の中に居る者、引いては彼女の死を望んでいた。
彼女の体内に居るその妖魔は彼女以外の人間を安々と咬み殺せるのだと言われて、ビクビクして会ってみればソイツは驚くべき事に小さな黒い毛玉の様な生き物であった。見た目からして妖魔だとは思ったがまさかこんなのが妖魔だとは思っておらず、一応主人だと思われる娘に聞いても不思議そうな眼で見られ、頷かれただけだった。
前か後ろも分からない黒い塊、毛玉を抱き上げていたのは漆黒の髪を持つ独りの大人びた少女。その眼は何も映さず、何者も寄せ付けないような瞳であり、簡単に言えば誰にも期待していないようなそんな眼であり、実に子供らしくない眼だと思えた。
阿良々木自身、一番最初に彼女に抱いた感情は「恐ろしい」だの「怖い」だのと言う、「恐怖心」の塊でしかなかった。彼女は人の感情を敏感に察知するのだろう。自分が彼女を恐れていると見抜き極力何も話さず瞬時に話を終えて自分の部屋の方へ逃げる様に足を滑らせて往ってしまう。成れている様に思え、良く良く考えたのちに、次に会った時に瞬時に謝った。
謝罪を言えば彼女は困った様な良く分からないような顔をした。恐らく謝られる事なんて皆無だったのだろう。慣れていないからか彼女は軽く頭を下げてその場から逃げる様に早足で去った。
その時の依頼を受ける時は何時もの彼女では無く黒い塊…毛玉だった。彼女はその毛玉に「アクラ」と言う名を与えていた。特に意味は無いらしい。
阿良々木はその言葉を良く考え、独自に意味を予測していた。「アクラ」と言う文字を漢字に変換すると「悪」と後は「羅」と言う文字が出て来た。「悪と檻」言う意味の様にも見えた。「悪」とはその通りの意味であり、「羅」と言うのは鳥や小動物などを捕獲する為の網を意味する言葉であるのだが、それらを彼女が言いそうな言葉で考えれば… 悪と言うのはあの毛玉。 羅と言うのは彼女自身の事、自分の事を小さな物と言いその者の檻とも言っているのかもしれない。
推測でしかない名前であるが、でも必ずその名にも意味があると阿良々木は考えている。例えどんな道端に生えている雑草とも言われる存在だろうが、雑草と言うのは本当の名前では無い。雑草と言うのは人の生活範囲に人間の意図にも関わらず自然に繁殖する物の事を意味する。彼女の通称は忌み子。それは名前であり、名前で無い物。それでも阿良々木からしてみれば彼女の名前は名前と言って良いのか分からなくなってしまった。
「着きましたよ~ 阿良々木先輩」
ニヒヒッと意地悪く笑うのは神崎終夜阿良々木の後輩であり、彼からしてみればウザイ部下である。
高級車で彼女の家の近くまで行けば目立つ為、駅の辺りから歩いて彼女の家に向かう。彼女の事だからもう家の方に居るだろうと思い込み阿良々木は鞄を片手に持ち車から出た。
「刹那ちゃんによろしく~ 阿良々木先輩」
「とっとと行け、神崎」
「へーい」
阿良々木は車を一瞬蹴ろうかと思ったがコイツは阿良々木の持ち物でも神崎の持ち物でも無い。政府の私物である為傷付ければ自腹での弁償が待っている。阿良々木はそれを思い出し、踏み止まる。
高級車を軽く見送った阿良々木は車とは反対方向に歩き出した。
(早めに終わらせるか…)
家に誰かを待たせている訳では無いのだが、あまりに遅いとあの馬鹿…神崎が色々とかなり色々と五月蠅いのだ。それを十分知っている阿良々木は足取りを早くし、彼女の家へと足を滑らせた…。
◆ ◆ ◆
彼女の家は代々妖魔師である為か、家の裏にもチャイムが付いており阿良々木はそれを軽く触れて音を小さく鳴らした。周りに気付かれない様に微量に近い音量を微かに耳に捉えた阿良々木は肩を固まらせて彼女を待った。
ある意味いい歳したオッサンがこんな事をしているのは何なのだが、ハッキリ言って仕事と分かっていても何だか…こう、嫌な気はあまりしないのだ。
ガチャリと扉は開けば、阿良々木は安心した様に柔らかく笑みを浮かべた。しかし顔がゆるんでいると分かると即刻扉が完全に開く前に顔を元に戻した。
「こんにちは、阿良々木さん」
何時も通りの澄んだ声が聞こえ、阿良々木はまたホッとしたように小さく息を付いた。漆黒の髪もあの瞳も、相変わらずと言えるがやはり彼女は小さく笑っている様にも見えた。
「こんにちは、刹那ちゃん」
阿良々木はにこやかな笑みを浮かべ、今日の仕事相手―――犬神刹那、彼女の自宅に足を踏み入れた…。
彼女――…、刹那の服装は学校の指定服、黒いセーラー服では無く今日は私服に着替えた様でラフなグレーのパーカーと藍色の長ズボンに素足と言った様な姿をしていた。髪は縛ったりもせず重力に従い下ろしているが。
コトッ…と刹那が何時ものコーヒーを取り出した。こくりと飲めば濃くのある味と共にもう一つの味が口の中で小さくはじけた。モカを少量入れたのだろうと推測すると阿良々木は小さく笑みを浮かべた。
代表的なコーヒー豆はコロンビア、ブラジル、モカ、ガテマラであるのだが色々な味を楽しめるしブレンドする量によっても味が変わると言う繊細な物であった。
阿良々木好みの味である為、阿良々木は嬉しそうな笑みを浮かべつつもこくりとまたコーヒーを喉に通した。
前を向けば綺麗なカップに入っているコーヒーを飲む刹那の姿が見えた。何を思っているのか阿良々木には到底予測不可能であるが刹那の隣で毛玉の様に丸まっている妖魔、アクラは膨大な力を持っていると言うのに見た目からはその様に思えない。
彼等は一心同体であり、刹那が死ねばアクラも死ぬ。アクラが死ねば、刹那が死ぬと言う何かしらの連鎖を持っており、斬りたくても斬れない縄、鎖の様にも思えた。
(良く、見た目だけでも綺麗になったモノだ…)
女と言うのは力が男よりも弱く、何かしらの暴力を受けていると言う可能性もあったがそんな事は無かった。傷一つ無い様な綺麗な肌を持っている彼女、体内には爆弾の様な強大な妖魔を飼っていると言うのに… 綺麗な華には棘があると言うのは強ち、間違いでは無いだろう。
彼女の名の由来は消えろ、しかし名前が彼女を作る訳では無い事を彼女は恐らく知らない…。彼女はその名の通り、足掻きつつも生きようとしている。だが、あがいている事に変わりは無いハズだ。
たった一匹の化物を殺す為の対価が人一人の命… しかも、何の罪も無い綺麗な顔をした少女だとは……実に悔しくてたまらないが結局……、出来る事など何も無いと思い知らされるのが現実だった…。
「それで阿良々木さん。今回のご用件は何ですか?」
目上の者に対する敬語も忘れていない。やはり彼女はいい娘であると軽く思いつつも阿良々木は慌てた様に刹那の前に一枚の紙をだし、刹那はそれを無言で受け取りそれを見た。
何も言わない刹那であるが、瞳だけは一応小さく動いている為詠んでいる事が伺える。そののち、刹那は軽く溜息を吐き出したのち依頼書を放り出す様に机の上に置き、静かに吐き捨てた。
「馬鹿馬鹿しい」
ココまで持って来て、彼女に渡した自分が言うのも何だがかなり馬鹿馬鹿しいと自分でも思ってしまう。刹那の言い分も良く分かっている物であり、彼女の性格ならば必ずそう言ってくれると軽く期待していたのもまた事実であった。
はらりと机の上に落とされた依頼書に書かれている文字は『妖魔の生け捕り』低級妖魔を数匹生け捕りにして昔で言う貴族何かのペットにしたいらしい。裏の方では妖魔をペットにするのが流行っているのかこんな依頼は刹那の元にも届いていた。
本当に馬鹿馬鹿しいと思いつつも阿良々木は彼女が破り捨てそうな依頼書を見てすぐに鞄の中に戻した。こんな依頼書は見たくないと彼女の眼が雰囲気が語っており、もっと面白い、マシな依頼書は無いのかと聞いているように思えた。
報酬もかなりいいし簡単な無い様であるこの依頼を刹那が断るのは眼に見えていた。因みに依頼主は一度刹那にあった事があり、それ由来彼女のトリコになってしまったのかしょっちゅう彼女に対して高額な報酬の依頼書を送り付けてくるのだ。何度頼まれても刹那が受けなければ話は別である為、他の妖魔師に回ってしまうが…。
確かその依頼主はかなりスケベで有名だったかもしれない。脂肪をたっぷりと蓄えた様に肥え太り、ブタの様な五十代後半の男…流石にあんな男に好かれると言うのは嫌な阿良々木は思い出して軽く身震いを起こした。あれは見てはいけない物だ。視界の暴力とも言えよう。
「阿良々木さん、もう少し面白そうな物は無いんですか?」
刹那の眼は次の依頼書を待っており、阿良々木は首を横に振った。今回の依頼書はこれぐらいなのだ。しかし軽い声が聞こえて来た。
《だったら刹那、これなんかどうだ?》
そう言って白い紙を銜えている毛玉ことアクラ。
「どれ?」と刹那が軽く問えばアクラはひょいっと身軽に机の上に着地し刹那の前に少しだけ古びた依頼書を見せた。よだれや牙で破らぬ様に持ってくるアクラの仕草は軽く紳士を思わせたが刹那は何も言わずにその依頼書を受け取り、そして文章を読みだした。
数分経ったのち、彼女の眼から見る見る家に光が宿りそれを見ている阿良々木は冷や汗をかいて思った。
(あれは絶対、やりたいって言う依頼書だ…)
大人っぽく見える刹那であるが面白そうと思ってしまう依頼書を見れば子供の様にキラキラとした眼で見て来る。内容は子供っぽく無いのだが。
「面白そう…」
《だろ?》
刹那の呟きにアクラも嬉しそうに声を出す。笑っているのだろうが残念ながら阿良々木の眼には毛玉の嬉しそうな声ぐらいしか判別しきれなかった。
「ちょっと……見せて貰える? 刹那ちゃん」
「どうぞ」
刹那から依頼書を付け取り、阿良々木はスッ…と依頼書を軽く見た。日光で日焼けしている為か黄色みが増していた。依頼書の内容は先程の物とさほど変わりがない用に見えるが、その珍しさゆえか刹那の好奇心が擽られそうな内容だった。
内容はこう、『獏を探してきてほしい』と言う物。『妖魔の生け捕り』ともさほど変わらない様に見えるのだが、その珍しさからか興味心をくすぐる物だった。
〈獏〉とは中国からニホンに伝わったとされる伝説上の生き物であり、「人の夢を喰らって生きている」と言われている。しかし、その理由はいたって不思議な点があり中国では「悪夢を払う」とされていたのだが何時しかその「払う」が「喰らう」に変わってしまったらしく、獏は「悪夢を喰らう」妖魔とされた訳だ。
体はクマ、鼻はゾウ、目はサイ、尾はウシ、脚はトラに似ている為、その昔に神が動物を創造した際に余った半端な部品を用いて獏を創造した為と言われている。妖魔師からすれば一度は御目にかかりたい妖魔と言えよう。獏に出会えば二度とその悪夢を見ずに済むと言われており、悪夢などを見せる妖魔の攻撃を無効化する事も可能であるとと共に同時に獏自身も悪夢を見せる事が出来る為その妖魔たちに対してカウンターを仕掛ける事も可能なのだ。夢の世界を逃げ隠れする妖魔言えども獏にはそのスピードが及ばない為か夢の妖魔を相手にするのであれば是非とも獏と契約をしておきたい物だ。
妖魔の契約とは簡単に言えば戦いを行う為の契約である。妖魔を武器化する為の契約とも言えるのだが、この契約は主人の血を流すかまたは強い妖魔師であれば言霊を発する事で妖魔を呼び出す事が出来るのだ。刹那の場合はそんな契約必要が無かったのだがこの際獏と出会えるのならば是非とも契約したい物だ。
妖魔と手を組み、妖魔を滅する。獏の攻撃力は普通の妖魔以下だろうがそれでも補助、援護系の妖魔としては最適だ。何度も言うが是非とも契約しておきたいと思うのは刹那も同じであった。
「嗚呼、これね… もう、無効化された依頼書だよ。何をしたって報酬も出ないんだ。依頼した妖魔師が死んでしまったね、俺が上司から破棄しろって言われてる奴なんだ」
阿良々木の言葉をちゃんと聞いていたハズの刹那であるがその好奇心は収まる事を知らない。阿良々木から依頼書をひったくる様に奪い取り、もう一度読み直す。
獏を探せと言うくらいなのだから、探す方法の一つや二つ、書いてあるだろう。高速で読み直しそして何処か不可解な点が無いかじっくりと探す。
阿良々木の言葉を聞いたハズの刹那であるが、好奇心は収まらない。 阿良々木から依頼書をひったくり、もう一度読み直す。 獏を探せと言うのだから、探す方法の一つや二つぐらい書いてあるだろう。 高速で読みなおす。 何処か不可解な点が無いのか、読み直した。
「俺が言うのもなんだけどさ、多分駄目だよそれ。 今まで何人もの妖魔師が挑戦したんだけど、一人も獏に出会えてないんだから」
お手上げと言うポーズを軽く取った阿良々木は刹那から紙を返して貰おうかと手を近づけたのだが、しかしそれよりも早く刹那が軽く依頼書を移動させ小さく呟いた。
「なるほど、そう言う事だったんだ… だからこんな風に――…」
ブツブツと軽く自分の世界に入っている彼女を見てか阿良々木は溜息を吐いた。今の彼女の眼はとても輝いているのだが阿良々木からしてみればブツブツと呟いている言葉の羅列が意味不明な言葉、異国の言葉の様に思えて仕方が無い。
自分よりも丁度十歳年下だったハズなのだがこの観察力と理解力、そして溢れ出した好奇心は研究家その物の様に思えた。
「阿良々木さん、この依頼書…そう言えば、破棄する予定でしたよね?」
「ぇ……あ、うん。そうだよ」
刹那の不思議な質問に戸惑いつつも阿良々木はこっくりと小さく頷いた。刹那はその後口元に手を当て、不意に刹那はニッコリと妖艶な笑みを浮かべた。
「じゃあこの依頼書、私に下さい。阿良々木さん」
軽くど――んと言う効果音が付きそうな勢いで言い切った刹那。思わず苦笑いが零れる阿良々木であるのだが、首を横に振った。
上司の命令は破棄。つまり、自分の手で燃やさねばならないのだ。例えあげたい相手でも流石に上司から何かを言われるのはキツイ為、いくら彼女からの珍しい直接的なお願いでも簡単に「イエス」と頷けないのがとても哀しい。
「ご、ごめんね、刹那ちゃん。それ、俺が破棄しないと行けないんだ…」
苦笑いを浮かべて阿良々木は依頼書を返して貰おうと手を伸ばすが、刹那がサッとその依頼書を阿良々木の手から逸らして笑みを浮かべた。
「大丈夫です。この依頼書、一回こっきりみたいですから。むしろ、今まで残っていたのが不思議に思えるくらいです」
珍しく彼女の笑顔が見れた阿良々木は珍しく内心戸惑っていた。顔には隠せているだろうが、内心はとても驚いている。
しかし、彼女の言う一回こっきりと言うのは一体どう言う事だろうか?彼女が言うのだから何かしらの意味があるのだろうが、凡人な阿良々木には全く理解も検討もつかない事だった。
「破棄しなきゃいけないんですよね。じゃあ、今日は家で食事でもしていって下さい。夜じゃないと使えない見たい何で」
「え…でも……」
《そうだぞ刹那。 食事の支度の方はどうする》
サラッと言いだした刹那の言葉。
戸惑う阿良々木に対して、アクラは嫌そうに声を出した。しかし、それを楽々と払いのけるのが刹那と言えよう。まさに鶴の一声だ。
「作るのはアクラだから問題ない。 食材を増やせばいいだけの話。 何で私が気にする訳?」
《…………そうだったな……ッ!》
刹那のキョトンとした言葉にアクラは嫌々になって叫んだ。刹那に逆らえないアクラであるが、こういう時刹那の性格が嫌になる。
ああいう何も考えずに自分に害が無ければ問題ないと言う様な性格は実に周りが迷惑を喰らう。今回の場合は、アクラがその被害者なのだが…。
阿良々木は戸惑いつつもアクラが折れたのを確認したのち、「じゃ、じゃあお願いしようかな……?」なんて軽く「あはははは」と笑って小さく溜息を吐いた。どうせ食べるなら男の手料理何かじゃ無くて女の子の手料理を食べたいと思うのは度の世界も共通の男の頭の中だろう。
刹那の言葉にアクラは思わず盛大な溜息が出た。 阿良々木は戸惑いながらも頷くほか、無かった……。
「そ、それじゃあ俺は一旦神崎に連絡してくるね」
「あ、神崎さんによろしく言っておいて下さい。阿良々木さん」
「……あぁ」
阿良々木は困った様に苦笑しつつも、一旦裏口から外に出た。あの神崎は、ヘラヘラしすぎてか、それとも裏表がないと言えるのか……正直、好きになれない奴なのだ…。
◆ ◆ ◆
裏口に出た阿良々木は上着の内ポケットの中からスマートフォンを取り出し、一言余計な部下、神崎に連絡をする。
prrr……と言う軽い発信音がした後、プチッと言うつがなった様な音が出た。
「あー……俺だ」
「………オレオレサギは受け付けておりませんが―――ププッ… どちら様でしょう?」
慣れかけていたハズの部下の対応ではあるのだが、笑われると無性に腹が立つ。自らの握力で自腹で買ったクソ高いスマートフォンを握り潰さぬ様、壊さぬように内心腹を立てつつも、顔だけは一応笑顔……真顔で返答する。
「いい加減にしろよ、神崎。 阿良々木だ、これでいいんだろ?」
少しだけ低い声で脅す様に言えば神崎からの返答は明るい声。なんだか深い溜息が漏れた阿良々木。
「あ~! 阿良々木先輩じゃないスか、どーしたんでスかぁ? あ、分かった! 刹那ちゃんにとうとう告ってフラれたんすね! やっぱあの娘、先輩みたいに見た目老人じゃ無くて俺みたいなフレッシュな男性が好みなんスよ! 大体先輩は―――…」
ベラベラと意味不明な言語を話しだす神崎。
いいや、言語は同じなのだろうが、話している内容が高速すぎて全く聞きとれないのだ。しかし、聞えない聞きとれない言葉を長らく聞かされているのもとてもいい物では無い。一応話が止むまでしばらくまった阿良々木であるのだが、怒りのゲージがマックス近くに成り掛けて来た。
「いい加減にしろよ? 神崎」
ドスの効いた様な低い声で脅す様に言えば、スマートフォンの向こうから聞こえて来る声は「はぃ…」と言うしょんぼりと耳が垂れ下がった様なか弱い小犬の声。流石に少しだけ怒り過ぎた…脅しすぎたかと思ったがココで謝ったとしても、逆に相手をいい気にさせるだけなので阿良々木は軽く首を振って考えを抹消した。
「スミマセェン~ せんぱぁ~い!」
(ゼッテー心ん中でそーは思ってねぇだろーがッ!!)
スマートフォンから聞こえて来る反省の色無しの声に怒りを軽く露わにした阿良々木は少しだけ小さく笑みを浮かべた。神崎は読めない様に何時もヘラヘラとした笑顔を浮かべている、あっさり見て馬鹿な奴だが相手を和ますと言うか…癒し系の力を持っているとつくづく阿良々木は思った。一言本当に余計なのだが。
「お前が俺の部下で良かったよ、神崎」
本当に、つくづくそう……実感できた―――……。
小さく笑みを浮かべて、阿良々木は本心でそう述べた。
「俺は先輩みたいな上司じゃ無くて、どーせなら刹那ちゃんみたいな顔がイイ女性の上司が良かったでーす!」
ブチッ…と阿良々木の中で何かがキレる音がした。
「かァアアアアんンンンンざァアアアアきィイイイイイイ!!!!!!!!」
前言撤回。
コイツ、神崎は憎むに憎めない奴であるが部下として持つのならばかなりのじゃじゃ馬だ。
「うわっ!! 先輩がキレた!! ちょ、まっ……!」
阿良々木が次の言葉を言う前にブチッと神崎との通信がキレた。つまり、ブチ切られたのだ。
「……ったく、めんどくせぇ……」
しかし、先程よりもいい笑顔で呟いた阿良々木。神崎のおかげでか、少しだけ心と言う奴が軽くなった様な気がした。
「あ…… 要件伝えんの忘れた…」
今日はもう帰っていいぞ、と言うつもりではあったのだが伝え忘れてしまった。でも、一応アイツが自分を茶化したのが原因の一つであるから俺は悪く無い、と阿良々木は自問自答を軽くしたのち、もう一度スマートフォンで神崎に連絡を取ろうとするが……。
ツゥ―――……ツゥ―――… おかけになった電話は…電波の届かない所にあるか… 電源が入っていないか…… 貴方とお話ししたくないかによって――…かかりませぇぇええん
ブジィッ!!!と盛大にスマートフォンの画面を親指で思いっきり押した阿良々木。普通の声ならまだしも、あの声は神崎の余裕そうな声で余計にムカツク…! 結構力を入れたハズなのだが、流石は馬鹿に高いスマートフォン。 結構丈夫に出来ていた。 近年じゃ、軽量化薄っぺらすぎてズボンのポケットに入れたら先っぽが曲がるみたいな変なあほらしいニュースがあったが……一応、阿良々木のスマートフォンは丈夫な様だった。しかし、怒りは収まらない。
「あんのやろぉおおおおおお!!!!!」
怒りを人様の家でぶつける訳にも行かず…、阿良々木は地面を一回ドンッと踏みしめたのち、刹那の自宅へもう一度お邪魔した。阿良々木の思いっきり踏んだ地面は…小さなクレーターが出来ていたと言うのだが… 発見者は不明である。
獏と言う妖魔のおさらいをしよう。
前に話した通り、獏とは中国で発見されたとされる伝説上の生き物とされ、本来は「悪夢を喰う」とは呼ばれておらず、古代中国では「悪魔を喰らう」所の様な描写は存在せず、獏の毛皮を座布団や寝具に用いると疾病や悪気を避けると言われており、獏の絵を描いて邪気を払う風習もあり、唐代には屏風に獏を描かれる事もあった。
こうした俗信が二本に伝わり、「悪夢を払う」が転じて「悪夢を喰らう」と解釈される様になったと言われている。
獏の体はクマ、鼻はゾウ、眼はサイ、尾はウシ、脚はトラにそれぞれ似ているとされるのだが、その昔神が動物を創造した際に余った半端者の部品を用いて獏を想像した為と言われている。
妖魔獏、は少しだけ違う所があった。
この獏も悪夢を喰らうと言う習性があり、その修正は妖魔との戦いに置いてとてつもなく有利になれる修正なのだ。悪夢や幻影を見せる妖魔は多く存在するのだが、下級の妖魔さえその気になれば一時的にとは言え、妖魔師を足止め出来るぐらいの幻影を使う事が出来るのだ。
幻影に囚われれば抜け出すのは至難の技、そんな時に役に立つのが獏なのである。獏さえいれば幻影はおろか、悪夢さえも見ない。妖魔の精神的攻撃は全て無効化出来、尚且つ妖魔を払う事も可能である。元々何かに取り付いていたなどされる妖魔は祓う事は出来ないが、結界などの効果を一時的にとは言え、持続させる事が出来るのだ。魔除けとして扱われていた為に結界役としても活用できる。
その為、獏は物凄く後方支援として絶大な力を発揮する妖魔なのである。
しかし、獏に出会う為には様々な条件を攻略しなければならず、その為か獏は貴重な妖魔とされているのである。誰もが会いたい妖魔ではあるのだが、獏に出会える方法はそう簡単に見つかるものでは無い。
最も出現する確率が高いと噂されているのが夢の中である。そう、都合よく悪夢を見る可能性も無いのだが一番いいのは自ら赴く方法なのであるのだがその方法は未だ解明されていない。楽に悪夢を見る方法は自分と契約している妖魔に悪魔をかける様に命じ、夢の中で獏を探す方法なのだがあまりオススメ出来ない方法でもあった。
眠りと言うのは極めて無防備な状態であり、獏を探すとなれば尚更本体が無防備となる。獏を探して夢の世界へ赴いた妖魔師は数多くいるがその妖魔師が全て帰らぬ人となったであろう。それほど、夢の中で深く探すとなるのは極めて危険な状況なのだ。
そんな危険気周り無い場所へ刹那が行くのだ。眼が輝くのも無理は無いとも言えた。しかし、彼女の求める死とこの死はとてつもなくかけ離れている様にも思えた。そして彼女は一体、どうやって獏と出会うのだろうか……?
「あ、阿良々木さん。お電話終わりましたか?」
家の中に入ればサクッとクッキーを食べる刹那の姿が見えた。皿の上に数個置いてある事からこの短時間で作ったのかとも思われたのだが、取りあえず阿良々木は一番最初に投げかけられた刹那の質問に答える事とした。
「あぁ、終わった所だよ…」
軽く眼を逸らして言う阿良々木。アレを会話と言えるのかは分からないのだが、一応連絡はした。マナーモードにしている神崎が悪いと頭の中で思い込む。
クスリと小さく笑う刹那は静かに言う。
「何時も通り、神崎さんと何かあったんですね」
図星を付かれて阿良々木は困った様に視線を逸らしながらもポリポリと頬を掻いた。刹那が近くにあったカップに注がれている紅茶を軽く喉に通した。
彼女は心を軽く開いた人間には小さくだが笑顔を見せる。依頼人にも見せる笑顔なのだが、やはり笑顔と言うのは何だか落ち着くような気がした。一番最初は刹那は自分を避けている警戒していたのか、笑顔を見せる事は無かった。だが五年間にもわたり仕事をしている仲。軽い戯言程度ならば履けるような相手にまで成長していた。
刹那の家は先祖代々妖魔師だからだったと言う影響もあるからか、首都の一個建ての家を持っている。先祖代々と言う訳だからかなり床板などは重みがあるのだがそれでも、埃などは落ちておらず、新築よりも温かみのある家と言えた。
「刹那、メシだ」
慣れた手つきで次々と食事を運ぶ青年。黒い髪に不機嫌そうに揺れる尻尾。人間らしくない物を持つ青年を見て、阿良々木は眼を細めた。自分の眼を疑う気は無いのだがでもいくら人間にしかもアレは無いだろうと阿良々木は首を横に振った。
低い声には聞き覚えがあったし、黒ずくめの格好も何処か奴に似ている様な気もした阿良々木であるが、少しだけ嫌な予感がして冷や汗がタラリと流れる。
「ん、今日も美味しそうだね。 アクラ」
何時も通りの口調でそう言う刹那。
阿良々木は、その言葉に硬直する事しか出来なかった。
(え……? あ、あれがアクラ……?)
阿良々木の中でアクラと言えばあの黒い丸っこい毛玉の様な妖魔を差すのである。しかし、今の姿はどうだ。完璧なる人型でしかも背が高しいスラッとしている。妖魔は顔を変えれるのかも知れないが、これはかなり酷い扱いだ。妖魔の方が人よりも何十倍も美形なのだから。
軽くブツブツと呟く阿良々木を見てか、刹那は静かに話しかけた。
「阿良々木さん。何をしているかは知りませんが、食べましょう。 嗚呼、味の方なら私が保証しますよ。 アクラ、私よりも女子力高いんで」
「嫌、俺は別にそんな事は心配してないよ」
心配もクソもしていない。だが、最も心配と言うか驚いたためにあのような光景を見せていたのだ。
刹那は不思議そうに阿良々木を見るがそれでも問題ないと言う阿良々木の言葉を信じてか、静かに述べる。
「じゃあ問題ないですよね、食べましょう」
「…………そうだね」
軽く乾いた笑みを小さく浮かべた阿良々木。本心を言ってしまえば、男の手料理何て食べたくないのだが、それはとてつもない我儘だと言うのは百も承知である為か、返事の間が若干開いてしまっているが阿良々木はそのまま席に着いた。
阿良々木の目の前には言い方が悪いのだろうが、男が作ったとは思えないほど、繊細な料理が並べられていた。刹那が言う通り、彼女よりも女子力が高いと言う話は本当なのかもしれない。彼女の腕がどれほどの物か、阿良々木は知らないが。それでも、やはり「男の手料理」と言う肩書は阿良々木の中で嫌な意味で深く根付いていた。阿良々木だって男だ。男の手料理よりも女性の手料理の方がどんなに不味かろうが心が何だか癒される様な気もした。
例えるならば、ストレートだと思ってたのにフックを喰らった様な感じだ。変な例えではあるんのだが。
ちらりと前を向けば、黙々と食事をとる彼女の姿が見えた。ココに居るのに消えてしまいそうなぐらい存在感……気配の薄さ。堂々としている様で気配は消しているも同然のこの状態。阿良々木は小さく溜息をついた。
神崎が刹那と一番最初にあった時、車でぼやいでいた事を思い出したのだ。
『刹那ちゃんって大人っぽいっスよね~ でも、何処か…… そう。 今にも消えてしまいそうな気がして―――… うわっ、どっかに縛り付けておきたいような衝動に駆られますね―』
(笑)みたいな事があったのだが、実にそう思えてしまう。
今にも消えそうなくらい、存在感、気配の薄さ…本人は無意識ながらにやっている事だろう。慣れかけて来た人間には分からないだろうが初めて見た人間ならば彼女の気配の無さが異質に思えて仕方が無いだろう。
(消えろ、ねぇ……)
刹那と言う名を与えられた少女。
世の中にも「刹那」と言う名を与えられた子供は居るだろう。けれど、この様な意味では無いはずだ。だからこそ、彼女が憐れでならないのはやはり『情』だろう。
彼女の名の意味を英語で表すのならば、『Moment・Disappear』これがとても良く似合う。響きがいい様にも思えるが、意味は……そう、『刹那に消えろ』だ。
(本当の意味は―――…)
名前が人を作るのではない。
人の踏んだ地面に名前がそっと残るだけだ。名前の通りに生きる人間など居ない。しかし、彼女はそれを選んだ。名の通りに死のうと、でも足掻いている様にも思えた。
(死にたいと言いつつも、生きようと強さを求める…… 矛盾してるよ、刹那ちゃん)
どうせ死ぬんなら強い奴と戦って死にたい。
その言葉を聞いて―――今も尚思う、その言葉は実に矛盾していると……。