007 彼女の実力
驚いた様な眼で鼠の攻撃を避け続ける猫又だが、出血した影響かどんどん動きが鈍くなってきていた。
「な、何だよコイツ!」
本当に理解していない猫又に呆れた様にと言うか呆れて刹那は深い溜息を吐いた。冷静に分析、観察していれば普通の妖魔師ならば分かる事であろうに…。
「分かんないの? 旧鼠だよ、旧鼠」
刹那は軽く声を張り、叫ぶように猫又に言いかけた。
しかし、帰ってきた言葉と言えば「きゅうそぉ?」と言う訳が分かっていませんと言う文字が顔面に書いてある言葉と光景だった。
本物の馬鹿だと思いつつも刹那は親切に説明してやった。
「妖魔、旧鼠。 旧鼠とは鼠が歳を取って齧歯類から妖魔に転職した物と言われており、江戸時代に書かれた〈絵本百物語〉によれば、子猫の世話をするとされているが妖魔の類に入った旧鼠は違う。 妖魔にも大まかに言って二種類の種類がある様に旧鼠にも大きく分けて二種類の種類が存在する。〈絵本百物語〉に描かれていた旧鼠の様子から一つは子猫の世話を、そしてもう一つは子猫の捕食していると言われている。妖魔の分類に入る旧鼠は後者のほう、子猫を捕食し力を蓄えた物が希に人も捕食する可能性がある為妖魔師の中でも極めて危険な存在としている。しかも、普段は鼠の姿とあまり変わらない為に見分けがつきにくい。優秀な妖魔犬でもいれば話は別だけどね。手、貸そうか?君、弱そうだから」
長い彼女の説明ののち、上から目線の声。
グッと唇を噛みしめた猫又は何かを言いかけた時、眼の前に黒い閃光が走った様な錯覚に見舞われた。
「ほら… 弱いじゃん、君」
「ぇ………?」
思わず後ろを見れば彼女が旧鼠だと説明した妖魔が自分の真後ろに居た。彼女の刀が無ければ今頃自分は奴の鋭い前歯に食い殺されていた所だろう。考えればゾッとする話だ。
「怪我してるんだし、ほら。選手交代。君は弱いんだから、退いて。次は守らないよ」
涼しい顔でそう告げる彼女の眼はずっと妖魔に向かっていた。
悔しそうに唇を噛みしめ、肩の傷を抑える猫又を見てミズキは素直に結論を述べた。
《生、言う通りにしろ。奴と貴様の強さは想像以上に天地の差があるぞ》
「……分かったよ…」
口を尖らせ不満げな猫又にミズキは微苦笑を漏らし何時もの子猫の姿に戻り戦いの邪魔にならない様に貯水タンクの傍に座った。
「来なよ、旧鼠は私を殺してくれるかな」
ツゥウウ…と刀身に触れ、彼女は不気味に笑みを浮かべた。
シニタガリの瞳は今まさに、強者を見て輝きを増していた…。
《行くぞ、刹那…》
「行くよ……」
ダンッと勢いよく旧鼠めがけて走る刹那。
しかし、本領を発揮した旧鼠の動きは素早く中々目視でとらえる事は出来ないのだが…。
「ッ!」
ちょろまかと動く旧鼠の動きに悪戦苦闘する刹那。大口叩いていたのにこのザマだと思っていつつもそう思っている猫又だって眼でとらえきれていない。
「小賢しいな…」
刹那は舌打ち交じりにそう言って眼を変える事にした。
刹那の体内にはアクラの心臓。核の様な部分がある。その中には無論彼の膨大な妖力も蓄えられている訳で…。
(眼に、集中…)
人間の瞳で目視出来ないほどに早いのならば…。人間の瞳を止めればいい。ゾクリと寒気が全身に伝わり不思議と体の中が冷たく冴えていく…。
「さぁ、初めようか」
もう一度開いた眼は、彼女の眼であって彼女の眼では無かった。
「ギィィイッ……」
旧鼠も何かを感じたのか身の毛を逆立たせ威嚇するが意味も無い。突っ込んで来た時、それを迎え撃とうと刀を持った時、刹那は不意に眉を寄せた。スローモーションの様に見える景色の中で、頭が冴えている中で肝心な何かを忘れている様な気もしたのだ。
(なんだ……?)
何かがおかしいと思った時、不意に刹那は全身にアクラの持つ禍々しい妖気を放った。
「ギィィイッ!」
苦しそうに悲鳴を上げる妖魔を見て、刹那は眼を見開いた。
「旧鼠が、二対……?!」
目の前で苦しむ旧鼠が一体。そして此方を警戒して見つめる旧鼠が一体。
これは一体…と悩む中で刹那の中でとある仮説が生まれた。
(まさか……)
筋肉を妖力で活性化させ、無理矢理動かせる。何時も以上に早い自分の体を巧みにコントロールし、刹那は旧鼠の背後を取ってその旧鼠を斬った。しかし、斬った旧鼠は苦しむ様子は無くむしろ「もっと斬れ」と言っているように見えた。
《刹那、コイツは…!》
「分かってる、〈分裂能力〉だ」
旧鼠の持つ〈分裂能力〉は言ってみれば〈身代わり〉にも近い。攻撃すればするほどその身体は分裂し、数を増えていく。何時の間にか本体がどれか分からない状態になってしまうのだ。非常に厄介な敵だ。刹那にしても、猫又にしても。
二人共相手の体を傷付ける事で妖魔を倒して来た。つまり、傷付ければ傷つけるほど分裂する相手には不向き。唇を噛みしめ、刹那は軽く狼狽えた。
(どうする… コイツに物理攻撃は通用しないむしろすればするほど倒すのが困難になる相手…)
考えた結果、刹那は一つの結論に至った。
「アクラ…」
《なんだ?》
静かに真っ直ぐと敵を見つめ、刹那は結論を清楚に述べた。
「斬れないのなら… 燃やすぞ」
《! なるほどな。 しかし、アレはまだ……》
アクラは何処か不満げ、反対心がある様だが刹那は頑なに引こうとしない。それどころか軽くアクラを脅した。
「返事は?」
トーンは普通だったが断われば何が壊れる様な気がした。
存在自体も否定されている様な刹那の瞳に軽く睨まれたアクラの反対を押し切るのは実に簡単な事だった。
《はい…》
早々に折れたアクラの言葉を聞いて刹那は満足そうに笑みを浮かべた。可哀想だと思うのだが、悲しい事に刹那はそんな事はどうでも良かったのだ。アレを使えば多分勝てる、勝てなかったらどうしようかなんて思わない。全力でやって…そして勝つ。それだけが全て。
「契約はまだ全部終わってないけど… いいよね」
刹那はそう言って刀身をツゥウウ…と指でなぞる。そうすれば、ボウッと刀が蒼く輝き出した。刀身はまるで青い炎を帯びたかのごとく熱を持ち、しかし持っている刹那は今まで通りの顔色であるが、しかしその炎を見た時旧鼠の動きがピタリと止まった。
「あの技は……」
《あれは鬼火だな》
「おにび……?」
猫又の問いに「そうだ」と言い、軽く頷いたミズキはそのまま観覧しつつも説明をする。
《鬼火とは松明の火の様な蒼い光であり、別名〈蒼い炎〉とも呼ばれている。いくつにも散らばったりいくつかの鬼火が集まったりし、生きている人間に近づいて生気を吸うとされる。大きさは直径2,3cmから20,30cmほどとされており、地面から1,2m離れた空中に浮遊している。だが、いくら鬼火と契約していたとして、それでいたとしても鬼火を刀身に定着させると言うのはかなり高等技術だ。本物の鬼火を使う事は論外としてな……》
ミズキの言っている意味は猫又にはあまり良く分からなかった。だが、とにかくすごいと言っている事だけは分かった。
自分よりも数段上に居る同い年の妖魔師でしかも女の子が自分よりも上と言うのは非常に悔しい事であるが、それでもスゴイと素直に称賛できた。自分の力でココまで強くなった彼女に、敬意を持った猫又。恐いのに、ずっとこの戦いを観ていたいと思うのは何かに魅入られたせいかもしれない。
鬼火を纏わせた刀はとてつもなく熱そうに見えたのだが、しかし刹那とアクラは全く持って熱さなど感じておらず、契約者と纏わせる物ならば大丈夫なのであった。
「さて、終幕と行こうか…」
鬼火を纏わせた刀を構え、刹那は旧鼠に向けた。旧鼠は大きく毛を逆立って刹那に向かって襲い掛かったと思いきや… 屋上から飛び降り、逃げようとする。本能が察したのだろう。戦えば敗けると…。
しかし、それを許さないのが妖魔師…刹那だ。軽く笑みを浮かべ、静かに呟いた。
「火魂」
火魂とは沖縄県などで見られたとされる鬼火の一種である。普段は台所の裏の消化壷の中に住んでいるとされており、鳥の様な姿で飛び回り物に火をつけるとされていた。
刹那が今回呼び出した火魂はまさしくその通り、〈火の鳥〉である。ただし、鬼火自体の火が蒼い為〈蒼い火の鳥〉になりそうであるが。
火魂は刹那の意に忠実に従い、屋上の周りを飛んだ。ただ、それだけであるのだがこれにより旧鼠が逃げる為の場所を完全に断ったに等しい。残された道は。刹那を倒して逃げるだけ。言う間でも無く、旧鼠は闘わなければ逃げる事が出来なくなったのだ。このまま落ちたとしてもあの飛ぶ火魂に燃やされ死んでしまうだけ。残された道はたった一つと言えよう…。
ギリギリと歯を噛みしめる様に毛を逆立てた旧鼠は今まで斬られた、撃たれた分で造り上げた分身を呼び出した。その数本体を含めて二十数対…。刹那はその数を見、火魂を軽く増やして自分の周りを飛ばせた。猫又に攻撃する恐れもあるかもしれないが、その時はその時だ。人質に取られようが殺されようが「弱かったから」の一言で刹那の中でその話は終わる。妖魔師が死ぬのは案外当たり前の事だ。弱かったから死んだんだ、それだけの話しなのだ。
周りを飛ぶ火魂の数を見つつ、旧鼠はそこから活路を見出した。旧鼠とて、馬鹿では無い。〈分裂能力〉で増やした分身を盾に進めば活路はあった…。
そうと決まった途端、旧鼠はガッと口を大きく開き前歯を剥き出しにして刹那に襲い掛かって来る。無論本体、分身体も含めて一斉にだ。刹那は火魂を操り数十対もの旧鼠を燃やしたが残りの数十対はまだ生きている。軽く舌打ちを打って自分のコントロールの甘さに対して修行が必要だとか思ったりするが、刹那は向かって来る旧鼠を一体一体で乗せる様に攻撃の軌道を逸らした。斬ってしまっては意味が無いと思っている為、攻撃の軌道を逸らし確実に相手を燃やす事だけに専念している刹那の鮮やかな剣技は見惚れる物であるが、それとは対照に旧鼠は断末魔の悲鳴を上げて燃え尽きる。
「燃えろ」
刹那のその冷たき言葉により刀身を纏っている鬼火は一層強く燃え盛る。
斬れないのならば、燃やせばいい。そうすれば〈分裂能力〉は使えない。体を全て灰と化せば〈身代わり〉の能力を持つこの旧鼠とて滅する事が可能だ。
「しぶといな…」
火魂に焼かれているハズなのにまだ虫の息程度だが息がある。つまらなさそうに刹那は黒い黒い瞳を旧鼠に向け、そのまま静かに背を向けたまま呟いた。
「消えろ」
その言葉を合図に屋上の周りを飛んでいた火魂も一斉に旧鼠に襲い掛かる。苦しそうな声を上げ、そして灰へと化した…。辺りは無言に包まれ、刹那は鞘に刀を収めた途端その刀は黒い毛玉へと変化する。その毛玉となったアクラは静かに燃え尽きて灰になった旧鼠と呼んでいいのか分からない残骸を見て、静かに鳴いた。
《良かったな、刹那。今日もまた。死ねなかったぞ》
アクラは刹那の肩に器用に乗っかり、軽く鳴いた。刹那は無言で前を見たのち、静かに「そうね…」と軽く呟いた。
アクラの言葉は刹那からしてみれば嫌味にも聞こえるのだがもう慣れてしまったのか、反論する気にさえ起らなかった。刹那は軽く地面を蹴って貯水タンクの傍に置いてある自分の鞄を持ったのちふわりと髪を背に下ろしてフェンスの傍に近寄った。ふわりと漂う火魂が一羽飛んでおり、刹那が手を差し出せばその手の上に律儀に触れた。
「本契約はまだだったのにスマナイな」
《構いませんよ、我が主人》
素直に刹那の手の上に止まった火魂は静かに小さく首を下ろした。
「いいや、お前が気にしなくても私が気にするだろう。何か欲しい物はあるか?」
《……では、今度炭火を頂けませんか?》
「炭火か…それはまた、シブイな…」
《駄目でしょうか……?》
火魂の意外な言葉に刹那はクスッと笑ったのち、静かに答えを述べた。
「いいや、それで手を打とう。炭火が用意できれば再度呼ぶ」
《分かりました。では、また……》
「あぁ」
火魂はそう言って何処ぞへと消えた。刹那はそれを見送ったのち、猫又の方を向いて静かに話しかけた。
「ねぇ、君」
「君じゃねぇよ、俺の名前は猫又一生!」
「………悪いんだけどさ、私はもう早退するって先生に伝えて置いてくれない?」
「は……!?」
「もう帰る。家のベットで寝てたいからね」
刹那の気まぐれな言葉に猫又は思わず唖然。あれほど魅了していた戦いとは撃って違い彼女は案外かなりの気まぐれ者なのかもしれない。
《刹那、帰るぞ》
「分かってる。 じゃ、よろしくね」
刹那は軽く手を振ってフェンスの上に足をのせる。ちゃんと学校の運動着の短パンを吐いているので下着が見えると言う事は一切ないのでご安心を。
「ま、待てよ!」
立ち去ろうとする刹那を見て、猫又は慌ててそれを止める。刹那は一応止まり、前を見たまま「なに」と聞く。疑問形であるのに疑問符が付いていないと言うのは早く話を終わらせてほしいからだろう。
「あ、あのさ、俺は……その―――……」
ゴニョゴニョと後の言葉はつっかえてしまい、口ごもる。その事が恥ずかしくて顔を真っ赤に軽く染めて俯く猫又を見て刹那は溜息を吐いた。
「聞こえない。ゴニョゴニョ言うぐらいなら話しかけないで。もっと大きな声で言ってくれない?そう言う話方、嫌いなの」
ため息交じりの刹那の言葉に後押しされてか、猫又が言った言葉は不覚にも風が吹き荒れた事で軽くかき消されてしまったが、読唇術を取得している刹那には簡単に理解できた。
「え……?」
猫又から放たれたその言葉。
その言葉を見て、刹那は己の眼を疑った。
アクラは不愉快そうな顔をしたのち、刹那の頬を軽く叩けば刹那は我に返り、そのままフェンスを踏み台に屋根の上を走り、その場から去った。
猫又の放ったその言葉は刹那の思考を軽く停止させるのには十分すぎた。
だからこそ、アクラは気に入らなかったのだ。
(アイツは――……)
刹那と言う人間を見てそして危険かどうか見る存在だ。噂だけに踊らされ、刹那を畏れる奴等とは違う。今、刹那が必要としているのは自分と自分自身の使役とした今の所だとアクラとあの鬼火の火魂達だ。
自分の居場所が奪われるかもしれないと思って、アクラはあの場所から早く刹那を逃して逃がしてやりたくなった。
(俺がまさか嫉妬か……? いや、まさかな……)
自分は妖魔だ。それに、長い時を過ごしている。
たかが人間の小僧一匹に対して嫉妬など…する訳も無いだろう。
「っ…」
一方の刹那も猫又から放たれた言葉を見て、一応悩んでいた。苦味を潰した様な顔を一瞬見せてそしてすぐに真顔に戻るがあの顔はすぐには消えないだろう。
「刹那って言う名前の意味…そんな刹那って意味じゃないと思う!」
あんな言葉、言われた事が無かった―――……。
◆ ◆ ◆
ダッダッと力を込める様に刹那は頭の中を空っぽにするべく走っていた。
《落ち着け、刹那! ……刹那ッ!!!》
「!」
アクラに叫ばれ、刹那はようやく我に返り立ち止まった。屋根の上で。
軽く息継ぎをする刹那を見て、アクラは何を思ったのか軽く囁くように告げた。
《アイツの言葉が気になってんだろ?気にするな気にすればお前の精神がぶれる》
「………分かってる」
《なんなら、俺が消してやろう。あの言葉を。お前を惑わせた甘い蜜を》
「………―――――――――」
刹那がその言葉に対して何と言ったのか。
彼等二人しか知らない――――……。
「さぁ、今日はどんな依頼だろ?」
期待に胸躍らせ……刹那は静かに眼を細めた。
誰の眼にも映らぬ様に、刹那は自宅に戻り…今日来るべきハズの政府の依頼人を待つ事とした…。