004 生きると言う名を持つ子
刹那の家はとてもこじんまりとした小さな家屋だった。古い家屋ではあるのだがかなり大きな倉庫と箱庭ではあるが庭もあり、首都、トウキョウで立つ一個建て住宅にしたらかなりの広さを誇っていた。
刹那の部屋は南向きの太陽の光が良く差し込む場所でもあった――…。
光が差し込み眩しそうに布団を頭にかぶる刹那の上で動くのは黒い物体であった。
《おい、刹那! 起きろよ、刹那!!》
必死に刹那を起こそうとする毛玉。元い、アクラ
殺風景なこじんまりとした個室は古い家屋の癖にちゃんと毎日の様に掃除されているのか、埃があまり見当たらなかった。ベットの中で蹲る刹那の返答は無し。しかし、声が無い代わりに「まだ寝ていたい」と言う布団の動きだけは見えた。
刹那は口は悪いと言うか常人ではありえない事を真顔で言ったりするが、黙っていれば顔だけは一級品の美人の分野に入る。黙っていれば、惚れる男も数多くいるだろう。黙っていれば。
「後――… 消える、まで……」
むにゃむにゃと軽く寝言を言ってしまっている刹那。
寝言に聞こえない刹那の寝言を聞いてアクラは落胆の溜息ののち、覚悟を決めてベットから飛び降りた。ぼふんと軽い爆音ののちにそこに現れたのは独りの男。
すらりとした無駄のない筋肉を持つ男は未だ布団の中で寝ている刹那を見て、問答無用で彼女の布団に手を付けた。
「いい加減に起きろ! 今日は“てんにゅうせい”ってのが来るんだろ! 噂の! とっとと起きて学校へ行け!」
布団を問答無用でひっぺはがし声を荒げて言う男。転校生と言う発音が少し駄目だったように聞えたがその大音量に近い五月蠅い声を聞いて刹那は薄っすらと眼を開けた。
「んん……。ったく―――もう少し、寝させてよね。 ……アクラ」
軽く身を縮めたかと思えばがばっと起き上り、刹那はギロリとアクラと呼ばれた男を睨みつけた。
刹那は昨日、依頼を五件ほどして眠ったのが夜中の三時頃だったような気もしたアクラ。ハッキリ言って寝不足でお肌にも悪い。眼の下にはクッキリとも言えないが軽く熊が浮かび上がっていた。流石に起こした方にも罪悪感が過るがアクラは心を鬼にして首を軽く横に振った。
「さっきも言ったが、今日は噂のてんにゅうせいが来るんだろ?刹那。 色々上が五月蠅いからお前も今日は休むんじゃ無くて学校にまともに行くって俺に言っただろ、最低でも最初の一時間ぐらいは起きてろよ。後は屋上で寝てても構わねぇから。いいな」
念を入れまくるアクラを見て刹那はお手上げと言う様に溜息を吐いて軽く頷いた。「ご飯は…?」とか細い声で問えばアクラは何時もの口調で静かに応えてくれた。
「何時もと同じ、殺風景なご飯とみそ汁と漬物だ」
もはや確定事項に近い返答を頂いた刹那は静かに頷き、するりとベットから抜け出す様に降りて制服の入っているクローゼットに手を付けて開く。中には私服が数枚かけられており、下着何かは籠の中に入れられているが必要最低限の物ぐらいしか入っていなかった。ただし、コスプレの様な衣装は左側に大量にありこれは刹那が特注した妖魔と戦う為の動きやすそうな服をとにかくオーダーメイドで作って貰ったのだ。着物や軍服、セーラー服なんかもあってコスプレに近いが断じて違う刹那にその様な趣味は一切無い。
クローゼットの中から黒いセーラー服の制服を取り出し、寝間着を盛大に脱いだ。刹那の寝間着はパジャマなどでは無く旅館などでよくある着物に近いあのラフな格好だ。刹那が盛大に服を脱ぐ事を知っているアクラは何時の間にか部屋から逃げており軽くご飯のいい匂いがした事により最後の支度をしているのだと想像させた。
毎日の様にアクラが創る食事は美味しかった。あの毛玉は人の姿に化けて作っているのだが毎度思うがなんで朝しかあの姿にならないのだろうか?妖力の消費を抑える為と言うのは少しだけ変なのだ。
アクラは妖魔の中でも膨大な妖力を持っている妖魔であり、節約主義者では無かったハズだ。
話は変わるが、刹那も一応料理は出来ると言えば出来るが寝不足になる為アクラが自主的にやっている。母親は随分前に育児放棄を言うのをやってしまっている為刹那の中ではお母さんと言う存在は無いし、言ってみればアクラがお母さんの様にも思えた。
何時もの黒い制服を着て縦長の大きな鏡の前に立ち、整っていない漆を塗った様な漆黒の髪を見て顔をしかめた刹那。どうもこの髪が気に入らないらしい。
重力に従う様に真っ直ぐ、ストレートに伸びる髪は何処か羨ましい様な気もするが刹那からしてみれば邪魔なだけであった。確かに羨ましなどと言われる時もあるが思い切って切ろうとした時はアクラに盛大に止められてしまった。
今思えばあの時以来髪は切っていないような気もする。だからか、髪はもう腰の辺りまであり少しだけウザったいのだ。
「やっぱり……邪魔」
叩き起こされて多少不機嫌が刹那は髪を切ろうかと鋏を探すが、肝心な鋏が見つからない為諦めた。恐らく変な時に勘が好いアクラが何処ぞへと鋏を隠したのだろうと固定し、机の上に置かれている黒い鞄を持ち薄いノートと教科書を入れ込んだ。
「めんどくさい…勉強なんて、私はしなくていいのに…」
溜息を吐きつつも学校へ行く準備をする刹那。一番好きな数学の教科書とノートを入れた。数学は好きと言うよりも身に付けられたと言う方が正しい様な気もするが。「金の計算が出来なければ何もかもおしまいだ!」なんて昔、かなり昔にアクラい怒鳴られた様な気もする。それからアクラの家庭教師的な物が始まり、刹那はその間三途の川を何度も見た。見た事の無い祖母が手を振って「おいでおいで」と言っている様な光景もちゃんと見た。
鞄を片手に刹那は部屋から出、廊下をするりと歩いた。 ギィイ…ギィ…と軽く音を奏でる廊下は老朽化のおかげか少しだけ五月蠅かった。
《刹那、コッチだ》
黒い塊の毛玉に何時の間にか戻っていたアクラは刹那が来た事によりどういう風に歩いているかは分からないがちょこちょこと刹那の前を歩いた。刹那もゆっくりとついて行くのだが、途中一つの部屋の前にたどり着いた時、刹那の動きはぴたりと止まった…。
この部屋は――――。
「消えなさいよ……! 早く、死んでしまいなさい……! アンタなんて、死んで消えてしまえばいいのに!!!」
大好きか嫌いかも分からない母の部屋だ。父は刹那を怖がってか別の場所に住んでいる。彼女の言葉で死ねたら何て素敵なんだろうかとも思った事はあるが、死ねないのが非常に残念だ。
《気にするな、刹那。 何時ものこt…》
アクラは刹那に声をかけようとするが途中で止まってしまう。
何故ならば、刹那は妖艶なほどに美しい顔でうっとりとした笑みを浮かべて居たからだ…。
「うん、早く死ぬといいね。だから願っててよ、私も頑張って、頑張って、頑張って。妖魔に殺されて死ぬからさ」
不気味なほどにニコリとした笑顔で言う刹那。
寒気が走るほどに妖艶な笑顔を生み出したのは歴代でも刹那だけだとアクラは思っている。
「だったら早く消えて…! 早く死んで、そしてその化物を道連れにして死んで…!」
刹那の体内には代々飼っている妖魔が居る。 それが、アクラだ――。母親の断末魔の様な叫びに刹那は静かにアクラを抱き上げ、「それもいいね」なんて笑って台所へ向かう。
台所へ向かえばほかほかのご飯が刹那を待っていた。ちゃんとセッテイングされた食事を前に刹那は椅子に座り、アクラを机の上に置いた。
ぱくりと口の中に白米を放り混む様に食べれば刹那飲み込んだ後に感想とさらっと言う。
「流石、アクラ。私より女子力高い……」
その後に味噌汁を飲みつつも刹那は言う。だが、アクラは褒め言葉にも関わらず不機嫌そうな声で反論する。
《口に物が無くなってから喋ろ。お前は仮にも女なんだぞ? 身だしなみには気を使え》
「今、仮にもって言った。って事はアクラは私の事を体だけは女って言ってるだけでしょ?」
《お前は一々細かいな》
否定しない所を見るとその通りらしい。刹那は無言になったアクラを軽く見つめたのちに漬物に手を運んで普通に食べる。
音は刹那の食べる食事音ぐらいでアクラはその間何を思っているのか無言だった…。
「ご馳走様」
そう言った後、食器を水に付けておく。帰って来たらアクラが多分勝手に洗っておいてくれるだろう。
「行くよ、アクラ」
端っこに置かれたお弁当を持ち、鞄の中にヒョイッと入れ込む。何時の間にかアクラの姿など何処にも無く、刹那はそれを見て靴を履いて裏口の鍵を閉めて歩き出した。
また、めんどくさい一日が始まった―――…。
◆ ◆ ◆
学校にたどり着けば、刹那をチラチラと見る影はある物の刹那は平然とした顔で歩き出す。学校では刹那は地味と言うよりも無口な美女と言う風な娘に早変わりする。何か問われればそれに答え、何も無ければ無言で本を読んだりしてる娘だった。
ガラッと教室の扉を軽く開ければ、傍に居た女子生徒が刹那に声をかけた。
「おはよう、犬神さん」
「おはよ」
入り口の近くの席の女子生徒が何時もの様に軽く挨拶をして来たので刹那も静かに挨拶を返した。刹那のフルネームは犬神刹那であり、学校クラスなどでの呼ばれ方の大体が犬神、犬神さん。など。“刹那”と言う風に呼び捨てで呼ばれる事は無く、まぁたまに刹那ちゃんなんて呼ばれる事もある。
校内で刹那の印象はクルールな美人と言う事もあってか、影では軽くファンクラブなども出来るほどであった。勉強も出来て美人と来たら大体は話した事も無くても一目惚れぐらいするだろう。因みにファンクラブ会員は刹那の事を苗字では無く名前でしかし変な事に「刹那様」と呼ぶのだ。
ファンクラブ会長は気まぐれと言うか刹那が近くに居たため助けた女子生徒で刹那の事を「刹那様」と眼をハートにして呼んでいた時期もあったが今は進化して「刹那ちゃん」と呼んでいる。その事もあってかファンクラブ会員は少しでも刹那に近づこうと「刹那様」または「刹那ちゃん」と呼んでいるが此方も呼び捨てと言うのは一度も無い。
刹那が席に鞄をかければ、頬を赤めてパタパタと近づいて来る女子生徒が一人。
「おはようございます! 刹那ちゃん!!」
「おはよ、神崎さん」
眼をハートにして刹那に話しかけた金髪に近い女子生徒。この女子生徒こそ、刹那が近くに居たため助けて怪我をしていた為お姫様抱っこで保健室まで運んで連れて行っただけの娘であり、刹那からの認識はまぁ、良く喋り掛けて来る娘である。因みにフルネームは神崎里美。刹那ファンクラブ会長様である。
「そう言えば、今日。 日直なんだって? 頑張ってね」
「ハイッ! 頑張ります!!」
刹那の応援により嬉しそうに笑う神崎。
嬉しそうに頬を赤めて、軽く妄想をする。
(あぁあっ! あの刹那ちゃんに「頑張ってね」なんて言われる日が来るなんて… こんな事なら録音機具を持ってくるべきでしたわ… でも、とっても嬉しいです!)
軽く声を録音させられかけたのだが危ない線を渡っている娘ではあるがでも結構いい娘だ。刹那に対して一番話しかけて来、刹那も少しだけ言葉を返して話を振ったりする娘だ。
一先ず神崎との会話を終えた刹那は鞄の中から一冊の本を取り出した。この本は家にある古い歴史書をアクラが小説風に纏めた物だ。アクラは案外器用貧乏だと刹那は思っている。何でもできるのに刹那と言う人間の器に封じられている。昔、何かあったかはあまり知らないが封印されただけあって悪い事でもしたのだろう。
話は変わるが、刹那が今呼んでいる書物は妖魔の種類やその経歴などだ。製作時間は分からないが、スラスラと読めて案外面白い為刹那の暇潰しには持って来いなのだ。
そうとしている内に刹那のクラスの担任が来た。担任の名前は斎藤朱鳥。小柄の女性担任なのだが声と態度だけはかなりデカイ。だが、裏表も無く誰にでも好かれやすいいい先生だ。刹那からすれば安眠妨害を起こす少しだけ苦手と言うか嫌な先生なのだが…嫌いでは無い。
「皆! 今日は待ちに待った転入生の紹介よ!」
その言葉に一斉に教室が軽く盛り上がった。盛り上がったのはどちらかと言えば女性生徒の方が多い。
「やっぱりイケメンなのかな?」
「可愛い娘かもしれないけど… ウチのクラスには刹那ちゃんが居るからあんまりそう思わないかもね」
噂話をされているにも関わらず刹那は全く持って無関心。ハッキリ言ってどうでもいい話だし、好きにして貰いたいと言う感じだ。
軽く小さな囁きの声を拾った斎藤先生はクスッと笑って笑顔で言う。
「安心しなさい、男子生徒だし――私から見ても、うん。 美形だと思うから!」
斎藤も軽く嬉しそうに笑う。
つまり、ココでクラスのほとんどを納得させなければ案外斎藤の眼も案外悪い物となる訳である。でも、クラスのほとんどは期待に胸を膨らませて今か今かと扉が開かれるのを待った。
待っていないのはクラスの男子と無関心の刹那ぐらいだろう。
「入って頂戴、猫又君」
どうやら彼の名字は猫又と言うらしい。嫌な予感がして刹那も軽く転校生の方に視線を向けた。
「はい」
元気のいい声がしたのち、ガラガラッと音を立てて入って来る転入生。黒い学ランを着、軽いパサパサした黒い髪を持っていたが刹那ほどの黒さは持ち合わせていなかった。
斎藤先生は白いチョークを持ち彼の名前を黒板に書いた。書かれた文字は『猫又 一生』刹那とは違い、生きると言う意味を持った少年だった……。
「猫又一生って言います。家の都合があって転入って事になりました。学校にはあんまり通った事が無くて…これからよろしくお願いしますッ!」
元気な声でニカッと笑う一生に女子生徒は軽く黄色い歓声を上げた。だが、それもすぐに収まる物で一時的な物であった。男子生徒がげんなりしている事は言うまでも無いだろう。
「それじゃあ、猫又君の席は――ってか空いてる席って犬神さんの隣しか無いっか…悪いんだけど、あそこの開いてる席に座って貰える? 犬神さん、手、上げて頂戴」
「あ、いいっスよ。 場所は分かったんで」
斎藤先生の言葉に軽く遠慮して猫又はやんわりと断ったのちクラスで一番奥の窓側の席の隣である刹那の隣の席に向かい、ニカッと笑って刹那に軽く挨拶をした。
「よろしくお願いします、犬神さん」
「……よろしく」
また元気良さそうにニカッと笑う彼を見て、刹那は軽く戸惑った様な表情を見せたのち静かに小さく頷くだけだった。
これが彼との初対面。 思った事といえば、胡散臭い笑顔を浮かべて大人や周りの子たちから好印象を受ける全てを偽る様な笑顔を向けている、まるで自分が何者か分かっていないような子だと言う印象だった…。




