034 三分
◇ ◇ ◇
―――ご……な……
―――あり……こ……き……ま…って……
頭の中で響いた声は。
自分に酷く感謝していたのと同時に。
自分を物凄く心配し、傷口に優しく触れて。
ずっと、ずっと……少しでも良くなるようにと、柔らかな光を放っていた。
◇ ◇ ◇
眼の前に広がるのは。赤、赤、赤、赤、赤。
全てが赤色に染まる、まるで戦場跡地の様な光景。
骸の上に佇むは―――美しき金色の髪を持つ人魚……。
《かなりの人数を殺した様だな…》
「お前は……!」
アクラの言葉にアルフは忌々しそうな眼でアクラを見る。
そりゃあそうだろう。アクラはかなり特殊ではあるが、それでも、妖魔師に使える殺される事を逃れた妖魔なのだから。妖魔で言えば裏切者扱いされても無理はない。
《だが、まだまだ居るな…誰かが援軍を呼んだか……》
「!」
その言葉を聞いてアルフは驚いた様に敷地の外を見る。
幸いにも骸のおかげで多少は見渡せるようになっており、敵から気付かれやすいが、そのかわり敵の様子を見る事も出来る。よくよく見れば確かにそうだ。何者かが近づいてきている数は―――百、二百…下手すれば三百に登るかもしれない。
(だが、こんなに大量に妖魔師が現れるとは…一体誰の差し金だ?)
闇市光明の差し金ならばまぁ、分かる。
だが、新たに援軍を送り込むとはどうしても思えない。
小鬼共の情報網ではその様な事は全く闇市光明の性格は非常に快楽主義者だと聞いていた。様は自分が楽しめれば金などいくらでも落とす事が出来る太っ腹とも言える汚れた人間なのだ。
(奴の差し金では無いとすれば…依頼を受けた妖魔師が援軍でも呼んだか?だが、無償でと言うのはおかしい…。報酬のいくらかを渡すのか?嫌、それでも…)
グルグルと頭を働かせて考える。
報酬を渡すとしても、この数では少量の報酬となるだろう。それでは金に困っている妖魔師ならば釣れるだろうが、強者を呼ぶならばそれでは足りない。
(と言う事は、雑魚と考えていいのか…?)
雑魚ならばある程度封印から外れている自分の妖力で脅す事は可能だ。
だが、強者相手となれば脅して撤退させる事の出来る確率は非常に薄い。
そして、強者の言葉で雑魚が活気を取り戻し、死に物狂いで戦いに来ると言うのが非常に厄介だ。刹那が居れば、封印を簡単に解除して本来の姿で闘えるが…。
(嫌、あれは最終手段だ。何より刹那の体に負担がかかり過ぎる)
封印を解く事は刹那の体を巡る妖力の開放を意味する。
徐々に徐々に開放しては居るが、いきなり開放すれば堰を切った水の様に溢れだし、刹那の体に多大なる負担がかかるのだ。それは避けなければいけない事実。
(全く…誰の差し金だ?知り合いだったらビャクにでも頼んで暗殺でもさせるか……)
そんな物騒な事を考えながらも、不意にアクラは思い出したように辺りを見ながらも首を傾げた。
《そう言えば、あの―男は何処に往った?逃げたか?》
「あの、男……?」
アクラの言葉にアルフは首を傾げる。
あの男、あの、男…。ブツブツと呟きながらも考える。
そしてふと、ネコの姿を思い出し、アルフは大慌てで骸の上から降りた。
「しまった!」
飛びつくようにアルフはとある場所に立った。
そして膝を付き、そのまま手を当てて淡い光を放つ。
アクラもライもアルフのその行動に驚きを隠せなかったが、光の元へ急いだ。
《なっ……》
「た、大変…!」
アクラも驚きを隠せずに居た。
ライは口元を抑えて眼を大きく開いたが、自分に出来る事は無いと瞬時に悟った為に、アクラからあまり離れない様にした。
《―――退け!》
一瞬、言葉を詰まらせたアクラだったがすぐにアルフの手を払いのけ、自分の前足をネコの胸に当てた。
瞬く間に放出される膨大な妖力。それは傍に居るアルフでさえ、多少回復できるほど濃密な妖力であった。自分達を囲む様に円状の結界が成され、人目でかなり弱い物だと分かったが、それでも無いよりかはマシだ。
「……ありがと」
そっぽを向いてぽつりとアルフは呟いた。
その『ありがと』の意味は二つある。一つは妖力の回復を図ってくれてありがとう。もう一つは…治療をしてくれて、ありがとう。あの傷はアルフの力ではもう駄目だった。本当に一秒二秒の延命にしかならない。
だが、この犬神の禍々しいほどの強い濃密な妖力のおかげで傷口は一時的にではあるが止められ、そして加護である精霊の力も抑え込まれている。
(悔しいけど…凄い……)
相手に触れ、ただ妖力を放っているだけだと言うのに、アルフは敬意の意を称するしかなかった。
(これが…〈犬神〉…なんて、凄まじく強い妖力――…)
放たれる妖力は自分の強さを単純的に表している。
小鬼などの様に弱い妖魔であれば放たれる妖力は極僅か。その為、人体に影響を齎す事は少ない。
だが、もしもアクラの様に強い妖力を持った妖魔が悪意を持ってその力を纏えば。弱い者などその妖力に触れただけで命を落とすだろう。
(これが―――千年前に封じられたとされる―――伝説に近い〈妖魔〉の力の一部…)
傍に居て分かった。
―――勝てるハズも無い。
そして、生半端な封印では封じられる妖魔では無いと言う事が分かる。
良くもまぁ、封印できたモノだ…結界内に居るアルフは、素直にそう感じた。
《そろそろ戻っただろ、お前が結界を担当しろ。俺の結界は脆い》
アクラのその言葉にアルフは驚いた様な顔をする。
だが、すぐに頷き、自分の結界を一回り小さくして展開した。
その瞬間にアクラが生み出した脆すぎる結界はアルフの強い結界が展開されたと同時にボロボロと消え失せた。
「……どうなの?」
不安そうなアルフの声。
その声に、アクラは少し申し訳なさそうに声を出した。
《……俺は妖力の制御が苦手だ。だから、無理矢理傷口を止める事しか出来ない》
それはつまり、傷口を止める事は出来る。
だが―――完璧に治す事は出来ない。そう言う言葉の、裏返しでもあった。
「――治せないの!?どうにかして!」
妖力が少し戻ったアルフでは駄目だ。
アクラは妖力制御が苦手である為、下手に治そうとすれば逆に傷口を広げる可能性もある。
《―――刹那だ。今、刹那が降りてきている》
「!」
《アイツなら俺の妖力を制御できる。治す事も可能だ》
その言葉を聞いて、アルフは安心した様に胸を撫で下ろした。
「そっか…良かったぁ……」
ぐしゃぐしゃの顔で笑ったアルフ。
その顔は御世辞にも綺麗とは言えない顔だったが―。
アクラは今まで見せて来たどの笑顔よりかはマシな様に思えた。
《だが―――…》
アクラのその言葉とほぼ同時に。
結界が何者かに攻撃され、少しだけ揺れた。
「敵……!」
ザッと立ち上がったアルフ。
だが、結界から出ようとはしなかった。
「ライ…」
結界を強固な物へ変えつつも、アルフはライの元へ近づいた。
膝を付き、心配そうにのぞき込めばその顔にはこの場には似合わない柔らかな笑顔があった。
「私は大丈夫よ、アルフ。だから、安心して。ね?」
ニッコリと笑うライ。
しかし、アルフは心配でならなかった。
こうしている間にも結界は崩壊への道を辿っている。
アルフは妖力の操作は上手いが、アクラの様な膨大な妖力は持っていない。
そもそもアクラを比べるのが間違いなのだろうが、彼と比べてしまうと天地の差ほどあるのだ。
妖力も多少回復したとはいえ、全回と言うにはまだほど遠い。そんな状態でライを護れると思っているほど、自分の力に酔っている訳では無い。
「でも……」
ライをこのまま放っておけば殺されてしまうかもしれない。
妖魔師はライを自分の主人だと思い込み、殺す可能性が高いのだ。
《だったら俺が護ろう。俺の傍で影に包めば多少の攻撃なら大丈夫だ》
その言葉を聞いてアルフは頷いた。
アクラの告げる“影”とは彼の妖力の事だ。
それをまるで影の様に操る事を刺し、本来は攻撃技なのだろうが、包む事により護り技としても使用しているのだと思われた。
「刹那が来るまでの時間は?」
ライがアクラの傍に寄り、影に包まれる中で、アルフは結界の外を見つつも問いかけた。
《三分だ。三分、時間を稼げ》
たった三分。
されど、三分。
全てが決まるタイムリミットは――三分。
「たった、三分よね?分かったわ。時間を稼ぐ」
《出来れば再起不能で頼む。聞きたい事があるからな》
「それじゃあ、数人残しておくわ」
そう告げて、アルフは結界から出た。
その背中は実に頼もしく、輝いている様にさえ見えた。
「あの…アルフは―――」
《心配なら、【願え】》
「え?」
アクラから突如放たれた言葉。
それは意味は分かるが現在の真意が分からない【願え】と言う言葉。
《【願い】は気まぐれにより叶う。【願い】は〈言霊〉よりかは小さな力だが。希に叶う時がある》
だから、願え。と告げたアクラ。
ライはその言葉の意味はあまり分からなかった。
だが、願いは叶うと言う言葉だけを素直に受け取り、静かに手を合わせた。
(アルフが、帰って来ますように…)
どんな形でもいい。
アルフが笑顔で、笑える日々に。
アルフが死なず、笑顔で帰ってくれればそれで。
刹那が来るまで残り―――…。
二分、三十七秒―――――……。




