024 自由の代償
乾いた肌に、塩水が落ちた。肌を滑り落ち、乾いた肌を多少潤してくれる。
頬につたる雫が何とも言えぬ、愛しさを持っていた。
声が響く。
誰かの声が。
「―――イス。ヴァ―――!」
必死に呼びかけていたその声。薄っすらと眼を開けば、そこには泣きながら此方を見ている親友の姿があった。
「ヴァイス!ヴァイス!!」
何がそんなに嬉しいのか、親友は笑って抱きしめてくれる。自分の為なんかに水を流し、抱きしめてくれた。傷だらけの体に塩水は染みる。それでも、親友が自分の為に流す雫に痛みは感じられなかった。
「ごめん、金色……」
最初に出た言葉は謝罪だった。金色は首をふるふると横に振り、否定する。
「私が油断したせい。待ってて、今、治すから…」
そう言って金色はヴァイスの体に手を当てる。しかし、ヴァイスはそれを拒んだ。何故?と言う様に見て来る金色に対して、ヴァイスは静かに口を開いた。
「ねぇ、金色。お話をしない?」
「………。えぇ、いいわよ。でも、後から治すからね?」
吹っ掛ければ金色は戸惑いながらも頷いた。それでヴァイスが治療させてくれるのならば、と。嬉しそうにヴァイスは笑い、昔話をし出す。色んな事があった。姉様たちに怒られた事や、初めて金色が海面に出、人間を見た事。昔の話から始まり、現在の話に戻った。
「金色は、綺麗だから皆に好かれてたよね」
「えぇ、そうみたいね。」
自分の話はあまりしない金色。声のトーンも少し暗くなるが綺麗な声だけは今の尚、響いたままだった。
「私は、金色が好き」
「!私も、ヴァイスが大好き。親友だもの」
そう言って抱き着く金色。ヴァイスも、抱きしめられて抱きしめ返す。
「だから、私は貴方に生きて欲しい」
「…………?ヴァイス…」
何を言っているの?見なくても、今の金色の心境は理解出来た。それでも尚、ヴァイスは言い切る。
「私は貴方に生きて欲しい。例え、どんな手段を使おうが」
真っ直ぐと普段開かれていない瞳が開く。見えていないハズなのに、力強い瞳に魅せられ、金色は息を飲んだ。
「まっ、待ってヴァイス。貴方、何を……」
「大丈夫、私を信じて」
金色の言葉を遮り、ヴァイスが言い切った。真っ直ぐと貫かれる瞳に、金色は小さく頷いた。
「私、妖術って苦手なの。けどね、私にも出来る大きな術があった」
「ヴァイス…?貴方…一体、何を……?」
ヴァイスが残す、一つ一つの言葉。その言葉には色んな思いがある事を金色は感じ取っていた。言葉を聞くたびに胸に残る大きな石の様な不安の塊。ヴァイスを見て、聞くたびに徐々に膨れ上がって来る。
「私の使える大きな妖術はたった一つ」
「!待って、止めて!そんな事、私は……!」
嫌な予感がした。だから、金色は声を上げる。
ヴァイスがしようとしている妖術。それは……
「望んでいないのは分かってる。これはね、私の勝手なお礼だから」
口が開くたびに、金色は首を横に振る。かすれた声で「止めて」と告げるが、ヴァイスは口を閉じようとはしない。
「この反応だと、もう分かってるよね?」
(止めて、これ以上は……!)
ヴァイスの言葉に金色は首を横に振る。声は何故か出せなくなっていた。胸が痛くなり、この状況を拒絶しきれていない自分に腹が立った。
「〈等価交換〉」
等価交換。互いが同じ価値がある物だと思った時に発動する交換の事を差す。価値が等しい物を交換する事にも用意られるその言葉。そして、その言葉を用いた妖術は…。
「私の全てを代償に、貴方を生かす。貴方を“人間”にする。」
その言葉を聞いた瞬間、金色から甲高い悲鳴が放たれた。
「止めて―――――ッ!!!」
ついに放たれたその言葉。しかし、もう交換は始まっていた。
ヴァイスの周りに奇妙の黒い触手の様なうねりが見え、ヴァイスの躰に触れる。ヴァイスは苦しそうな声を上げながらも、口元は笑っていた。
「止めて、ヴァイス!お願い!!」
例えココから逃げる為だとしても、もっと他の方法があるかもしれない。だから、止めて欲しい。止めて!そう告げても、ヴァイスは止めようとはしなかった。否、止めれなかった。
「代償は私の全て。そして、それにより貰うモノは…金色が逃げる為に必要な“足”完璧な人間じゃ無くていい。彼女を、人間の姿にして。自由に変化が出来る様な、今よりももっと、強大な―――力を!」
「止めて、私はそんなの望まない!一緒に生きよう!一緒じゃ無きゃ、嫌!嫌なの……!」
ヴァイスの言葉に金色は否定する。そんな力はいらない。例え人間になった後、どうすればいいのか分からない。人間に変化したとしても人間の文化を何も知らなければ生きられない。何もできない、どうせ、捕まるだけだ。
死ぬ事よりも、彼女が自分のせいで眼の前で死ぬ事が許せなかった。そして、何もできない自分がもっと許せない。
「貴様ノ全テヲ貰ウ。ソノ代リ、眼ノ前ニ居ル女ニ変化可能ナダケノ“力”ヲヤロウ」
真下の術式から声が響いた。恐らく、その声の主こそ〈等価交換〉の主。
「私、貴方の事が大好き。だから、生きて欲しいの」
「お願い、止めて。私は、こんな力貰ったって……嬉しくは無いの。貴方が居なきゃ、私は……」
その言葉を聞いて、ヴァイスは少しだけ驚いた様な反応をしつつも笑った。まだ、時間はある。ならば、話したい事を話せればいいじゃないか。
「私は独りだった。例え綺麗だと褒められたとしても、それは私の外見。誰も私を見てくれなかった。貴方一人なの、“私”を“私”として見てくれた人は。私の全てを受け入れてくれたのは貴方だけ。姉様たちは私を羨ましいがってただけ。貴方だけなの、私と一緒に居て笑ってくれたのは。貴方だけなの、私の話をずっと聞いてくれて、笑ってくれたのは」
ボロボロと泣きながら、金色はヴァイスの手を掴む。すると、ヴァイスは嬉しそうに笑った。
「金色だけだよ。私に話をしてくれたのは。私に、色んな話を聞かせてくれたのは。私は眼が見えない。だから他の部分を頼りに進まなきゃいけなかった。手とり足とり、教えてくれたのは金色だけ。姉様たちは本当に私の事を心配している様だったけど、金色だけなんだよ?飽きもせず、毎日私の元に来てくれて、お話を聞かせてくれるのは。私を可哀想な者として見ず、普通の友達として見てくれたのは」
お互いがお互いを必要としていた。その事実を最期の最期、知ってしまうなんて…本当に、馬鹿馬鹿しい。二人はまるで今までの自分達を嘲笑う様に盛大に笑った。黒い触手がヴァイスの尾鰭に触れはじめる。そこからヴァイスは闇に呑まれ始めた。
「そろそろ時間かな?ねぇ、金色。手を出して」
「なに……?」
もう、我儘を言わない。静かに、金色は手を差し出した。
「あげる」
そう言って差し出された御世辞にも大きいとは言えないが、綺麗な真珠。目視しにくい糸が縫い付けられており、一粒真珠のネックレスとなっていた。
「あげる。誕生日、もうすぐだったでしょ?」
本当はもう少し大きくする気だったんだけどね?と小さく笑うヴァイス。そして金色は感じ取った。これは、ヴァイスが長年溜め続けた妖力なのだと。
「誕生日なんて、後何回来るか分かんないのに…」
「誕生日プレゼント、だっけ?人間が飽きずに毎年毎年贈ってるって。金色が笑ってた」
「!」
ずっと昔の話だ。何処かの王族への贈り物とか何とかで、毎年決まった時期になると大きな貨物の船が通りかかっていた。そして、その馬鹿みたいな話をヴァイスにした事があった。
「大好きだから、上げたかったの。私も、結構……物好き、だよね」
えへへ。と苦笑交じりに告げるヴァイス。もう、時間が来ていた。
「ありがとう。金色。こんな私を、親友だと言ってくれて」
「………ありがとう。ヴァイス…。私を、私と見てくれて…」
最期に額を合わせる。
刹那の間。
ヴァイスは、永久の闇に呑まれた―――…。最後に見えたのは、笑顔のヴァイス。そして、最期の言葉は、金色からすれば忘れない物だった。
「_______」
その言葉を聞いた瞬間、ヴァイスの瞳からボロボロと大粒の涙が零れ落ちた。親友が死ぬかもしれないと思って零したあの涙とは違う。今度は本当に、居なくなってしまった。自分のせいで。
「あああああああああああああああああああああああああ」
船全体に響く様な悲鳴。その言葉が放たれた瞬間時術式は綺麗さっぱり消え失せた。後に残ったのは彼女から貰った真珠のネックレス。彼女の形見は、これだけ。後は全て消え失せた。常闇の中に。
微かに見えていた光は二度と見えぬ闇の中、光が訪れる事は無い。その闇の中に、彼女は堕ちて行った。
「………ごめんなさい」
その言葉はヴァイスが望んでいないと分かっている。けれど、一度だけで良い、貴方に向かって言わせてほしい。
「そして―――…ありがとう」
最愛の友の死。その友が最期の最期に願った言葉。その言葉を、金色は受け止めた。例えその道が地獄であれ、彼女の願いならば、それを受け止め、突き進もうと今、ココで決めた。
「私に名前は無い。私は、友の死のおかげで行き逃れた――妖魔だ」
自分にそう言い聞かせ、首から彼女の形見を下げる。服の中に入れ、足を手に入れる為に人間に一時化ける。綺麗に化ける事が出来、金色は扉を開いて歩き出した。
『生きて―――…』
彼女が願った事を現実に。全てはただ、それだけの為に―――。




