002 消えろと言う名
生まれながらに消えろと言われ続ければ。人は誰でも自分がイラナイ物だと認識する。
消えろ。
居なくなれ。
お前はイラナイ。
イラナイから―――消えろ。
一瞬で。
刹那に―――消えろ。
頭の中で生きているのは赤子の時から言われ続けたであろう自分を呪う、言霊。不意に思い至った彼女は、高いとあるフェンスの無いマンションから下を見下ろし静かに前を向いてぼやいた。
「イラナイ。イラナイってさ… 皆して、なんでそんな事言うと思う?」
独り言の様に見えた彼女の言葉。
けれど、その言葉は少しだけ低いぐぐもった声に返された。
《それは実に簡単な話だ、刹那。 お前は忌み子だ。 イラナイ子供だ。 だから皆、お前の死を望む》
声を返してくれたのは黒い毛玉の様な生き物。
本当に生きているかが分からないくらい毛玉の様に真っ黒黒で何より丸い。
触れてみれば分かるのだが小さな耳と尻尾、手足と眼もあるのだが非常に分かりにくい。
「それ、聞き飽きた」
《だったらぼやくな、聞くな。 口に出すな》
「知らない」
刹那と呼ばれた少女は軽く溜息を吐き静かに黒い毛玉を軽くデコピンで飛ばした。力によりくるくると回る毛玉は実に面白くて刹那は軽く小さく笑みを作ったのち、静かに空を見上げた。
見上げた空は何処までも紅く――― 時はもう、夕焼けとも言えた。
「ねぇ、アクラ」
《………なんだ?》
アクラと呼ばれた毛玉は静かに返事をした。
「お前はさ、私と共に死んでくれるか?」
ぴくりと…一瞬毛玉が揺れた。
だがすぐに、彼女の望む返答が帰って来た。
《お前が死ねば俺も当然死ぬ。 何を今更…》
「そうだった」
まるで先程まで忘れていた様な反応を示す少女にアクラが軽く怒りを覚えるがでも何も言う気は無かった。
それが刹那と言う少女の人格であり、独りに慣れてしまった孤独な彼女の唯一の話相手だからだ…。
「アクラは、死にたい? 私は―――死にたいよ」
《死にたければ自殺でもすればいいだろ? 死にたいと言いながら、お前はまだ死なない…》
呆れた様に溜息交じりに言う毛玉を見て刹那はその毛玉を持ち上げて手の平で軽く転がした。素直に何も言わずに転がされる毛玉は何とも不機嫌そうで、刹那は軽く笑みを浮かべた。
妖艶な、怪しげな笑みを――――……。
「消えたいから死ぬんじゃ無い。 どうせ死ぬんなら私よりも強い奴に殺されて死ぬ」
《またそれか……》
「だから付き合ってよ、アクラ! 私が死えるまで。 ね?」
ニッコリと無邪気に笑う彼女。
でも、その笑みは何処か大人びているのは――多分、歳に似合わないほどの言葉遣いにあった。
《安心しろ、ちゃんと付き合ってやる。 俺はお前の武器だ。 お前が消える事は望まないが―――… お前が正しい答えを見つけることを、切に願おう》
アクラは静かにそう言って小さく頷いた。
しかし、アクラとて彼女にはあまり死んでもらいたくないらしい。言葉がそう告げていた。
《しかし刹那。 貴様は何故、強い物を求める?》
貪欲な獣の様に貪り食う様に。
彼女は強い敵を求め、裏路地を駆け巡っている。
「どうせ死ぬなら、自分より強い人に出会いたいよ。 だってさ、雑魚に殺されて死ぬなんて嫌だもん」
だらりと寝っ転がった刹那は静かに軽く口元を上げた。三日月の様に吊り上がる口元は何とも何かを企んで居る様に思えてアクラはそこで降参と言う様なポーズを示した。
彼女の黒い黒い、何も映さぬ漆を塗り固めた漆黒の様な瞳の中に映るのは同じく真っ黒な毛玉の姿をしたアクラ一匹のみ。
「アクラは――――――生きたい?」
起き上り、静かに囁かれた彼女の言葉…。
アクラは素直に、小さく頷いた―――――――…。
「そっか」と言われても彼女の答えは変わらない。彼女が求めるのは強い奴と戦い死ぬ事のみ。何の迷いも無い。
「私の名の由来は消えろ。 刹那に消えろ。 だから私はその通りに死ぬ――― 強い奴に殺されて、刹那に――――…」
彼女の名の由来は「消えろ」刹那と言う短き時の間に消えてしまえと言う意味が込められている。どうしようも無い親が付けた名前だ。
もう、この様な悲劇を出さぬ為に―――死ねと言う名を付けたのだ。自分は結婚し、愛する者とのうのうと暮らしていたと言うのに―――…。
虫唾が走った。アクラは嫌いだった。真っ直ぐで純粋な少女をココまで狂わせたその狂乱の名が。美しい響きだと言うのに込められた意味は残酷極まりない。
「さてと… 今日はどんな子に出合えるかな?」
《お前は強い刹那… 異常なほどにな》
歴代の誰よりも妖魔を理解している彼女。だからアクラは言い切れた。彼女は彼女異常な異常な妖魔に出会わなければ――死ぬ事は出来ないと…。庇う者など居ない。守る者は無い。
何時死んでも、彼女の死を嘆く者は独りも居ない―――― そんな人間に対して、アクラは怒りをにじませた――――…。