018 居るから言っている
ピンポーン。とアニメなどでよくありそうなインターホンが中で鳴るのを軽く耳にする。ほんの少し経てば中から何事か、と言わんばかりの足音が軽く聞こえ、そして鍵を恐る恐る開ける音、そしてキィイイ…と多少建て付けの悪い扉が小さくほんの少しだけ、開いた。
「どちら様、でしょうか…? セールスなら、お断りです……」
帰ってくれ。言葉はそう告げていないのに、声はそう告げていた。「眼は口ほどに物を言う」と言うが「音は言葉ほどに物を言う」とも言うかもしれない。と刹那は軽く思った。
声を押し殺して、自分の感情を殺して言う様なその言葉を聞き、刹那は淡々とした口調で静かに自分のすべき事を述べた。
「初めまして、依頼を受けて来た。 妖魔師の者です」
何を思ったのか女性は何も言わずに静かに扉を閉めかけるが、刹那はその閉めかけられた扉の間に細い手を突っ込み、相手に依頼書を見せた。
「取りあえず、この人に合わせて下さい。 貴方では、無いでしょう?」
軽く唇を噛む様に反応した女性に対して、刹那は小さく意地悪い笑みを浮かべた。後ろで「悪魔だ…」何て声が聞こえるのをまたスルースキルを使って無視を貫き通した。
「………どうぞ」
また、自分の本当の気持ちを押し殺したように告げる彼女の言葉に対して、刹那は何も言わず「どうも」と淡々とした口調の声で静かに頭を下げて屋敷の中に足を踏み入れた。
◇ ◇ ◇
刹那達があの女性に案内されたのは小さくこじんまりとした部屋だった。しかし居心地は悪いものでは無く、むしろ何時も小さな部屋に押し込められるように生活している刹那からすれば心地がいい物で、柔らかな香りがする昔ながらの香が焚かれていた。恐らく、この屋敷の主人が高齢で香の香りが好きなのだろうと思われた。
臭くも無い、むしろ落ち着かせてくれる香りを嗅いでネコも多少落ち着きを取り戻しており、とろんと鼻を伸ばした。静かに出された粗茶は苦味があるものの香りのおかげでか、中和されてあまり苦さを感じなかった。そしてその粗茶を出した女性は逃げる様にしう部屋から出たのち、刹那は静かに口を再度開いた。
「ビャク」
「お呼びでしょうか?」
真後ろで隠形をしていたビャクは突然的に出現する。だが、見えなかっただけであり気配は感じ取っていた為刹那は対して驚きもしなかった。
「この香に何かしらの影響はある?」
「此方の、香ですか…」
「そうよ」
ビャクの問いに静かに声を返した刹那。香と言う物は良い香りに忍ばせて毒を持ったりする事もある。昔は暗殺などに使われたりしたりしたのだが長時間吸わなければ問題ない為、初期状態であれば解毒できたハズだと刹那の頭には残っていた。
それに、毒だと判明した時点で毒避けの呪いをかければいいだけの話だ。呪符は一応用意して来た刹那。妖魔師言えども妖魔を狩るだけが妖魔師の仕事では無いのだ。
「私の知る限り、此方の香は人体への影響は何も無いようです。 恐らく屋敷の主人の趣味かと思われます」
ビャクの言葉に刹那は小さく頷いた。元々そうとは思っていたのだが、念には念を入れて、だ。
「元々あまり警戒していないけど、でもまぁ。 吸っても構わないわね」
ココは一応一度は知り合った友人と言うか、知り合いの家。毒を盛られる事は無いと思っているが念には念を入れて、だ。しかし話を軽く聞いていたネコからすれば訳が分からない事で不思議そうに首を傾げて此方を見て来た。
何故、たかが香一つにそこまで警戒心を剥き出しにするのか、それさえ分からなかったのだろう。
「古来より、香は何かしらの者を油断させるもしくは油断させたところを殺す、痺れすりの様な効果があるとされている。下手すれば毒を盛られ、暗殺などに疲れたりする場合もある一番最初は“毒”などではなくとも、後から香をすり替えられる事もあるかもしれない。今回の場合はその線は薄いから多分、問題ないだろう」
静かにそう告げる刹那に対してネコは思わず手を手の平を見せた。困った様に笑う事から降参、と言う意味だろうと解釈できる。勉強になっただろ?覚えろ、と言う様な視線を向けて来る刹那の視線が少しだけ痛くてネコは困った様に微笑した。
(良く見れば、埃一つ無い部屋…、毎日掃除してんだろうなぁ…)
見た感じ埃一つとして無い部屋だ。隅々まで掃除されている部屋は往ってみればかなり珍しい。ホテルならば在り前であるのだが、しかしいくら人が来るとはいえ、事前に連絡していたならばともかくこの綺麗差は毎日の様に掃除しているのだと思われた。
気配を探るのは苦手なネコであるのだが、気配はダダ漏れであるおかげで屋敷にはネコが感じられる気配は二つだけ、もしもネコの気配読みが正しければこの屋敷には二人しか人が存在していないと言う訳である。
思わず、ネコは溜息を吐いた。呆れた訳では無い、むしろこんな屋敷をを二人で切り盛りするのが凄いと思っている。しかし、この依頼はかなり難しいのかもしれない。一番最初は簡単だと思っていた依頼でも依頼主、そしてその妖魔の感情は複雑だろう。抵抗されればどうなるか分かった物では無い。かなり難しい依頼とも言えた。そんな依頼は自分では手におえないのだろうと思って、溜息を吐き出したのであった。
前を向けば静かに紅茶を持つ彼女の姿が見える。服装は動きやすい様にと何時も通りと言える青い長ズボンに灰色の薄いパーカーを身に纏っている。ふと思えば彼女が持っている黒い鞄から何かしらの黒い布が見えた。恐らくこれは戦闘用では無いのだろう。本当にラフな服装、休日、街を出歩く服装なのだと思えた。もしそうであれば変な話、かなり色気が無いな。と思ったネコは変体だ。
だらりと垂れさがった黒い髪は多少邪魔そうであるが、ビャクが隠形したまま刹那の髪に器用に触れ、邪魔にならない程度に持ち上げた事により彼女は平然と紅茶を飲む事が出来たのだ。ネコから見ればビャクの姿は見えない為一体どうなっているのだろうか?と眼を見張る光景であるが一般人の前でそんな光景は見せないだろうと勝手に決めつけ、ネコは考えない事とした。基本的に妖魔師は邪魔になる髪なんかは切ってしまう傾向がある。理由は時間を消費しない為であるのだが、彼女はそんな時間ロスはどうでもいいらしく普通に髪をだらりと落としていた。
「どうした? ネコ」
ネコの視線に気づいていた刹那は等々堪え切れなくなったのか、声を軽く上げて問いかけた。しかしネコは慌てた様にバッと俯き顔を隠した。恥ずかしそうに俯いて「何でもない」と言う彼であるがとても気になる。何でも無くないと普通の者でも思ってしまう。しかし刹那はどうでもいい様で普通に視線を元に戻した。
(完全に、呆れられた…)
ゴンッ、と机に軽く額を叩きつけたネコ。完全に呆れられた、必要とされないかもしれないと思った為に頭の上に落ちて来た岩は心なしか、とても大きい様な気がした。
《刹那、今回の依頼は―――…》
刹那の眼の先で静かに声を出す黒い毛玉。アクラだ。
狐の様な尾は伸縮自在の様で不気味なほど、長くなった尾で刹那の頭を軽く撫でた。
「分かっている」
アクラの尾で軽く撫でられた刹那は特に思う様子は無い様で淡々とした口調でそう告げた。静かにその光景を眼の端でとらえたネコは羨ましい、と思いつつも軽く涙を流した。長年の信頼と言う物が大きいのだろうか…いいや、あのビャクよりかは自分の方が多分、若干ではあるだろうが此方の方が出合った時間は先のハズなのだが…刹那に信頼されている為か、独断で髪を触っても怒られていない。
「やっぱ、一緒に居た時間の差ってヤツか…?」
小さくポツリと呟いたネコ。その呟きはとても寂しそうで、独りぼっちの様な気がした。でもそれだけじゃ無いような気がした。だって、時間差で全てが決まるのならば―――“ネコ”は―――…。
『今日からこの子が貴方のお兄ちゃんになるのよ』
『お前はお兄ちゃんの言う事を聞くんだぞ? 一生』
思い起こされるのは嫌な日々。
『初めまして、一生。 今日から君のお兄さんになった―――…』
本当に、嫌な思い出だ……。
◆ ◆ ◆
この屋敷の南側の一番奥。日光が一番当たって暖かい部屋。黒い扉をやや強引に開いた女性は眼の前でゆったりとロングチェアに座り安らぐ老婆を見て小さく笑みを浮かべた。白髪を生やしているものの、その髪はしっかりと髪に残っており、髪を染めればまだ若々しく変身できるような気もした。
膝には紫色のひざ掛けを置き、ギィッ、ギィッと揺れるロングチェアはひと時の安らぎを感じさせた。そのロングチェアはかなり古い物の様で揺れる音がその古さを物語っている様でもあった。しかし、それに座る老婆は柔らかにそそぐ暖かな日差しを受けて緩やかに気持ちよさそうに眼を閉じていた。
まるでその様子は寝ている様で、だからであるか。お客様が来たと言うのにこの老婆を起こすのに少しだけ罪悪感を感じてしまう。しかし、お客様を待たせるわけにもいかない。そして、彼女からすれば早く出て行ってほしいお客様だった。だから、早く起こして間違いだったのだと、その口で行っても貰わなければならない。
胸に罪悪感を抱きながらも彼女は老婆の少し力を入れれば折れそうなほどか細い骨が剥き出しになっていると言ってもいいほど骨と皮しかないような肩に触れる。そして、もう。自分以外は口にしないと思っていたその名を呼んだ。
「ライ。 起きて、ライ」
肩を軽くゆすり、柔らかな声で何度か呼ぶ。だが、ライと呼ばれた老婆は起きてくれない。困った様に彼女は笑みを浮かべたが、心を鬼にして更に体に振動を与えた。
「ライ、お客様」
老婆の体に先程よりも強く圧迫感を与える。しかし中々起きる気配が見えず彼女は小さく溜息を洩らした。しかしその後、ピクリと指が揺れたのを見て彼女は安堵の息を吐いた。
「待っててライ。 今、車いすを用意するから」
静かにそう言いかけ、立ち上がった女性の細い腕を軽く力無く掴んだモノがあった。
「アルフ」
か細い声が響いてアルフ、と呼ばれた女性はにこやかに笑みを浮かべて笑った。
「はい? なに、ライ」
嬉しそうに笑みを浮かべて言うアルフ。日の光を浴びてキラキラと金色に輝く髪は何度見ても美しい。
「………いいえ、なんでも。 無いわ。 ごめんなさいね」
一瞬何かを思ったのか、しかしライは首を横に振って謝った。時間を取らせてしまったからか、はたまた様が無かったのに呼び止めてしまった事からなのか。それとも――――…。
「ライ、起きて」
アルフは静かにそう言ってライの座るロングチェアの隣に車椅子を近づけた。ライはそのまま杖も使わずゆっくりと立ち上がり、車椅子へ腰を下ろした。
「本当に… 貴方が居ないと、駄目ね。 私は」
「頼ってくれて、私は嬉しい。 ライ」
ライは小さく落胆の溜息を吐いたのを、アルフは気付かなかった―――。
『私って、ほんと… 駄目よね』
聞こえない言葉は、まるで泡の様に虚空に消えた。
◆ ◆ ◆
静かに依頼人を待つ刹那達。ネコも静かにそして小さく震えて硬直していた。そしてそんな光景に慣れつつあった刹那は気配が近づくのを感じてか、紅茶をソーサーの上に置いて鞄の中から手紙を睨みつける様に見ていた。
そんな時、不意打ちを打つかの様にコンコン、と軽く扉がノックされる音が響いた。刹那はそれを聞いてビャクの名前を本当に呟くよりも小さく告げた。そうすればビャクは髪の毛をゆるりと放し、すぐに隠形して見えなくなる。
静かに開いた扉。そして、そこから見えるのは二人の影。
「初めまして」
最初に口を開いたのは依頼人の方だった。挨拶をして来たのは老婆。刹那は何も言わなかった物の静かに小さく頭を下げた。
「私の名は、ライ。この屋敷の主人って言う立場だけど… 堅苦しいのは苦手なのフレンドリーにしていただけると嬉しいわ」
柔らかな笑みを浮かべるライと名乗る老婆。そんなフレンドリーな依頼人を見て、ネコは少しだけ緊張が解けたのか固まりながらも笑みを浮かべた。
「そ、そう言うのなら俺は喜んで! 堅苦しいのは苦手なんです」
「あら、そうなの。 ありがとう」
ライはゆるりとした柔らか笑顔を浮かべ、ネコは嬉しそうに合図を打つように笑った。刹那は何も言わないが…フレンドリーと言うのは難しいだろうとネコは影ながら当たり前の事を感じていた。
「それで、ライさん」
「ライでいいわ。 えっと…」
そう言えば自己紹介がまだだったようだ。刹那は静かに眼を伏せたのち、静かに自己紹介を始めた。
「私の名前は刹那。 あそこの馬鹿が」
「ば、馬鹿じゃないって! あ、紹介に上がりました、猫又一生って言います! ネコって大概呼ばれてますがソッチはあだ名ですがお好きなようにおよび下さい!」
ネコの元気のいい言葉に愛想のよい笑顔でライは何度も頷いた。何度も頷きポツリ、ポツリと小さく声に出して顔を見て告げた後、彼女は安心した様に笑った。
「ゴメンなさいね。 歳のせいで中々人の名前が覚えられないの」
「構いません」
名前何てその物を現す為の人間が生み出した言語に過ぎない。相手に何か伝え対時に使う言葉でしかないのだ。
「其方は?」
「あぁ、この娘ね」
刹那が視線を送ったのはライの後ろで車いすを押していた女性だ。蜂蜜を溶かした様な髪を持ち、瞳は美しい海の青を水で薄めたような白に近い透明な水色。背も目算で百七十近くありそうだ。前髪で隠れるのだがチラチラと見える瞳は自分達を敵視している様に、怯えている様にも見えた。
「この娘の名前はアルフ。 私の…お友達よ。 とっても優しくて、気が利く娘なの」
柔らかな笑みを浮かべて笑うライ。まるでその笑みは彼女と自分が旧友と言っている様にも見えた。
「そうですか。 では、本題を始めましょう」
「はい。 お願いします」
車椅子に座って少し頭を柔らかく下げたライ。刹那は何も言わずそして持っていた手紙をライに向かって差し出した。
「まずはこの言葉が必要でしょうね。 お久しぶりですね、ライさん」
「えぇ。 お久しぶりですね、刹那」
ライはにこやかに笑い刹那の手を取った。しわくちゃな手であるが刹那は拒む事も無く、むしろ受け入れる様に彼女の手を己の手で包み込んだ。
「まさか貴方があの時渡した式鳥を使うとは思ってもみませんでしたよ」
「ふふ…… 私もそれだけ、歳なのよ」
ライと刹那が出合ったのはかなり昔では無い。ほんの二三年前話しである。だが連絡は一切取っておらず、互いに顔を少し覚えている程度だったハズなのだが…相手も覚えていてくれたようだった。
「それでは貴方は何故、私の職業を知ってでのこの依頼書を?」
茶色い封筒に包まれる依頼書は友に送られる手紙の様でもあった。ライは静かに微笑み、頷いた。
「刹那さん、私のお願いはそのお手紙に書いてあった通りですよ」
ゆっくりと笑みを浮かべるライ。刹那はそうですか、と言った後話をまた続けた。
「貴方の出した手紙の内容は知っています。 けれど、私には分からないんですよ。貴方がこの手紙の内容の真意が」
「手紙の真意? 無いわよ、そんなモノは」
とぼける口調では無い。むしろ本当に知らないような口調であった。しかし、刹那は真っ直ぐとライを睨みつけるような視線で凝視した。
「妖魔師にこの情報を与えるのがどれだけ危険か。 貴方はご存知ですか?」
知らないからこそ、彼女は手紙を出したのだろう。ならば、教えて上げねばならない。例え、自分が悪役になったとしても……。
「裏に通じている妖魔師だっています。 ソイツにこの情報が耳に入れば血眼になって貴方を殺しに来ますよ? 貴方が人魚を飼っていると思ってね…」
パサリと落ちた手紙。そこには優しそうな文字ででも堅苦しくびっしりと文字が並んでいた。その依頼書には、こう書かれている。
〔人魚を連れて行ってほしい〕
短い文章でそれだけ。しかし、この依頼書の元に人魚が居る事だけは明確に理解できる。訳が分からないと言う様に頭の上に疑問符を浮かべるライに対して分かりやすく言おうと刹那が口を開きかけた時、バンッと壁を叩く音が響いた。
「もういいでしょ? エセ妖魔師。 貴方達は変な情報でココに来た。 ライが変な風にとぼけて書いた変な手紙を見て勘違いして来たのよ。 人魚何てあんな空想の生物、居るハズ無いわ! きっとテレビで見たジュゴンの映像と見間違えたのよ!」
確かに近年では人魚と言うのはジュゴンを見間違えたのではないかと言われている。だが、刹那は標的を変え、アルフをジッと見つめて淡々とした口調で「いいえ、居ますよ」と答えた。その答えにアルフは更にイラついたのか、血相を変えた様に言い返す。
「何で言い切れる訳!? 居る訳が無いでしょ、そんな生物……!」
そう言った時、刹那はガタッと立ち上がりアルフの頬に手を振れた。ビクンと揺れたアルフは首をひっこめるが刹那の力は異様に強くてアルフの顔は刹那の真正面に持って往かれる。そして、刹那は静かに囁くような優しい口調で告げた。
「いいえ、居るんです。 居るんですから、言ってるんです」
その言葉に呆気を取られたアルフは怯えた表情で刹那を見、刹那の手を払おうとするがまだ彼女は手を放してくれない。
「だって―――…」
その口の開きを見て、彼女の中で警告音が鳴り響いた。「いや、止めて!」と耳を塞ぐように部屋の隅に逃げ込むアルフ。刹那はクルッとアルフが逃げ込んだ先を見て、彼女の頭を軽く撫でた。
「貴方、人魚でしょう? アルフ」
その言葉に、息を飲む音が響いた。




