010 白黒
明るい眩い光に包まれた二人。アクラが眼を覚ましたのはあの光からどのくらい経ったか分からない白い空間の中。黒い毛並が白い空間の中で良く目立っていた。辺りを見渡しても誰かの気配も無い。アクラは小さく舌打ちを打った。
(引き離されたか…)
刹那とアクラは何度も言うが繋がれた存在だ。刹那は今、妖魔師としての身体能力はあったとしても戦う為の武器を失っている状態なのだ。逃げる、戦う体しか持っていない刹那は妖魔にとっては格好の獲物。下手すれば彼女の…自分の命も危ない。
急いで彼女を見つけねばならないのだが、残念な事にこの空間自体には居ないような気がしてならなかった。別の空間に渡らなければならないのだが、残念な事にアクラにはその様な力は存在していない。無理矢理こじ開けると言う方法もあるのだが自分の体が何処まで持つか…。
アクラは一旦人の姿を取り、辺りを見渡した。
(広さは恐らくそれほどでは無いな。 俺が移動するのに合わせて空間事移動する様な物か…)
移動してもその先は一切ないと言うこの状態。アクラは静かに溜息をつき手の平に黒い球を浮かばせた。
「取りあえず、検証だな」
ニッタリと笑みを浮かばせ、アクラはこの空間を知る為に検証…実験を開始する事とした。
◆ ◆ ◆
刹那がアクラと違い、飛ばされた場所は奇妙な空間だった。全てが白と黒二色により構成される空間。普通の漫画の様な世界に来ており、刹那は軽く溜息をついた。
(アクラと引き離された挙句に色とか変わってるし…)
どうせなら一緒に飛ばしてくれればいいモノを。そこまでアクラの力を警戒しているのか…でもまぁ、その気になれば…。
(アクラ無しでも武器化出来るし――大丈夫かな?)
初代以降誰も出来ていないと言うアクラ無しでの武器化。刹那も一定の時間…と言ってもかなり短く、一秒あるかないかぐらいしか具現化出来ず、戦闘には全く持って向かず不向きなのだ。
けれど護身用としてはまぁ大丈夫だろうと言う訳で何となく安心感を軽く持った。武器化できるか出来ないかでココまで安心度が違うと言うのは案外可笑しな話だ。出来ないのに等しいのに、一秒でも出来るから安心できるなんて。
「おや?」
そんな時、不意に声が聞こえた。
「そんな所で一体。 何を成さっているのですか? お嬢さん」
笑顔を浮かべたのはこの世界の住人なのか、はたまたこの世界を造り出した張本人なのか… 目算年齢二十二三の青年。白い髪に黒いメッシュが数本入ったりしている。多分地毛だと思われるが何とも不思議な髪…地毛だ。服装はスーツに似ていはいるが見方を変えれば執事服の様にも見えた。
「貴方は――…」
「申し遅れました。 私の名前は――まぁ、在りませんのでお好きにどうぞ」
にこやかに笑みを浮かべた青年。刹那は溜息を小さく付き、眼を細めて口を軽く開いた。
「では―――伯爵、と…」
その語り方、仕草。映画なんかで見る伯爵何かにそっくりに思えたのだ。
「まぁ、立ち話も何ですし――… 御一緒にお茶なんてどうでしょうか? お嬢さん」
にこやかな愛想の良い笑みを浮かべる伯爵。
刹那は静かに口を閉じ、涼しげな声で――「是非」と答えた。
◆ ◆ ◆
出されたティーカップに紅茶をコポコポと注ぎ込まれ、刹那はこくりと小さく紅茶を喉に通した。毒が入っていてもアクラの妖力のおかげで無効化される為問題ないのだ。彼方も一緒に居れた紅茶を優雅に飲んでいる。どうやら毒なんて物騒な物は仕込んでいない様に思えた。
「そう言えばお嬢さんは何故、此方に?」
確かにこんな変哲も無い不気味な世界に人が迷い込む事なんて皆無に等しいハズだ。しかも入り口が空中にあるなんて一般人が入って来るハズも無い。
「少し、探し人が居まして」
小さく笑みを浮かべて伯爵を見れば伯爵は意外そうな眼を向けて来る。
「ほぉ… こんな世界に探し物とは――一体、どの様な探し物なのでしょうね」
「見つけるの、私も手伝いましょうか?」と言われて刹那は小さく微笑した。
「いいえ、探し人はもう見つかりました」
「おや? 先程は探していた、と……」
「えぇ、今。 見つけました」
にこやかに笑う刹那を見てか、伯爵は意外そうな眼を軽く此方に向けて来た。刹那は紅茶をこくりと飲み干したのち、コツンと皿の上に置いた。
「探し人は貴方ですよ、伯爵」
ゆるりとした笑みを浮かばせて刹那は妖艶に笑った。伯爵は少しだけ驚いた様な顔をするがそののちに「何故―――?」と問う。
「この辺一帯の気配を探りました。 けれど、貴女以外は誰もいない。この空間自体が白と黒の二色のみ。人の精神を貪り食うのは非常に楽でしょうねェ…」
「…………」
伯爵は驚いた様に眼を見開き、そして降参を言う様に軽く両手の平を見せて来た。パチンと伯爵が指を鳴らせば彼の姿が少しだけ変化する。
黒いメッシュが数本入ったあの独特な髪は変わらない物の、まず黒かった瞳が鮮やかな緋色へと変化した。人間でもアビルノと言う病気により赤色になる事もあるのだが彼方の色なんかよりも此方の緋色の方が鮮やかで美しく思える。耳は物語何かで描かれる〈森の精〉何かに似ている。別名を〈森の奏者〉と言う。妖精などと言われる種族の者は皆、耳の先がとがっているのだがどうやら獏も耳を出した方の変化の方が楽な様だ。アクラは食事を作る際は獣耳は消しているが、変な話、「消さないで欲しい」と頼めば獣耳のまま(見た目が)いい歳したお兄さんが獣耳と(運良ければ)尻尾生やして料理を作っているのだ。知らない人が見れば何かの罰ゲームの様に思うだろう。
アクラによれば〈森の精〉にも寿命はあるのだが、ほぼ人間には手を貸さない頭がとてつもなく硬い。言い方を変えれば気高い種族と刹那は聞いていた。〈森の精〉は人間が大っ嫌いで姿を見せた時はむやみに力を解放して襲ってくる時もあるらしい。小さな悪戯で草なんかを結んで人の足を引っかける様な事もすると言う意地悪い奴等でもるのだが、最近の人間の生活の影響で地下水は汚れ、森は枯れてしまった為に流石の〈森の精〉もカンカンに怒ってしまっているのだ。彼等からすれば済んでいる所が無残にも枯れていくのを見ているだけの事しか出来ないに近い為、怒るのは無理はないと思ってはいるのだがやはり一度だけでいいから見てみたいと思ってしまう。〈森の精〉はとても美しく若々しい外見を持ち、美しい草笛を奏でるのだと言う。海の歌姫とも呼ばれる人魚と共演すればどれほどまでに素晴らしい音楽祭が奏でられるのか…想像しただけで大金物だ。やはり会ってみたいと思う。
「もう一度言います、探し人は貴方ですよ――〈獏〉」
乾いた笑みを浮かべた伯爵は困った様に紅茶の注がれたカップを揺らした。
「見ての通り、私は獏。 妖魔師である貴方がこんな空間に一体、何の御用でしょうか?」
軽く妖力を解放し、脅す様に体の皮膚にゾクリと触れて来る妖力。刹那はその妖力に臆することなく静かに答えを述べた。
「貴方と契約をしに、ココまで来た」
「ほぅ… お嬢さんが、この私と契約を…」
絶対舐められている。刹那はそう思うが何も言わず獏を見た。
「無駄な争いはしたくないのよ、契約。 受け入れてくれる」
疑問形であるが明らかに疑問符が付いていなかった。完璧なる命令形だ。
契約する方法は主に二つある。一つは相手が了承し、契約を結ぶ事。もう一つはかなり荒っぽい方法であるのだが、力強くで相手を押し付けて強制的に契約をすると言う方法だ。刹那からすればそんな後者のとてつもなくめんどくさい契約方法は取りたくはないのである。
「無理ですね」
しかし、残念な事に獏の答えは『No』
これでどうしても契約したい場合は刹那は獏と一戦交えなければならなくなった訳である。 今の所は。
「私の力をこの様なか弱きお嬢さんが使いこなせる訳が無いでしょう。妖魔師としてのレベルも考えれば最近のお嬢さん方は穢れる事を怖れている様に見える。そんな方と契約するのは私の本望ではありませんからね」
言ってくれる―――。
小さく笑みを浮かべ、刹那は笑みを浮かべて獏の方へ手を伸ばし机を蹴っぱなし、顔を近づける。
「穢れる事が恐ろしくて妖魔師がやっていられるか。 私を、甘く見るな… 獏」
ズッシリと、重たい言葉が獏を貫いた。刹那は無意識のうちに言霊を放ち、獏を従わせようとしているのだ。獏は驚いた様に眼を大きく開き刹那の今、自分だけを映している黒い瞳を凝視した。
黒い宝石の様にどろりとした輝きを持つ眼球は獏を魅了した。何に引かれたのか、分からぬままに獏を魅了したのだ。
「―――――――いいでしょう」
獏が無意識に放った言葉。刹那の力が少しだけ緩んだ。
「貴方と… 契約します。 お嬢さん」
呆然と、自分を見つめている獏。
刹那は少しだけ意外そうに獏を見るが、そののちにパッと彼の服を離して笑みを浮かべた。
静かに獏は刹那の前に膝魔づき、刹那はそれを軽く見下した。ガリッと親指の皮膚を噛みちぎって刹那は己の血をたらりと流す。獏は「失礼」と静かに言い、刹那の手を紳士風に持ち上げ、彼女の慣れだす赤い鮮血を己の紅い舌でぺろりと舐めた。舐められれば刹那の傷口は跡形もなく消えた。
獏ははめていた黒い手袋を取り、己の指を噛みちぎり黒い、黒血を流して刹那の方へ静かに差し出した。刹那はその差し出された黒血を静かに舐めた。ゾクリと、獏の中で何かが揺れたような気がしたが刹那はそれには気づかずに契約を終えた。
妖魔と人が契約を行う時、血の契約は絶対的な効果を放つとされる。その為、信頼を第一とする場合は血による絶対的な契約を行うのである。言い方を変えれば血以外の契約はほぼ無意味な物とも言えるのである。
「我が主人… 我が名を…」
契約した妖魔は主人から放たれたたった一つの名と言う言霊により一時縛られる。刹那は静かに口を閉じ、辺りを見渡して一言、言霊を放った。
『白黒』
この獏の名前は刹那が死ぬまで白黒。
白と黒。獏は次元の狭間に居るともされる。混ざらない灰色になる事の無いその名前。気に入って頂けるだろうか……?
「お好きなように―― および下さい。 我が主人」
獏が刹那の手を取った瞬間に、白黒の世界に、日々が走った。まるでガラスが崩れ去る様に割れる世界。そんな世界を見て、刹那は真顔のままその光景を新たな仲間、白黒と共に見つめていた―――…。
◆ ◆ ◆
「打つ手なし、か…」
一方、刹那と離れ離れにされたアクラは小さく溜息をついた。ぽふんと毛玉の姿に戻り小さく丸まろうかとした時、空間に亀裂が走ったのだ。
《なんだ…!?》
驚きのあまり眼を見開くアクラ。空間の亀裂から現れたのは―――どこのだれか分からぬ輩と手を繋いでいる刹那だった。ピシリ…とアクラの不機嫌スイッチがONになってしまう。
「おい刹那! 一体今の今まで何処に往っていたんだ!!」
ピョンッと刹那の肩に乗っかり叫ぶアクラ。因みに何処の誰かも分からぬ輩との手は切り離してやった。軽くドヤ顔のアクラを置いておいて…刹那は普通に話をし出した。
「白黒の世界?」
首を小さく傾げて「ねぇ?」と隣りに居る男に話しかける刹那。男は「まぁ、確かにその通りですね。 お嬢さん」なんて言って刹那の手を持とうとするがアクラが妖力を勝手に飛ばして阻止。相手からすれば静電気が走った様な感じがするだろう。
《なるほどな…》
アクラは納得した様にため息交じりに隣に居る男を見た。どうやら今回の戦利品と言うか、契約相手は男だったらしくて何だか胡散臭い雰囲気が出されているのを薄々感じているアクラは不機嫌そうにそっぽを向いた。
《で、此奴の名は?》
「白黒だから白黒だけど?」
《…………》
その言葉にアクラは無言となった。毎度思うがコイツは何処かネーミングセンスと言う奴が欠けている様に思えるのだ。非常に。
「そう言えばお嬢さん、私は何処に往けばよろしいでしょうか?」
基本的に己の居場所を持つ妖魔であるが特定の場所を持たない妖魔も居る。そう言う場合は何かしらの物に宿らせるのだが…。不意に刹那の眼に入ったのは何時も戦闘中に持っている堤時計。戦いの時だったらこれで十分か。と思った刹那は白黒にこれを差しだした。
「これだ。 お前の居場所となるのはこの堤時計だ」
刹那が好んで使っている堤時計。白黒もそれを見たからか、喜んでその堤時計を社とした。白黒が振れた堤時計は少し古びた黄土色だったのだが純白の銀へと姿を変えた。まるで新品同様であるのだが妖魔の妖力により姿が変わっただけだと言えた。
《刹那。 白黒と言う名は少し長い。 改名しろ。 ってか本名を妖魔師に教えん方がいいだろ?》
「あぁ、確かに… そうか」
白黒は珍しい妖魔ではあるし、真の名を教えれば操られる可能性だってある。でもそれはとても強い言霊を放つ者だけにあるから滅多に無いだろうが、念には念を入れる主義のアクラだ。
何かあった時にはもう遅いと言うのをずっと、ずっと…経験していたからだ。
「何がいい? 白黒」
本人の意思を尊重する刹那。相変わらずと言えるが今回は何も言わない。刹那に触れたらその瞬間妖力を飛ばして邪魔をする気満々であるが。
「さぁ……? 私はお嬢さんに言われればどんな名でも構いませんので… お好きな様に―――…」
「ありがと」
静かに礼を言った刹那は白黒から了承を得たと言う事で少しだけ考え出す。名を短くすると言っても色々ある。簡単に『黒』と呼ぶのもいいのだがココは少し単純すぎる名前は避けたかった。
「うーん」と少しだけ悩んだ刹那はふと思い浮かんだ言葉を選んだ。カタカナでは無く、漢字から取って白黒の方を見て言ったのだ。
「白」
白黒の白から取った名前だ。
獏と発音は似ているが全く持って偶然だ。
気に入って貰えるだろうか―――――……?
「………。 ビャク。 では、召喚時以外は私の事はビャクとおよび下さい。無論お嬢さん以外の方もそう及び下さい」
《承知した。 しかし、ビャク。 貴様その喋り方止めろ。 図虫が走る!》
毛玉の姿でキャンキャン叫ぶアクラ。「では」と言う様にビャクはにこやかな笑みを浮かべた。
「言葉遣いの方は慣れて下さい。癖なんで、アクラ卿」
《卿、付けんなッ!》
「分かりました。 では毛玉卿と…」
《卿付けんなって言っただろ! ってか何だよ毛玉卿って! 普通にアクラでいいって言ってんだろ?! 毛玉って呼ばれるぐらいならアクラ卿の方がマシだ!!》
アクラの言葉にビャクの眼は小さく輝いた。
「ではアクラ卿と…」
《…………好きにしろ》
自分の失言を撤回出来ないアクラは小さな耳をたらして溜息をついた。
刹那は小さく笑みを浮かべつつもアクラの頭を軽く撫でた。
仲間が出来た。
ビャクと言う仲間だ。
死ぬのは別に怖くない。
怖いのはそう―――×××××事だと思うから――――……。




