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恋人はゲームの住人(仮)

ゲームの中の彼と彼女 完結編

「……私のコト、麻辰(あさとき)だけは、覚えててね……それだけが、私の願いだから……」


 彼女は悲しそうに、うっすらと涙を溜めた瞳で微笑み----------


 そして、旭(あさひ)は殺された。

 その存在が、始めから無かったように。

 身勝手な奴らの、身勝手な欲望で。

 だから俺も、破壊する。

 身勝手な事をする、身勝手な物を。

 それの、何が悪い?

 それを先にした奴らが悪いに決まっている。

 だから、もっと、もっと破壊してやる。

 苦しんで、苦しみ抜いて、消えやがれ!



* * *



「ああ〜やっぱ美友(みゆう)ちゃんサイコー!でも舞亜(まいあ)ちゃんのぽやぽやっぷりもまた……!」


 淡い茶色のフローリングにうっすらと模様の入った白い壁、木目調の家具で統一された部屋のベッドに横たわった10代後半頃の女性が携帯ゲーム機を蕩けるような瞳で眺めている。

大きめの窓からは夕日と思われる赤い光が部屋の中を照らしていた。

肩よりやや長い栗色の髪を一つに束ね、グレーのスウェットに身を固めた女性がやっているゲームは『桜色の思い出』と言われる全年齢向けの女性との恋愛を楽しむゲームだ。

彼女は同性愛の傾向は全くないが、動物や子供を慈しむように可愛い女性を愛でる事が好きだった。

 そんな彼女がいるこの世界も、『桜色の思い出』の世界の中だった。


「君たちは、私が守るのだー!!」


 彼女は恍惚とした表情で己の右手に握り拳を作り、その腕を上方へ掲げた。


「って……あれ?これ……」


 不意に彼女は掲げた手をゲーム機に戻しながら徐に体を起き上がらせ、部屋の隅にある机へと足を運ばせる。

机の上にあるタブレット型端末から欲している情報を探り、手元のゲーム機を確認しながらタブレットの画面と睨み合った。


「……合ってる……?……けど、前の情報と違うような……?」


 彼女は机上のパソコンを立ち上げ、自分の欲する情報を探し出す為、画面を光速でスクロールさせる。

不意にその手を止め、数多表示されているデータの一部分を凝視し、眉を顰めた。


「……!やっぱり、変わってる!!」


 彼女は椅子から素早く立ち上がり、慌てた様子で制服に着替え、外へと飛び出していった。



 現代、科学は飛躍的に進化し、ヘッドギア型の装置で肉体から精神を切り離し、ゲーム内に直接入り込んだかのような疑似体験を可能にする装置を完成させた。

格闘ゲームやRPGだけでなく、接続先を変えれば自宅にいながら旅行も楽しめ、果ては恋愛すらも楽しめる。

そんな魅惑的な第二の世界に人々は魅入られ、最早、無くてはならない存在にまで発展した。

だが、その偽の世界にも、また、変化が現れ始めた。

『異世界プロジェクト』という最先端ゲーム制作会社で制作された恋愛ゲームで、データ上では、ランダムで行動するはずの”ゲームの中の人達”の行動に、意思が表れた。


 本来、このゲームの世界は一つのサーバーのような物で構築され、”ゲームの中の人達”は延々と同じような日常を繰り返している。

そこにソフトを通してこの世界のデータを様々な時間軸から受信し、ソフト内で個人用データを制作、保存する。

だが、その個人用ソフトでの出来事も潜在的に記憶されるという弊害が起こり、あくまで、ランダムで指定された行動パターンの範囲内での事なのだが、データとして入力された個体の『性格』や『行動パターン』などに無意識の影響を与え、自分好みの行動をするようになっていた。

それ自体は、極些細な記憶ではあるのだが、制作側では、それがやがて様々なパターンを凌駕し、入力したデータを覆す---命令違反をするようになるのではないかと懸念され、内々に消去される予定であった。

 だが、それを実行に移す前に利用者に発見され、大いに歓迎され始めてしまった。

より人間らしい動きを可能としたそれが、プレイヤーとしても、現実味を帯びていて楽しめるから、という理由だった。

その勢力はデータを戻すと暴動が起きるのが明確なほど、瞬く間に拡大され、起こるか分からない懸念より、確実に起こるであろう暴動を阻止する側を選んだ制作側は、命令違反の無い範囲で留まるよう、ゲーム内に数人の監視役を常駐設置し、異変を感じたらデータの書き換えを行えるよう留意する事で、ゲーム内は平穏に運営されていた。



「本当に、ゲームの中とは思えないなー!」


 何処にでも有りそうな、とある住宅街。

女性の周りには、井戸端会議をする主婦達、洗濯物を飛ばされて裸足で追い掛ける主婦、オリジナルの遊びを繰り広げる子供達が各々自由奔放に生き生きと生活している。

女性も殆どこの世界で生活している為、現実がこっちではないのかと錯覚させられているほどに、この世界は居心地が良い。


「……おっと、住人モードになってる場合じゃなかった!仕事、仕事!」


 真剣な表情で眉を吊り上げると、彼女は目的地へと再び駆け出した。


 彼女の名は、遊木 了子(ゆき りょうこ)。

了子はゲーム内監視員兼モブ女子高生役だ。

現実は18才であったが、その童顔により、高校生役に任命されていた。

 昔から『桜色の思い出』と『琥珀色の囁き』を現実の交友関係を疎かにするほどプレイし、魅了されていた了子は猛勉強の末、晴れてこの職に就ける事が出来た。

脳に刻まれる程プレイし続けたキャラクター達の情報は完璧。

新たに知るモブ達への興味も募り、本来の仕事である、”この世界の住人”のデータの変化に留意する事も、趣味の延長に近い自分にとって、他の監視員の誰よりも熱心に調べていた。

その功績を認められ、元の世界とはパソコンやタブレット型端末などで定期的に連絡を付ける事でこの世界での常駐勤務を許可されていた。

 そんな彼女だからこそ気付いた、僅かな変化-----

メインキャラ達の性格設定に、僅かに乱れが及んでいる。


 メインヒロイン、華住舞亜(かすみ まいあ)……苦手な物…古い画像に拒否反応を起こしやすい。

 ヒロインの一人、高遠光南美(たかとお みなみ)……親友に過保護なほど尽くすようになる場面の増加。

 光奈美の親友、小柳奉(こやなぎ まつり)……パニックになると叫び声を上げてしゃがみ込むパターンの増加。


など、ヒロイン達の状態が、それ自体は大した事が無いとはいえ、記憶の中の彼女たちより微妙に変化している。


「……変な事をプレイヤーにされて、恐怖が染みついちゃったのかな?可哀想に……」


 キャラクター自身にどれほどの影響が成されているか、確かめる必要がある。

取り敢えず現在地から一番近い、奉の家へと足を向かわせる。

メインキャラクター達との見知り合いは仕事をスムーズに運ぶ為にも、浅からず、深からず取っていた。

奉の家には既に光奈美が訪問していたらしい。


「……ごめんなさい、奉はちょっと……具合が悪くて……」


 青ざめながらキョロキョロと家の奥の方を見返す母親の姿に、顔見知り程度では中に入れてもらえなさそうなほど事態が深刻化している事を感じ、了子は外から奥の手を取り出し、中を覗いた。


 会社で支給されたオペラグラス型のスルースコープ。

10m以内の確認したいキャラクターが障害物を除外して覗け、尚且つ対象相手の会話すら聞こえるという特殊装置だ。

 キャラクターのプライバシーを尊重する了子としては、なるべく使いたくはない道具ではあったが、それどころではない母親の様子に、奉を盗み見る事にした。

了子がスルースコープを覗くと、目の前の建物が消え、徐々に奉の部屋を透視し出す。

そこには、想像を絶する異様な光景が映し出され、了子を絶望させた。


「いや……ごめんなさい、ごめんなさい……衛君……ごめんなさい……」

「奉!!……しっかりして……正気に戻ってよ、奉、奉ぃぃ!!」


 布団にくるまったまま、譫言のように何かを呟く奉。

 奉を布団毎抱えながら泣き叫ぶ光奈美。

 そして、大きめの色の付いた四角い物体が、その側で何かを呟いていた。


「アイシテルヨ、マツリ、アイシテルヨ……」


 不気味な情景に、了子は思わず吐き気を感じる。

設定上の変化は微々たる物だったはずが、実際の状況は、天地程の差があった。


 何故こんな事に?!


 動揺で顔色を真っ青にしながら了子はこの結果を生じた原因の可能性を模索する。

少なくとも、個人で楽しんでいるソフトのデータからこのような結果が起こるとは、到底考えられなかった。

そして、個人情報データとキャラクターの状況の違い。

その事から、この世界自体に悪影響を及ぼす何かが有ると推察される。


「……あの、四角い物体は何だろ?」


 了子は奉と光奈美の情報を見直し、不思議な物体の正体を探ろうと端末を検索する。

裏データに載られていた奉の幼馴染みとして表示されていた名前に不思議な名前が表示されていた。


『橘衛(たちばな まもる)……奉の幼馴染みで現在の恋人』


「?!!何で『琥珀色の囁き』の衛君の名前が?!」


 そもそも、このゲームの攻略キャラに元々の恋人はいない。

しかもその名前が同社の『琥珀色の囁き』のキャラクターだった記憶は了子には無かった。

裏データはゲーム内で取り扱わられず、ソフトでプレイされて変更される事のない情報であった為、すっかり情報を覚えきっていた了子は最近確認を怠っていた唯一の項目であった。

 了子は妙な既視感を感じ、再び四角い物体へとスコープを向ける。


「アイシテルヨ、マツリ、アイシテルヨ……」


 四角い物体の色彩。

その声色。

発している言動から、恐ろしい予感が了子を襲う。


「……ま、まさか、あれ……衛君?!!」


 最早人の形を成していないその物体の正体に、了子は口元を押さえ、その場に蹲った。


 どうやったらここまで異常に出来るのか。

 状況に、悪意が溢れすぎている。


このような状況を作り出せるのは、社内部の人間による犯行以外に考えつかなかった。

その可能性に脳内が辿り着いた時、真っ青だった了子の顔色はみるみるうちに赤く染まり、仁王像さながらの怒りの表情を作り出した。


「誰だーーーー!!こんな、こんな酷い事!!!」


 タブレット型端末を取り出し、本部へ報告のメールを送信すると、手始めに監視員の状況を虱潰しに調べ、犯人を特定しようと考えた了子は監視員の現在位置を調べ始める。



「一番近いのは……こいつか!!」


 了子は踵を返し、端末の示す方角へと疾走し始めた。

端末から目標物が近くにいる事を指し示すと了子は足を止め、ゆっくりと深呼吸し、息を整える。

目標物が了子のいる曲がり角に差し掛かった時、了子は徐に角から移動し、ハッとした表情で相手を見詰めた。


「あれ?竹中先生、今帰りですか?」


 あくまで偶然を装い、了子は茶色に薄茶色のラインの入ったスーツ姿の中年の男に話し掛ける。

男は監視員兼数学教師役モブキャラの竹中だった。

了子の数学担当は別だった事と、この世界に常駐している了子は社内の人間とは殆ど話した事が無い。

しかし、監視員同士お互い見張り合う事も仕事の一つであった為、お互いの情報を知っている程度の面識はあった。


「……え?あ、遊木さんも今帰りですか?寄り道しないで真っ直ぐ帰って下さいね」


 突然現れた女生徒に一瞬動揺するがすぐに平静を取り戻し、己の眼鏡を中指で元の位置に戻し、己の帰路へと足を動かす。

了子は暫し竹中の背に視線を向けた後、次なるターゲットへと足を向けた。

 このゲーム内の同業者はあと五人。

ゲームの主な舞台が星奉学園である為、キャラクターもその付近に住んでいる。

それを監視する同業者もまた、その付近に住んでいる設定である為、全員との接触は割と容易だった。

 日はすっかり暮れてしまったが全員と接触を図った了子は、住宅街にある一軒の家を見つからないように影から見詰めながら、腕を組んで考え込んでいた。


「……怪しいな」


 了子は全員と、部外者の入らない所で接触を図ってみた。

その為、突然現れた同業者に素直に驚き、割と多くの者が仕事に対する何らかの発言を醸していた。

その中で、竹中だけが動揺を即座に消し、あくまでキャラクター的な行動、キャラクター的な発言しかしていない。

他の同業者と会って分かった事だが、竹中だけ行動が淡泊すぎたのだ。

 仮に竹中を犯人とすると、動機は何なのか?

了子は端末にダウンロードした竹中の略歴を眺める。

ある意味、平凡。

ゲームに対する執着は殆ど無く、この会社に就職したのも、内定した会社で一番大きく、給料が良かった為と思われる。

監視員としてはむしろその方が適任であると思われる為、了子的にはどうでもいい情報であったが、そんな人間が何故、キャラクターに非道をするのか?そこに繋がらない。

ゲームに執着が強いと、逆に奇行に走りやすい事は、了子も社会での犯罪と照らし合わせて理解していた。

 愛するが故の犯行。

それが竹中には当てはまらない。

では逆に、ゲームに対して嫌悪しているかといえば、そのような様子もなく、良くも悪くもゲームに興味を持っていないと思われた。


「……探ってれば、何か出てくるかな?」


 他に怪しい人物が特定出来ない為、取り敢えず了子は竹中がこの世界にいる間、監視する事にした。

 夜には了子以外の監視員は元の世界に帰り、朝にまたこの世界へとやってくる。

今、竹中は家の中にいるのか、それとももう元の世界に帰ったのかすら分からない現状に、少々苛立ちを感じる。


「……これで見えるといいんだけど……」


 オペラグラス型のスルースコープはキャラクターを見る事は出来るが、竹中はキャラクターであってキャラクターではない。

それでも僅かな望みを胸に、了子はスコープを竹中の家へと向け、中を覗いてみる。


「……ん?」


 スルースコープが家を透し、中の様子を映し出す。

中では、竹中と奥さん役のモブキャラが仲睦まじく語らいながら食事をしていた。


「……へー。ゲームに興味ない竹中さんも、奥さんにはイイ笑顔見せるんだね〜」


 この世界がゲームの中といえども、存在する住人はリアルそのものだった。

ゲームにあまり馴染みのない人間だからこそ逆に感情移入しやすい事もあるのだろう。

 出歯亀をする自分に少々嫌悪感を抱き、家の夕飯が何であるか胸を躍らせながら了子は帰路についた。


 今日で監視は一週間経過していた。

了子は竹中家の相変わらずのほのぼの夫婦っぷりを見せつけられながら、別の人間の犯行である可能性を思案する。

会社からの連絡も、『現在調査と修正作業を続行中。引き続き情報を探るべし』とのお達しを受けていた了子は他の調査員へ再度接触を試みるべきか、考え倦ねている。

竹中が学校へ向かうと了子の朝の監視の時間は終了し、その足で竹中にバレないよう配慮しながら学校へと向かう。

門を通り校内へと足を向かわせると、生徒達に異変が起きていた。

生徒達が鐘の音も気にせず、泣き叫ぶ者、神妙に話し合う者、その場に屈み込む者など、多種多様ではあったが明らかに良からぬ何かを表していた。


「……どしたの?」


 了子は不吉な予感を感じながら深刻な面持ちで話し合いをしていた生徒の一人に声を掛ける。

少女は了子の声に振り向き、青白い顔色で了子に事態を告げた。


「A組全員行方不明だって……!!」

「ええ?!!」


 いきなりの事態に了子は体の力が抜け、一歩後退る。

昨日は何の異常もなく通っていたA組の様子を思い浮かべながら、脳内の情報を探り、原因を突き止めようと試みるが、ヒロイン達の異常事態との関連性以外、何も浮かばない。


「な、何で?!」

「分かんない……昨日まで何にもなかったのに……」

「……あ、でも今日、A組は早朝の集会するとかで登校早かったらしいけど……」

「早朝……集会?!」


 監視員であり情報通である了子の耳に、そのような情報は入っていなかった。

恐らく、犯人が掛けた罠ではないか。

 だが、何故?

 動揺する心を抑えながら人気のない場所へと移動し、端末から上司へと緊急連絡する。

耳元に鳴り響く呼び出し音にもどかしく感じながら了子は電話が繋がる事を祈った。


「……はい、佐久間です」

「さ、佐久間部長!!大変です!!」


 佐久間とは自分の属する恋愛ゲーム部門最高責任者であった。

内容的に内部犯の可能性が高い上、誰が犯人か分からない状況である現状、了子の得た情報は直接自分に教えて欲しいと佐久間から通達されていた。

了子は震える声で佐久間に事件の内容を告げる。


「……同一犯の可能性が高いですね……」

「……や、やっぱりですか?!でも、どうすれば……」

「遊木さん、落ち着いて下さい。調べた所、端末の履歴などからおおよその犯人が特定出来ました。私も後ほどそちらへ向かうので、遊木さんは危険のない程度にその人物を監視していてください」


 佐久間の言葉に了子は目を瞠り、声を荒げる。


「わ、分かりました!誰ですか?!」

「竹中さんです」


 この一週間、自分なりに竹中を調べていたが、竹中が怪しい人物と接触していた形跡はない。

己の無能さに苛立ちを覚えながら、了子は佐久間の指示に従い、今まで以上に竹中を監視し始めた。


 夜もすっかり更け、辺りの家からは明かりが消されていく。

了子は身動きもせず、スコープで竹中の家の中をひたすら凝視していた。

竹中の奥さんは既に自室へ寝に入っている。

竹中は何か理由があるらしく、客間らしき部屋の中央で一人、何をするでもなくしゃがみ込んでいる。

その部屋は普段物置に使われているようで、竹中の周りには色々な物が雑多に積み重ねられていた。

不意に竹中の横の空間に歪みが入る。

その空間から少し長めの黒いレイヤードカットに、黒を基調としたスーツ姿の男がゆっくりと現れ出す。


「竹中さーん、もうちょっと性能の良い端末、持ってきてくんない?」

「……もう、止めろよ、暮野……」

「ええ〜?何言っちゃってんの?竹中さーん。まだまだこれからっしょ?」


 竹中はうっすらと涙を浮かべながら男を見上げている。

男はそんな竹中を気にする様子もなく不気味な笑みを浮かべて天井を見ていた。


「……竹中さんは、いいよね〜!奥さん、モブキャラだし?しかも奥さんだし?消される心配無いよね、バレなければ」

「……そ、それは……」


 細身の長身からヒョロッとした印象を受ける切れ長の眼をしたその男は竹中の顔を嫌悪の混じった笑みで覗き込んでいる。

会話の内容から、どうやら竹中は脅されているらしい事実を知った了子は相手の男の顔を中心にスコープで探る。


「……どっかで見た事有るような……?」

「……やっぱり暮野でしたか」


 辺りに気付かれないよう留意していた了子の耳元に声が届き、了子は驚愕して声の方へ振り返る。

黒いパンツスーツに身を纏った30代位のロングワンレンの女性-----佐久間は、己の手に持っていたスコープを外し、了子へ視線を落とした。


「……暮野って……誰ですか?」


 監視員名簿に載っていないその名前を了子は佐久間に尋ねる。

佐久間は苦笑いを浮かべ、右2割左8割ほどで分けられた真っ黒でまっすぐな髪を掻き上げながら了子へ頭を下げた。


「……以前雇っていた監視員です。メインキャラと恋に落ち、全てを没収してこの世界に追放したんですが……逆効果でした。この事態は全面的に私の責任ですね。すみません」

「え?!!あ、あの……」


 突然の上司の謝罪に了子は困惑し、両手の平を佐久間へ向けて首と共に左右に振る。

そもそも、説明が大雑把すぎて事態が把握出来ない了子の様子を察し、佐久間は事の説明を始めた。


 この世界のメインキャラクターの幼馴染みとして監視員をしていた暮野は、その彼女と恋に落ち、その彼女も暮野を好きになった為、彼女はデータでさえもプレイヤーとの恋愛を拒絶した。

その事態の改善を要求したが暮野は己のパソコンや端末などを駆使し、そのキャラクターともう一つのゲームの世界へと逃亡を謀ろうとした。

既にデータの書き換えも受け付けない彼女は佐久間自ら消去され、佐久間も何も出来ないようパソコンや端末を全て没収し、元の世界へも戻れないようした上でこの世界に追放した、との事らしい。


「ですが……暮野は他の監視員の端末を盗み、元の世界へも戻れるようになり、今度は竹中を脅して端末などを会社から盗ませていたようですね……」

「……復讐、の為、ですか……」


 佐久間は了子の言葉に頷き、悲しそうな瞳でスコープを覗いた。


「……分かると思ったんですけどね。彼の功績に対する温情故のとんだ失敗です」

「……分かる?」

「……はい。ですが、暮野はやり過ぎました。……行きましょうか」


 佐久間は険しい表情で竹中と暮野のいる場所へと己と了子の体を移動させた。



 暮野は竹中の側にあった段ボールの中から、小さな立方体を一つ取り出し、軽く上に投げる。

その様子に竹中は慌てふためき、暮野から立方体を取り上げた。


「わ、私の生徒に何をする!!!」

「……いや、もう生徒じゃないっしょ?ただの立方体でしょ」


 暮野から取り上げた立方体を丁寧に段ボール内へと仕舞い、竹中は中を覗きながら涙を零す。


「……すまない……みんな、すまない……必ず戻してやるから……!」

「イヤ、アンタには無理でしょ」

「では、私が戻しましょう」


 突然現れた佐久間と了子の姿に竹中は驚愕し、しゃがんだまま腕の力で後退る。

暮野は嫌悪を露わにした笑みを浮かべ、佐久間を睨み付けた。


「……やっぱり来たか、佐久間」


 暮野は佐久間を睨み付けたまま手にしていた端末を動かし出す。


「させません!」


暮野の不穏な動きに佐久間は己の手を翳し、暮野の行動を妨害しようと試みた。

佐久間の伸ばした掌から暮野へ電撃が走り、暮野の動作を停止させる。

しかし、暮野の表情は不敵な笑みを浮かべ、手元の端末画面をタップした。


「……掛かったな、佐久間」

「……何?!」


 その刹那、暮野を襲っていた電撃が佐久間へと逆流し、佐久間の体に激痛が走る。


「くあっっっ?!!」

「さ、佐久間部長?!!」


 二人の唯ならぬ様子に何も出来ず立ち尽くしていた了子は佐久間が倒れ込んだ所で我に返り、佐久間の足下へと駆け寄った。


「さ、佐久間部長!!大丈夫ですか?!」

「だ、大丈夫です。まさか、私がデータ化した時を狙っていたとは……流石ですね」


 佐久間は痛みで流れ出す汗を手の甲で拭い、暮野を見据える。

暮野は勝ち誇ったように佐久間を見下ろしていた。


「……この世界に入った時の人間の精神はデータ状態になっています。それを表示させるプログラムに情報を書き足せば、この世界の住人じゃなくとも書き換えが出来る……とはいえ、そのセキュリティはこの世界の住人の比では無いですが……」


 暮野は元々多少のプログラムは出来たが、それほど特化した物ではなかった。

才能はあったのだが、当時はあまり重要視せずにいたようだ。

それを恐らく、復讐の為だけにこの世界で覚えたのであろう。

環境の整わない状況でのここまでの能力強化に、その復讐心の強さが伺えた。


「……プログラムは色んなパターン作っといてやったよ。次は何をペーストしようかな〜♪……これかな?」

「きゃあああああ!!」

「さ、佐久間部長!!」


佐久間の指に填めていた、恐らく電撃を形成していたと思われる指輪から佐久間の体に先程より強い電撃が走り、佐久間は激しい痛みに悲鳴を上げながら体を捩れさせる。

了子は佐久間の体を押さえようと両手を伸ばすが、佐久間の体には電撃が走っており、その電撃によって触る事が出来ない。

苦痛に苦しむ佐久間の姿に暮野は恍惚とした邪悪な笑みを浮かべ、見詰めている。


「次は〜これかな〜♪」

「や、やめなさいよ!!!変態!!」


 恐怖を感じながらも、了子は暮野を睨み付け、罵倒する。

そんな了子を一瞥し、気にする風もなく佐久間に苦痛を与えようと暮野は端末に目を向けるが、不意に視線を戻し、了子を驚愕の表情で凝視した。


「な……あ、旭?!!」


 突然告げられる謎の名前に、了子は思わず辺りを眺めるが、そこに新たな人物は登場して居らず、暮野の視線は了子へと向けられている。

了子は訳が分からず佐久間へと視線を向ける。

佐久間は電撃の損傷に体を横たえたまま暮野を見据えた。


「……私が、せっかく作ったキャラを本当に完全消去するはずないじゃないですか。勿体ない……」

「て、てめええええええ!!!!な、な……!!!!」


 不敵に笑う佐久間と、これが現実か分からないのか何をどうして良いのか分からず佐久間に怒りを見せている暮野を見比べながら、了子は同じく戸惑いを隠せない竹中に目を向ける。


「……竹中先生、分かります?」

「へ?!……あ、暮野の恋人だったキャラクターが、君……って感じかな?」

「はい?!私、人間デスヨ?!!」


 了子は動揺のあまり声を裏返えながら自分が人間だという確証を記憶から探る。

生まれた場所、両親の笑顔、学校へ通う自分の姿……の横に、優しい笑顔で微笑みかける暮野の姿が浮かび出す。


『旭』


「……え?」


 今ここで鬼神のような形相で佐久間に攻撃している人物が、自分に微笑んでいる。

今までの生活で誰からも見た事もないような特別な、そして自分に対する温かい思いを込めた、柔らかい笑みだった。


「……あ……麻辰……?」


 了子の眼から大粒の涙が零れ出す。

 何故忘れていたのだろう。

 あんなにも大切で、自分にとって全てだったあの人を。


「……麻辰!!」


 了子---旭は暮野の元へと駆け寄り、胸元へとしがみつく。

佐久間の策略に填ったような気分になり、怒りで充ち満ちていた暮野は、愛しい人に呼ばれた自分の名前に我に返り、戸惑いながら立ち尽くす。


「あ、麻辰、麻辰!!会いたかったよ、麻辰!!」

「旭……旭!!!……会いたかった!!俺も、ずっと……!!!」


 旭の言葉と感触に、暮野はこれが現実である事を漸く確信し、己の眼からも大粒の涙が零れさせ、旭の身をしっかりと抱き留める。

二人は再開を喜び、二度とその身を離さんとばかりに強く、何度も抱き締め合った。

佐久間は二人の様子に軽い溜息を吐き、徐に立ち上がる。


「……旭さんを少々成長させ、それでも無事暮野が見つけ出したら、隔離した記憶を戻すようプログラミングしておいたんですが……何やってたんですか、貴方は」

「……な!……けど、目の前で旭は……!!」

「それでも、生きてるかも、転生してるかも、とか考えて動いて欲しかったんですよ、私は」

「……ロマンチストなんですね、佐久間部長……」


 佐久間の言葉に暮野は旭を抱き締めたまま動揺の言葉を呟く。

奇妙な演出を付ける罰を与えた佐久間に、終始混乱していた竹中が安堵の息を漏らした。


「……ところで、大団円のように思われても困るんですが」


 佐久間は暮野に向き合い、厳しい目つきで睨み付ける。

暮野も、旭が生きていた事ですっかり毒気が抜け、ゆっくりと旭を離し、佐久間に向かい合い、目を伏せる。


「……まあ、そりゃそーだよな。……俺は、やりすぎた」

「あ、麻辰……」


 嘲笑うように愛する者達を不幸に会わせ、自分だけハッピーエンドになるなど、許されるはずはない。

暮野のしでかした事態の重さは、旭も目撃している。

旭がゲームをやり込んだという記憶は組み込まれたデータであったとしても、やはり未だに大好きなキャラクター達を酷い目に遭わせた奴はそれ以上に苦しめてやりたいとは思う。

-----相手が暮野でなければ。

暮野に対する思いとキャラクターに対する思いがぶつかり合い、旭の心中は激しい争いを繰り広げている。

佐久間は旭を一瞥し、暮野の方へ指輪を填めた手を伸ばす。

暮野の胴体に四角形がはめられ、暮野の体を浮かしながらそれぞれの角は上下各一点へと辺を伸ばし、胴体を中心とした四角錐が上下に形成された状態を作る。

旭の時のように電気を感じはしなかったが、自分は消去-----現実にある肉体を残したまま精神を破壊される事を察し、目を瞑ったまま上空へ顔を動かした。


「……ゴメンな、旭。色々迷惑掛けて」

「な、違うよ、麻辰のせいじゃ……さ、佐久間部長……!!」


 諦めムードの暮野に、旭の方が動揺し、佐久間へと視線を向ける。


「……麻辰だけのせいじゃない……私が大本の原因だから……」

「旭さんへの罰は既に施したでしょう?」


 佐久間は最早何も聞き入れる様子もなく、手元への視線を強め、暮野を纏う結界を縮小させる。


「……ぐっ!」

「麻辰!!」


 徐々に縮まる結界は暮野の大きさを下回り始め、暮野は空間の狭さに悶絶する。

苦しむ暮野の様子に旭は再び涙を流し、結界と思われる場所を殴り出すが、そこには何か板のような物が張られているように旭の手を拒絶した。

結界は見る見る小さくなっていき、その壁は暮野の姿を隠すように曇り出す。

旭は結界を感情の高ぶるまま叩き、そして----------


 結界が砕け、周りに七色の光を撒き散らしながら降下していく。

その中心には、小さな赤ん坊が現れ、旭の腕の中へゆっくりと落下した。


「「「……え?え?」」」


 突然の出来事に、旭、竹中、そして赤ん坊になった暮野が驚きの声を漏らす。

佐久間は柔らかな笑みを浮かべ、暮野と旭を見詰めた。


「一年で五才位にはなるよう調整しましたが、それまで旭さんに面倒見て頂いて下さい。それが罰です」

「は?!!」

「辱め、という罰です。本当は自分のしでかした処理が済むまでこちらに来られない、という罰も考えましたが……処理は私自身への罰とさせて頂きます」


 今回の出来事は、考えの甘かった自分による要因が大きいと考えた佐久間は、全ての処理を自分で請け負う事で、自らへの処罰とした。

一欠片もキャラクターの心に残さぬよう元に戻す事は、意志を持ったキャラ達には決して容易な事ではないだろうが、それをする事がキャラクター達への贖罪の意味もあった。

 呆気に取られていた旭と暮野だったが、直ぐに我に返った暮野が佐久間を罵倒する。


「バカ野郎!!!そっちの方がマシだ!!!こんな……旭に世話してもらうとか、冗談じゃねえ!!!」

「え?!何で?!麻辰可愛い!マジ天使!!頑張って育てるよ!!」

「そんな恥晒すくらいなら、死んだ方がマシだー!!!」


 暮野の反応に佐久間は満足し、元の世界に戻ろうとするが、竹中が申し訳なさそうに佐久間に声を掛けた。


「……あの……私への処罰は……?」

「ああ、今後も監視、頑張って下さい。奥様を大事になさって下さいね」


 竹中は、奥さんとの仲を脅されて協力させられたに過ぎない。

その上、伴侶も恋人もいないと噂に聞いた竹中が、自分の、ゲームのキャラとはいえ奥さんと仲良くして何の弊害があるのだろうか?

 竹中は佐久間の温情に感謝し、彼女が去るまで頭を下げ続けた。


「麻辰は私が守ってあげるね〜!」

「やーめーろー!!佐久間ああああああ!!!このアマああああああっっっっ!!!!!」


 旭におむつを替えられる事を余儀なくされた暮野は、佐久間へ別の形での復讐を誓った。

 多大なる感謝の気持ちも込めた、嫌がらせという名の復讐を。

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