セックスコンサルティング
小雪がカウンターの内側のIHグッキンクピーターにヤカンを置いて、湯を沸かせている……。間もなく微かに、湯のわける音が店内に響いてきて、沸騰し始めた。
沸騰するヤカンの音だけが、膨れ上がるように店内に響いている。ヘップバーンが換気扇のスイッチを入れると、ヤカンの沸騰する音は消えて、換気扇の音が、せり上がるように耳をつく。カウンターの天井に、たゆとうていた自分の吸っている煙草の紫煙が、ヤカンの蒸気と換気扇に攪拌されて、捻れながら、換気扇の中へと、流れ込んでいく……。
今、いきなりで申し訳ないが、俺の店、「電脳バー・まとりっくす」の店内にいます。三体のアンドロイド……二十歳の頃の藤原紀香と、二十代後半の頃の小雪と、三十歳のオードリー・ヘップバーンにはそれぞれ、今日は赤と青と黄色の小股の切れ上がったレオタードを着せてみました。紀香の赤のレオタードと小雪の青のレオタードはとても似合っていて魅力的なのですが、オードリーの黄色のレオタード姿は、ちょっと可愛いそう。オードリー、痩せすぎなんですよ。
「赤、青、黄色って、信号機じゃあるまいし、アンドロイドだと思って、あたし達を馬鹿にしているの? センス無さ過ぎ!」
と、二十歳の紀香が怒っている。前回の件もあり、今日は三人とも機嫌が悪い。自我が目覚めてしまって、全員が「人間の女」として認めて欲しいと訴えている……。
狭い店内には照明はない。四方の壁一面に、くまなくネット対応型の大型液晶テレビが埋め込まれている……。無数の液晶テレビからは、アニメや世界中のニュース、アダルト映像などなど、様々に映し出され、フラットな白い床は七色の光を反射して、不思議な光を絶え間なく変化させながら、とりどりの光のルツボと化している。
俺は、振り返り、アダルト女優の蒼井そらのエロ動画を消して、待ち受け画面にした。待ち受け画面は、晩年のアインシュタインの舌をペロリと出した画像にしている。俺はアインシュタインの顔を見ながら、この薄っぺらな液晶画面の向こう側に、たくさんの俺のブログの愛読者がいることを意識している。
毎度の質問ですが、今、パソコン? それともモバイルですか? リラックスして下さい。薄っぺらな液晶画面を境にして、こちらと、そちらの距離は五十センチくらいしかない訳です。「ドラえもん」の、どこでもドアみたいなものですね。さあ、お越し下さい! くつろいで、まずは長いカウンターの真ん中にお座りくださいな。お飲みものは? ……かしこまりました。それじゃあ自分は、今日は純米酒のコップ酒をいただきます。ありがとうございます。そちらから見てカウンターの右端では、いつものように、30歳当時の俺が飲んだくれおりますが、無視してください。凶暴な男ですが酒さえ与えておけば、大人しいものなんです。
ボックス席の手前の床に、極彩色の光を遮り、人間の形をした影ができています。ああ、また、誰か来たのかな?
ボックス席の中から現れたのは、メガネをかけた小太りの背の低い老人です。お隣に座りましたね。この横顔、誰か分かりますか? 絶え間なく煙草をふかしている老人。
「今日は誰かと思ったら、小松左京先生ではないですか! こんな小さなバーに、よく来てくれましたね。お客様から少し離れて座ってください。煙草の煙は迷惑ですよ」
と、おれが言うと、
「ち。煙草のみは肩身の狭い世の中だわな」
しぶしぶと、左側へと席を移して距離をおきました。申し訳ごさいません。お許しください。先生はスーパー・ヘビースモーカーなのです。
「まっちゃん、いつもブログ読んでいるけどさ、あまりお客さんのキャパシティーを超えた情報ばかり流すのは、考えものだぜ。キャパシティーを超えた情報を与えられた人間の反応は三つ。つまり、無視か、全否定か、合理化しかないんだぜ。気をつけな」
と、また煙草の先に火を点ける先生。
「確かにねえ。例えば俺は高校三年生の時、全国的に有名な不良の集まる劣等学校でしたが、四百人中、学力テストの総計で、いきなり、最下位の方から一位になりました。その現象を見ていた教師は、『松尾、五十位から一位とは凄いな』と言っていました。実際は最下位から一位になったのに、あの現象は平均的教師のキャパを超えていたから、思考の合理化が行われたのです。また、ほとんどの教師は、無視を決め込み、俺がカンニング常習者だと根拠もなく告発する教師もいました。容量を超えたデータに対する典型的な、われわれ凡人の反応でした」
「そうだね、まっちゃん。例えば、まっちゃんが言っていたように、日本が買った莫大な金額のアメリカ国債の証文が、全部、ニューヨーク連銀などのアメリカの地下金庫に保管されて、売れない約束になっている事実。これ、嘘だと思うならGoogleしてみればいいんだ。更に、アメリカ軍が日本に駐留している事実。この二つの事実から、素直に考えたら我が国が今、どういう立場にあるか中学生でも簡単に想像つく筈なのに、ほとんどの国民は、真実から目をそらしているわな」そうして、「お茶漬けを、……飯を泡盛で浸したお茶漬けをドンブリで頼む」
小松左京先生のリクエストに「相変わらず豪快ですね」と笑いながら、ドンブリを差し出すと、先生は泡盛茶漬けをガツガツと、かき込み、
「まっちゃんは日本の実質的な独立をいつも叫んでいるけどさ。視野が狭いぜ。視点が未だに地球にある。反省しな」
「なるほど、小松先生の基本コンセプトは、『宇宙の中の人間』『宇宙の中の文学』という二点でしたものね。俺の知る限り、先生は現存する人類の中では一番の総合的なあらゆるジャンルの学問に精通した学祭的人間のトップランナーですよ。知の巨人。比肩しうるとしたらレオナルドダビンチくらいですよ」
「おだてたって、何も出ないぜ。最近は精子も出ない。ところで、まっちゃん、小雪ちゃんのパイパイを揉み揉みしてもいいかなァ?」
「勘弁してください。自我が目覚める前ならOKだったんですが、今では『人間』らしいので……」
そうよ、エロジジイ、腐れセクハラ関西人、などと、アンドロイドが口々に小松先生を罵る。
「ところで小松先生、先生があらゆる学問に精通しているのは周知の通りですが、苦手ジャンルなんてありませんよね」
「まっちゃん、それは違うね。例えばセックス学。広い意味での性に関する体験的知識と経験ならば、まっちゃんには負ける。まっちゃん最近、コンサルタントを名乗っているけどさ。広い意味での性というものもコンサルタント品目に入れるべきだね。ぶっちゃけ、過去に、落とせなかった女いる?」
「小松先生、残念ながら、芸能人のマネージャーなど、外部から妨害が入ったり、友人に譲ったりした稀な例外を除き、心から狙いを定めた女性を落とせなかったことは、28歳以降は、一度もないですね。自分には一人だけ女性のナンパの弟子がいましたが、彼女に狙われた男もまた、本人の意思に関係なく、交際させられていました。セックスコンサルタントかァ? 少子化対策の為にも、やってみようかなァ……。ただ俺もオッサンになったので、実技の方は機能的に……」
「セックス学! まっちゃん、これを更に極めてみなよ。機能がどうのこうの言ってるが、本当はドSだろうに! まっちゃん、結局、芥川賞目指したのも、女にモテたい一心だったんだろ? 俺の目は節穴じゃないぜ」
「参ったなァ! 先生には全部、お見通しですね。俺って、本当に、セックス欲以外に、物欲も金銭欲も、何もないんですよ。参ったな。見破られた」
「俺は直木賞とれなかったけど、まっちゃんは、あれほど切望していた芥川賞とれなかったね。まあ、文壇の堕落も一因だが、結局、芸術欲が本物じゃなかったからだよ。まっちゃんの芸術欲が本物ならば、芥川賞は不可能ではなかったかもしれないよ」
「過大評価、恐縮です。先生は、文壇のSFに対する偏見から、直木賞受けれませんでしたが、小松先生、星信一先生、筒井康隆先生、この三人は戦後の文壇の奇跡ですよ。小松先生にはアシモフとコリンウィルソンが二人がかりでもかなわないと個人的には確信しています。星新一先生は小川未明どころか、ショートショートですとかフランス風に言えばコントのジャンルでは、モーパッサンやチェーホフを超えているし、あの自然で無駄のない読みやすい文章は、文章の神様と言われた志賀直哉さんすら凌駕していると俺はおもう。筒井先生は、誰とも比較のしようがない程の天才でしたしね」
「まっちゃんは最近、随分と国を憂うフリをしているが、やっぱり、根っこにあるのはセックス欲だろ?」
「ばれましたか。確かに国を憂えているのは事実ですが、根本的には性欲の転嫁のような気がします。根本的に、性欲しかない男ですから。しかし、実際に社会に対する怒りがあるのは事実。性欲の衰えとともに、自分にも子供がいますから、未来の人類の踏み石になりたいと、理論的には希望していますが、魂からの叫びにはなっていないのは、小松先生のご賢察の通りですね。メディアコントロールからも抜け出せていません」
「日本のメディアコントロールからの洗脳を自分で解こうとおもったら、筒井康隆の『48億の妄想』と『俗物図鑑』を読むといいよ。マスコミの汚いやり口が赤裸々に描かれている。まっちゃん、本当はSF,内心、バカにしてるだろ?」
「また、バレた。日本のSFの場合、なぜか小松先生達、御三家だけが、ずば抜けていて、他の日本のSF作家は評価していません。小松先生は、三島由紀夫と親友でしたよね。ペンネームで純文学デビューして、三島由紀夫に頭を下げたら芥川賞は楽に取れたでしょうに?」
「そんなことできるかよ。SFの恥さらしだよ。確かに由紀夫ちゃんとは、よく遊んだがね」
「戦時中、先生が、たった白米のオニギリ一個と引き換えに、御自分の命がけの純愛を泣きながら捨てた体験エッセイ読んだ時には、俺も泣きましたよ」
「時代だったんだよ。終戦の時14歳だった」
「小松先生も、じき、80歳です。長生きしてくださいね。世界の、いや、宇宙の宝ですからね、小松先生は!」
「だから、おだてるなって。まっちゃん、ところで気になっているんだが、まっちゃん、40歳過ぎでから、魔術師か催眠術師系の人相になってきたな。まっちゃんの、その彫りの深い外人よりも大きな目をみていると、悪い意味で、吸い込まれそうになる。まっちゃん、昔、友人の見ている前で、小石の大群を空中に浮かせて、映画のマトリックスみたいに一瞬、空中で静止させたことあるだろ? 意図的ではなかったにしても、まっちゃんが魔術師系の道に入ったら、絶交だからな」
「俺が魔術師? ヒトラーとかグルジェフとか、あの辺の方々に近いオカルティスト特有の人相になりかけているのは自分でも自覚しています。危険ですね。自省いたします」
「だいたい、このブログの書き方が、二人称でありながら、三人称でもあり、潜在的には一人称で、魔術的なんだよ。まあ、それもあり、だがね。んじゃあ、俺、関西に帰るわ。どうも、ご馳走さん!」
……小松左京先生を御存知の方々も、最近は、減ってきていますね。お客様は御存知でしたか? だいたい、40歳以降の年齢じゃないと、小松左京先生の神髄知ってる方々すくなくなってきていると思います。大昔、まだ白黒テレビの時代にピーター・ドラッカーさんも小松左京先生も、同時期に、数十年後のネット社会の到来を予言していましたが、ドラッカーさんの見通しは小松左京先生にくらべたら紙芝居みたいなものでした。小松左京先生は、ネット社会のライフスタイルまで描いておりました。未来学という点では、ドラッカー先生ですら小松先生の前ではハナタレ小僧です。
「紀香、小雪、オードリー、君達も、そんなに悩んでいるならば、小松左京先生の著作を熟読しなよ。アンドロイドの苦悩……この解決の糸口も見えてくる筈さ。現代人だって、アンドロイドの苦悩は他人事ではない」
さあ、お客様、次は何を、お召し上がりになりますか? ごゆっくり、お楽しみくださいませ……




