三十九章 “フィニの気持ち”
子供の様な輝かしい笑顔で焚火の準備を始めるトール。よほどエインゲンバーの肉を食すのが楽しみと見える。まあ、『人の思考を縛る話術の使い手』とかいう称号よりも前に『世界を渡り歩く美食家』なんて称号があるのだから、それなり以上に食べる事に関しては貪欲なのだろう。
そんな様子のトールを尻目に俺はフィニの様子を見る。相変わらず表情が曇ったりする様子は無い。むしろ、エインゲンバーの肉の味をどこか楽しみにしているかのような表情ですらある。
勿論のことながら俺はフィニが傷付かないのが一番なのだから、フィニが何とも思っていないのは大歓迎ではあるのだが、しかしどうにも俺の思い描くフィニ像との食い違いが気になる。
折角だから訊いてみる事にした。
「なあフィニ。」
「何ですか?ケント。」
フィニは普通に俺に応える。
「大丈夫なのか?」
「大丈夫、とは?」
「だってさ……その……カレイプスの時とか。」
「ああ、そのことですか……」
少しだけ落ち込んだ表情を見せるフィニ。
まだカレイプスを“消失”させたことはフィニの中に後悔として残っているのだろうか……
少しだけフィニに思い出したくない事を思い出させてしまった事で、俺はさりげなく自分の太腿を全力で抓って罰しておいた……痛い。
「気を使ってくれているんですね。ありがとうございます。」
「え!?いや……その……///」
しかし、直後に俺に向けられた不意打ちのスマイルで俺は思わず気が動転する。頬も真っ赤に染まった事だろう。慌ててそっぽを向いて隠す。
「カレイプスを、人が食べる事は出来ませんから……」
どうやら気付かれなかったようだ……が、しかし、どういうこと?
駄目人間にも分かるように説明して欲しい。
「私だってお肉は食べます……命に感謝して……食べます……」
それは当り前の事。俺みたいな駄目人間だって、そこに実際に感謝の気持ちがあるかは兎も角、食事の前には「いただきます」の一言くらいは言う。
フィニほどに優しい人間ならば、食事の前に命をくれる動物植物に本当に心の底から感謝をするのかも知れない。
実際、フィニは晩餐会の時など、誰も気付いていなかっただろうけど、さりげなく黙祷を捧げてから料理に手をつけていたのだから。
「食べられて救われる事もありますよ。でないと、無為に殺された生き物の魂が浮かばれないじゃないですか……」
頬を一筋の涙が伝う。その涙は何に対してなのか……
「元の世界で……私に食材を売ってくれない人がいました。だから、私は自分が食べる為に、家族が食べる為に、狩りをすることもあったんです。食べる為、自分たちが生きる為……私は傲慢です。でも、殺された生物は食べられる事で救われるんだと、私は信じています。」
フィニにしては長い独白だった。
でも、お陰で分かった。言葉にするまでもないフィニの気持ち。俺みたいな駄目人間には、こうして説明して貰わなくては理解できなかった崇高な考え。
カレイプスは食べられない。それが肉質的な問題か、それとも毒でもあるのか、それは分からないが……食べられないカレイプスの魂が救われない。だから殺すのではなく“消失”させた。救われないかも知れないが、せめて安らかであれ、と。
でも、エインゲンバーは食べる事が出来る。命に感謝して食べる事で魂は救われる。それは、フィニにとって辛い事ではないのか……良かった。
「お主ら何をしとる。火を起こすぞ。手伝えぃ。」
トールが俺達を呼んでいる。
「ああ、はいっスー」
フィニの気持ちも分かってスッキリした俺は、そのまま手伝おうとトールの方を向く。その背中にフィニが手を添え、体重を預けて来た。
思わず心臓がドクンと脈打って跳ね上がる。
「え?あ?い?お?う?」
緊張と混乱のあまり、俺の思考回路はまともに回らなくなり、言葉からは意味の無い疑問形が次々と溢れ出した。
すぐに離れたフィニの顔は湯で蛸以上に真っ赤だったが、俺の顔はきっと絵具のカーマイン以上に真っ赤だろうから指摘しないでおく。
「クス。ケントって面白い。」
あ、笑った。可愛い。
「失望しましたか?私が、そんな女で……」
しかし途端落ち込んだように俯いてしまうフィニ。
これは……男として気の利いた言葉の一つでも言わなくては!俺は駄目人間でも男なんだ!!
「そんなわけ……ないだろ?」
「え?」
だが、所詮俺は駄目人間。気の利いた言葉なんて知らないから、俺は自分の思う事を真っ直ぐフィニに伝える。
フィニは顔を上げて真摯な眼で俺を見つめて来た。
「むしろ安心したよ。やっぱりフィニは優しいんだなってさ。」
「そんな……私なんか……全然……」
再び顔が伏せられたが、それは悲しみによる物ではなさそうなので、俺はそれ以上言葉を発す必要は無いのだと悟った。
俯いているフィニが何を考えているのか……分からないけど、フィニが傷付いている様子は無いから、俺は安心してそこにいた。
「えいっ!」
ふいにフィニの掛け声。同時に、俺の唇に触れられる柔らかい感触。
「!?!?!?!?!?!?!?!?」
思考回路が完全にフリーズした。
「クス。ありがとうございます。少しだけ、気持ちの整理が付きました。」
と、そう言いながら、フィニは俺の唇に触れていた指を離した。
内緒のサインをするように、人差し指の腹を俺の上唇に当てていたのだ。
あれーチューじゃなかったのか……ちょっと残念。でもまあ、もし万が一チューなんてしていたら……うん、緊張で死んでたな。ある意味ラッキー?そんなわけない。
いやいや、そもそもこんな可愛い子が俺の唇に訳もなく触れるなんて、そんなこと天変地異が起こったってありえない……そうだ何かの間違いだ。
そうか!フィニは俺に「聞くに堪えないからそれ以上喋るな」と言いたかったんだ!自分が黙ってたから、もしかしたら俺がまた何かを言い出すかもとか思ってんだろうか。
でも、優しいフィニはこんな駄目人間な俺にでも気を使ってくれているんだろう。そんな言い方をしたら俺が傷付くと思って……
じゃあ仕方ないな。これ以上余計な事は言わないでおこう。幸いフィニも思いつめた表情じゃなくなったみたいだし。
「そうだな。ごめんなフィニ。」
「なんでケントが謝るんですか?クス……変なケント。」
優しい!俺みたいな駄目人間の戯言を無かった事にしてくれるなんて!!
やっぱりフィニは女神さまのように優しいよ。
「ほら、トールがそろそろ痺れを切らしそうですよ。私達も行きましょう。」
「そうだな。」
フィニの晴れやかな笑顔に俺はタジタジしながら、肉を焼く準備をしているトールの下に二人並んで歩いたのだった。
そんな勘違いする奴いねーよ。ってな感じの章でした。
しかし、それが駄目人間クオリティー!(ぇ