三十七章 “後唱法”
「フィニ!」
「え?キャッ!?」
俺はフィニの腕を掴むと、自分の全体重を掛けて地面に引き摺り倒した。幼生エインゲンバーの角の軌道が全てフィニを狙っている事が分かったから。
地面に倒れたフィニの、もともと腰があった辺りを幼生エインゲンバーは通り抜けて行った。
「ほう。やるもんじゃ。あの速度を見切るとは……小僧、良い目を持っておるな。」
そんなトールの声が聞こえたが、そんな場合ではないので無視した。
それに、一度避けただけだ。
また来る……!!
狙いは……またフィニか!?
「あ……っ!」
フィニは俺が地面に引き摺り倒してしまったせいで身動きが取れない。
俺も体勢を崩してしまっているから、フィニの身代わりに幼生エインゲンバーの突進を受け止める事もできない。
一瞬、幼生エインゲンバーの突進がフィニに突き刺さる悪夢のような光景が脳裡を過る。
最悪だ……最悪の極み……俺が俺の目の前で女の子が傷付くのを救えないなんて……
ドスッと鈍い音が俺の隣から聞こえたような気がした。俺は思わずその方向から目を逸らす。見ていられなかった。最悪の光景がそこにある気がして……
「仕方ないのぅ。小僧、貸しじゃぞ。」
そんなあてつけがましいトールの言葉。しかし結果として誰も傷ついていない。俺もフィニも。
何が……起こったんだ?
「やれやれ、依頼が高くついたわい。これなら一人で狩った方がマシだったかのぅ。」
恐る恐る声の方向を見る。
「受け……止めて……!?」
そう思ったが違う。
地面にへたり込んでいるフィニに向かっていた幼生エインゲンバー達が全て固まっていた。まるで石にでもなってしまったかの如く、カチコチなまでにその場に硬直していた。
「【襲撃者の動きを止めよ】【停止を求める時空の理】【悪魔よ】」
そしてトールの詠唱……教えてもらったばかりだが、三段法である事が分かる……って、うん?順番が逆じゃないか?
「まさか、こんなところで秘法中の秘法を使ってしまうとは……折角、秘匿としていたのにのぅ……小僧、この貸しは高く付くぞ!」
と、やや不機嫌な様子で俺の方をトールは向いた。
そう言うけど、俺には何の事だか分からない。
「な、何をキョトンとしておる……?まさか貴様、今何が起こったのか理解しておらぬのか?」
大正解。
「詠唱を行わずに術を発動し、後の詠唱で威力を補完する永続系魔術最高の秘術『後唱法』!秘法中の秘法じゃぞ!?ワシが人生を賭けて開発した詠唱法じゃぞ!驚くなり感動するなりないのか!?」
そう言われても……
「大体、魔術師ならば卒倒したとしてもおかしくないほどに革新的な詠唱法なのだぞ!?」
「いや、だって俺さ、魔術師じゃないし。」
何を勘違いしているんだろう……
「なんじゃとぉーーーーー!!??」
凄い取り乱し様だった。それはもう、思考を縛る話術の使い手という格好良い称号が台無しなくらいのレベルで取り乱していた。
「フィニ、立てる?」
「あ、はい。大丈夫です。すいません。」
それを無視して俺は俺が地面に引き摺り倒したフィニに手を差し出す。躊躇い無くその手を取ってくれた事が嬉しかった。
「小僧!ではお主、魔術についての知識は……」
「『三段法』とか、伝説上には『一語法』とかいう詠唱法があるって程度なら。」
それでもトールは切羽詰まった様子で俺に問い詰めてくるから、俺はフィニを引っ張り起こしながら適当に答える。
「で、では、ワシは何も分かっていない小僧に何十年も秘匿とし続けて来た極意をペラペラと喋ってしまったと言うのか!?」
「まあ、そういうこと……かな?」
思いっきり頭を抱えてトールはその場に蹲った。と思いきや元気良く立ち上がり俺の胸倉を掴んで顔を寄せてきた。
「小僧、ワシが貴様らを助けた借りの事は無かった事にしてやる。だから、この事は一切の他言は無用じゃ!分かったな!?もしも、この『後唱法』がルヴィス帝国内で広がったりしたのを確認したら、貴様の一族郎党皆殺しにしてやるからなっ!!!」
もし首を横に振ったりしたらこの場で首を刎ねられる勢いである。むしろ、問答無用で口封じをしてこないだけマシだと思えるほどに凄まじい剣幕だ……そして俺は命が惜しい。
「り、了解っす。誓って俺は誰にもこの事は言いません。フィニも、良いよな?」
「ええ。分かりました。」
聞き分けの良い子って素敵だよね。
それにしてもトールって……意外と癇癪持ちなのかな?取り乱し方がちょっと子供っぽいぜ。
こんな駄目人間にそんなこと言われたら人生おしまいだな。
「フゥ……長い間生きて来たが、こんな無様を曝したのは初めてじゃ。」
どこか諦めた様にトールはそんな事を呟いた。そうは言っても、俺もフィニも何もしてないんだけどねぇ……
「小僧、お主魔術師ではないのか?」
「違うけど?」
「小娘は?」
「違います。私は魔術師ではないです。」
フィニは魔術師ではないよね。そんなもの遥かに超越した存在ですよ。
魔術師ってか、魔法使い……いや、もう神様とかそう言うのの部類だと思う。
まあ、神様って言うと自称『神』のあの謎の声なんだけど……
「では、どのようにしてエインゲンバーの捕獲を?正直、体術のみでの捕獲は至難の業だと思うのじゃが……」
そりゃもう言霊の力という一点に尽きる。これ以外に無し!あったらむしろ怖い。
「それは、私がムグッ!?」
フィニが正直に答えようとしたので掌で口を封じた。フィニの柔らかい唇の感触と、少し湿った柔らかい吐息が俺の掌を擽る。
なんだろう……物凄い背徳感だ……
「俺の力ですよ。なんせ俺、勇者って奴らしいですから。」
親指を立てて若干格好付けながら言ってみた。すぐ調子に乗る駄目人間の悪い癖です。
「ほほぅ。なるほどの。」
なんだか凄く悪い顔でトールは納得の声を洩らした。