三十二章 “街の中に……肉!?”
腹減った。
どうしよう、空腹を通り越して目眩がしてくるくらい腹が減って来たよ。
よく考えたら、こちらの世界に来てまともな食事なんてほとんどしてない。
鹿鍋は美味しかったけど、量としてはやっぱり不満が残るし、いきなりの騒ぎのせいで晩餐会ではろくに食べれていない。
昨日寝る前に空腹を感じなかったのは奇跡だ。
「お腹が空いたよ。」
「そうですね。私も軽く何かを食べたい気分です。」
フィニは機嫌も治ったらしく、今はランクルートの街中の商店街にあちこち目を光らせている。
「早く何かを食べないと……お腹と背中がくっ付いくぞ。」
幼い頃に聞いた童謡の一フレーズを口ずさんでみる……懐かしい。
しかし、こうして元の世界の事を思い出すなんて……俺は帰りたいのだろうか?……いや、それはないな。
「お腹と背中がくっ付いたら大変ですね。急いで何かを食べましょう!」
やや切羽詰まった口調でそうフィニが言うので、言葉の綾である事を伝えるべく急いでフィニを見たら、その表情は笑っていた。
「お腹と背中がくっ付くですか。面白い表現ですね。」
流石のフィニもそこを本気にするほど天然さんではない様だった。
「おや?良い匂いが……」
その時、肉の焼ける芳しい香りが俺の鼻腔を掠め、その匂いに同時にフィニも気付いた。
その香りは馬車の行き来する大通りを越えた先から匂って来ているようだ。
「これは行ってみるしかないな。」
「では行きましょうかケント。」
俺とフィニは並んでその匂いの下へ向かい歩いた。
突然だが、ケバブという食べ物を知っているだろうか?俺は知らない。
聞く所によると、ブラジル辺りの食べ物で、街頭で串に刺さった大きな肉の塊を堂々と焼き、それを細かくスライスして客に分け与えるという、なんとも垂涎な食べ物とのことだ。
「う・ま・そーーーー!!?」
その光景は思わず我を忘れるほどに衝撃だった。
なんと、人間の三倍は軽くあろうかという巨大な肉が、道のど真ん中でキャンプファイヤーのような大きな炎の上で吊るされて焼かれているではないか。
しかも肉はジュージューと小気味よい音を立てて焼き上がっているし、もうその光景は垂涎なんて言葉じゃあとても表せそうにない。
その光景に見蕩れているのは俺達だけではなく、他のランクルートの人々も「何だ何だ」とその巨大な肉に集まって来ている。
みすぼらしい格好をした人も幾人か見られ、貧民街の方からも集まっている様子。
どうやらこれはランクルートでは当然の日常風景というわけではなさそうだ。
-グ~ギュルギュルギュル-
思いっきり俺の腹の虫が鳴った……
「クス。」
フィニに笑われた!?……可愛い。
「お腹が空きましたね。私もあれを見たらお腹が鳴ってしまいそうですよ。」
ふいにフィニがお腹を鳴らし、恥ずかしそうに俯く姿を想像した。
やばい……可愛過ぎてクラリとくる。
-グゥ……-
その時、フィニのお腹が控え目に鳴った。
「あ……/////」
俯くフィニ。
可愛ぇぇえええ!!!???
まさに俺の妄想……もとい想像通りのその仕草に思わず取り乱してしまったぜ。
「き、聞こえました?」
「いやまったく。」
俺は嘘をついた。
ってか、「聞こえた?」なんて聞いたら何の事かモロバレだってことくらい、駄目人間な俺だって分かるよ。
フィニ……相当テンパってるんだな……可愛いぜ。
さて、フィニの可愛らしさに悶えるのも良いが、いい加減この上手そうに焼ける肉を前にして食えないなんて言う生殺しの状況を何とかしたい。
ふむ……上手に焼けているのに生とはこれいかに……座布団没収
冷静に考えよう。
周りに集まっている野次馬の物珍しそうな表情から察するに、これはランクルートでの当り前な日常風景ではない。
となれば、何かしらのイベントだという発想が一般的だと思うが、その割には祭り特有の雰囲気は無い。
「以上の推察から求められる答えは……」
分からん。
「多分ですけど、あの人ではないですか?」
フィニが指差す方向を見る。
周りの野次馬とは明らかに雰囲気の違う男が一人、肉の傍らに座っていた。
一見して旅人だと断定。
なんといっても服が襤褸い。
継接ぎだらけの外套を羽織り、脂っこくてぐしゃぐしゃの髪と伸びきった無精髭を蓄えたやや汚らしいその姿は、旅人と表現するにぴったりである。でなきゃ山賊だ。
時折肉の焼け具合をチェックする為か、少し肉を削ぎ落として口に入れている様子からもフィニの推測は間違いないと思われる。
やや表情を幸せそうに緩めて頷いている様子を見ると、あの肉は相当上手いのか……って、これは今関係ないな。
「どいたどいた!道を開けろ!」
と、ここで見知った顔登場。
人垣が割れ、そこから五、六人ほどの甲冑を着込んだ騎士達が現れる。
青系の装飾の施された鎧を着ているその人物は、言うまでもない、シュレンだった。
「往来で堂々と肉を焼き、その為に交通の妨げになっているとの苦情が殺到ため参上した。早急に撤収せよ。さもなくば、実力行使により強引に撤去せねばならなくなる。」
シュレンが旅人らしき男に向けて口上を述べる。
まあ確かに、広場でもないこんな場所で肉を焼けば迷惑だよな。
実際、シュレンの言葉を聞いて気付いたけど、馬車なんかがあの肉のせいで通行できず、渋滞になっている事が分かる。
「んあ?誰だお前ぇさん。」
男は潰れたような嗄れ声でシュレンに名を問いながら、のっそりとした仕草で顔をシュレンの方へ向ける。
「私は帝国騎士団シュレン隊隊長シュレン=クル=ルグタンスである!」
と、其の名乗りを聞くと旅人の男は露骨に深い溜息を吐いた。
「全く……この国の人間はどこへ行っても心が狭いのぉ……食事くらいゆっくりさせい。」
なんとも横暴な物言いだった。
俺みたいな駄目人間でもここまで自分勝手な事は言わないだろう。
「ならば向こうの広場でも使えばよかろう。わざわざこの場所で焼く必要などないはずだ。」
お~シュレンらしからぬ当然の指摘……って、それは流石にシュレンを馬鹿にし過ぎかな。
「この場所の日当たりが最高だったんじゃ。」
沈黙。
「はぁ!?」
シュレンの素っ頓狂な声が木魂した。