お嬢様の縁談相手は、全員わたくしが面接しております
◇
「それでは、面接を始めます」
応接室の長机の向こうで、子爵家のご子息が
椅子ごと半歩、後ろに下がった。
「め、面接? 私は求婚に来たのだが」
「はい。ですので、面接でございます」
私は赤い革表紙の台帳を開き、羽根ペンを構える。
当家の応接室に恋の駆け引きは存在しない。
あるのは、採用試験だけである。
◇
申し遅れました。
クラヴェル伯爵家の侍女頭、マルゴと申します。
当家のお嬢様、セレスティア様は、
三年前にお父上を亡くされ、十九で家督を継がれた。
継いだ時、領の蔵は空で、借金は蔵より大きかった。
お嬢様はそれを、三年でひっくり返した。
やせた麦畑を薬草と養蜂に切り替え、
クラヴェルの蜂蜜は今や王都の菓子屋の取り合いである。
巣箱、二百四十。臨時雇いを入れて働き手、六十人。
帳簿の赤字は、二年目の冬に黒へ変わった。
つまり、うちのお嬢様は天才である。
ただし、ひとつだけ欠点がある。
初対面の相手と、三語より先が続かない。
「よ、ようこそ、お越し……」
ここまでである。ここで止まる。
続きは私が「くださいました、でございますね」と
接ぎ木する。三年間、そうしてきた。
蜂と帳簿と領民の前でだけ、お嬢様はよく喋る。
それ以外の人間の前では、言葉が巣箱に籠る。
二年前の王都の夜会では、
挨拶に来られた侯爵夫人の前で言葉が籠った。
長い長い沈黙ののち、絞り出した一言が、
「……蜂は、いいですよ」
だった。
侯爵夫人はその後、本当に蜂を飼い始められたので
結果としては外交の成功なのだが、
あの夜以来、お嬢様は夜会を欠席し続けている。
そこへ、求婚者である。
空の蔵が蜜で満ちたと知れた途端、
王都から月に十人、釣書が届くようになった。
執事のセドリック翁は御年七十八、
昼餉のあとは椅子で船を漕ぐお歳である。
よって門番は、わたくしが務める。
白状すると、私には性分がある。
商家の帳場で育ったせいで、
人を見ると、値が浮かんでしまうのだ。
初めて会った行商人。銀貨十二枚。
道で説教してきた司祭様。銀貨三枚。
値付けの根拠は、口ではうまく言えない。
言えないが、帳場育ちの目分量は、まず外れない。
外れないので、面接をしている。
ちなみに、当家の者にも値は浮かぶ。
セドリック翁、金貨三枚。
昼餉のあとは船を漕ぐが、あの頭の中には
五十年ぶんの貴族名鑑が入っている。
下女のリズ、銀貨四十枚。毎年、値が上がる。
馬丁のトト、銀貨二十五枚。口は悪いが馬は正直だ。
お嬢様には、付けない。
浮かばないのではない。付けないと決めている。
帳場の娘にも、売り物にしてはならぬものの
区別くらいは、ついているのである。
◇
一人目。オルバン子爵家の三男、二十六歳。
釣書は立派だった。剣も馬も社交も一級。
本人も、身なりだけなら金貨が浮く男前である。
「まず一問。当家の主産物をご存じですか」
「無論。……ぶどう酒、であろう?」
「蜂蜜でございます。二問目。
お嬢様のお名前を、どうぞ」
「セ……セレス、ティーナ嬢?」
「セレスティア様でございます。三問目。
この求婚が成った場合、あなた様は
当家の帳簿をご覧になりますか」
「はっはっは。帳簿など、妻の――いや、
家令の仕事であろう。私は狩りと社交で家名を」
台帳に、値を書き入れる。
――銅貨八枚。
釣書は金貨の顔をしていたが、
中身は蔵を空にした先代の同類である。
当家は一度、その型で潰れかけた。
「本日はお越しくださり、ありがとうございました。
結果は書面にて、三日以内にお送りいたします」
「け、結果とは何だ。私は子爵家の」
「不採用の通知でございます」
◇
二人目は、手強かった。
王宮騎士団のガーヴィン卿、三十一歳。
こちらの面接の噂を聞きつけて、
対策をして来たのが受け答えで分かった。
「当家の主産物は」
「蜂蜜。巣箱は二百を超え、
薬草園は王室薬局とも取引がある」
「お嬢様のお名前を」
「セレスティア様。御髪は蜂蜜色と伺った」
完璧である。台帳の上で、ペンが一度止まった。
銀貨四十……いや、待て。
面接の値は、応接室だけで付くのではない。
私は席を立ち、茶の替えを装って下がった。
廊下で、控えの下女のリズに目配せをする。
打ち合わせどおり、リズは新しい茶を運び――
卿の袖の横で、わざと茶器を鳴らして傾けた。
零れてはいない。零れそうになっただけである。
「――気をつけろ。安い茶なら拭けば済むが、
この上着は君の給金では償えん」
声は、応接室の外の私まで届いた。
リズが下がってきて、小さく頷く。
彼女の袖の内には、何も染みていない。
染みたのは、台帳の値のほうである。
――銅貨三枚。
なお、先に申し上げたとおり、
当家の下女リズは銀貨四十枚である。
卿は、当家の下女より安い。
主人の前で花を撒く手と、
召使いの前で出る素の手。
嫁ぐというのは、その両方の手と暮らすことだ。
「面接は、玄関を入られた時から始まっております」
お帰りの背にそう申し上げたら、
卿は振り向かずに、馬に鞭を入れた。
馬丁への会釈も、なしである。
馬丁のトトが「三枚は高いよ」と言った。
当家の使用人は、私の値付けに遠慮がない。
◇
三人目は、そもそも間違いだった。
「レナート男爵様がお見えです」と
セドリック翁が取り次いだ時、
私は釣書の束を三度めくった。ない。
翁は釣書のない男を、応接室に通していた。
昼餉のあとの、翁である。
通されてしまったものは、仕方がない。
北の隣領の男爵、レナート様。三十二歳。
旅装のまま、手土産もなく、
持参の書類は釣書ではなく――水路の図面だった。
「まず一問。当家の主産物を」
「知らん」
知らん、と来た。
「では、本日のご用向きは」
「東の谷の水路だ。おたくの薬草園の排水が
冬にうちの村道で凍る。改修の相談に来た」
求婚では、なかった。
完全に、こちらの手違いである。
値を付けようとして、ペンが止まった。
浮かばない。
高いのでも安いのでもなく、
この男は、そもそも売り台に載っていない。
帳場育ちの目分量が、三十年で初めて空回りした。
その時、窓の外で悲鳴が上がった。
◇
庭に出ると、薬草園の縁で巣箱がひとつ倒れていた。
運搬の荷車が、角を擦ったらしい。
蜂の唸りが、雷雲のように低く渦を巻いている。
庭師も下女も、遠巻きに固まって動けない。
その渦の中へ、旅装の男爵が歩いて入った。
走らない。手も振らない。
息を止めているのかと思うほど静かに巣箱へ屈み、
両手で持ち上げて、元の台へ戻した。
蜂の渦が、ゆっくりと箱へ吸い込まれていく。
「――煙も焚かずに」
背後で、声がした。
お嬢様が、駆けつけて息を弾ませていた。
「蜂は、騒ぐものにしか騒がん。
北では素手でやる。冬が短くて、煙を待てんのでな」
「北の……巣箱は、横型ですか。
うちは縦の重箱式で、冬の蜜の残しかたが」
「横だ。だが縦のほうが理に合う。
あんたの巣箱、内壁に何を塗った?
うちの蜂より、羽音が落ち着いている」
「蜜蝋に、薬草園のプロポリスを混ぜて――」
止まらなかった。
三語で籠るはずのお嬢様が、
巣箱と水路と越冬の話で、四半刻、止まらなかった。
男爵は相槌が三語しかないのだが、
その三語の置きどころが、いちいち正しかった。
私は庭の隅で、開いた台帳を、そっと閉じた。
値の浮かばない相手というのが、
この世にはいるのである。
お帰りの際、玄関で一応、聞いてみた。
「男爵様。水路の改修、当家の負担は」
「折半だ。図面はうちで引く。
人手は、そちらの農閑期に借りる」
即答だった。数字も割り振りも、まっとうである。
まっとうすぎて、こちらの検分の出番がない。
「……では最後に一問。お嬢様のお名前を」
男爵は、少しだけ間を置いた。
「聞きそびれた。――蜂の話が、面白すぎて」
台帳は、開かなかった。
開かなくても、これだけは分かる。
名前を聞きそびれるほど話に釘付けになる男は、
釣書を百枚積んでも、買えないのである。
◇
その晩、お嬢様の部屋に呼ばれた。
「マルゴ。話があるの」
来た、と背筋を伸ばした。
面接の件である。独断である。
叱責なら、受ける覚悟は初日からできている。
「面接のこと――」
「存じております。出過ぎた真似を」
「知っていたわ。最初から」
お嬢様は、窓辺で夜の巣箱のほうを見ていた。
「釣書が来るたび、胃が痛かった。
断る言葉を考えるだけで、三日眠れなかった。
でも、あなたが門にいてくれたから」
振り向いた顔は、帳簿を締めた夜の顔だった。
「私は安心して、蜂の世話をしていられたの。
……ありがとう。それから、ごめんなさい。
次からは、私が自分で会うわ」
「お嬢様」
「三語で止まっても、四語目はあなたが
接ぎ木してくれるのでしょう?」
私は一礼した。
礼の角度で、返事の代わりにした。
口で返すと、湿っぽくなる性分なのである。
部屋を下がりかけた私を、お嬢様が呼び止めた。
「マルゴ。……あの水路の方は、また来ると思う?」
「参ります。賭けてもよろしゅうございます」
「……そう」
お嬢様は窓の外の、夜の巣箱のほうを見て、
それきり黙った。
沈黙の温度で、だいたいのことは分かるのである。
◇
十日後、レナート男爵が再びお見えになった。
今度は水路の図面と――もう一枚、
自分の手で書いたらしい、身上の書き付けを持って。
紙は無骨で、字は角ばって、
項目は三つしかなかった。
名前。領地。それから、来訪の理由。
理由の欄には、こうあった。
『巣箱の話の、続きを聞きたい。
水路の件は、口実に使った。すまん』
正直にも、値段がある。
私の帳場では、かなりの高値である。
「書類選考は、通過でございます」
「……選考?」
「最終面接にお進みください。
面接官は、わたくしではございません」
応接室の扉を開けると、
中でお嬢様が、背筋を伸ばして座っていた。
膝の上の手は、固く握られている。
それでも今日は、私を呼ばなかったのだ。
「よ、ようこそ、お越し……くださいました」
四語目まで、ご自分で継がれた。
扉を閉めて、私は廊下に立つ。
中からは、巣箱の話がもう始まっている。
台帳の最後の頁に、私は一行だけ書き入れた。
『査定額、算定不能。
ただし当家の蜂は、あの方に懐いております』
合否は、お嬢様がお出しになる。
侍女の仕事は、ここまでである。
――なお、廊下で聞いた限り、
最終面接は四半刻を過ぎても終わらない。
茶の替えは、まだ運ばないでおく。
話題というものは、
邪魔が入らないところで、よく育つのである。
おしまい。




