浄化の始まり
朝霧に包まれた渋谷のスクランブル交差点。
いつもと変わらぬ通勤風景の中に、その「異物」は現れた。
藤代カイは、信号が青に変わるのを待つ群衆の真ん中を、ゆっくりと歩いていた。
誰もがスマホを覗き込み、5000円の盾『Aegis』に守られた匿名掲示板で、昨夜の「キャノン爆発事故」をエンタメとして消費している。
「まじウケるんだけど、あのCG」
「不謹慎だけど、藤代カイの新作ホラーだと思えばアリじゃね?」
口々に漏れる無責任な言葉。彼らの指先は、今日も誰かの尊厳を削り取っている。
カイは、目の前を歩くサラリーマンの肩を、軽く叩いた。
「……おい。お前のPCにも、あのセキュリティソフトが入っているのか?」
「は? 何だよお前、邪魔……」
振り返った男の言葉は、最後まで続かなかった。
カイの拳が男の胸部を直撃し、背後の街灯をなぎ倒して、肉体ごとひしゃげさせたからだ。
静寂。そして、肺を切り裂くような悲鳴。
「逃げろ! バケモノだ!」
「警察! 警察を呼べ!」
人々は一斉に逃げ惑う。だが、カイの動きに迷いはない。
彼は逃げる背中を追い、次々と「作品」に変えていく。
「俺は関係ない! ネットで叩いてない!」「許してくれ、金なら払う!」 無言で殺した。
阿鼻叫喚の中、泣き喚きながら縋り付く女の手も、カイは無機質に振り払った。
「……何も知らない? 嘘付けよ。5000円を払って、誰にもバレずに石を投げる権利を買ったんだろう? 匿名という『逃げ場』に味方した時点で、お前ら全員が、俺を殺した共犯者だ。」
カイは路上のガードレールを素手で引きちぎり、それを巨大な杭のようにアスファルトへ突き立てる。
「5000円の安心は、一生解約できないんだよ残念だったなソイツは欠陥品だ。」
街は、わずか数分で血の海へと変わった。
今まで「画面の向こう側の出来事」だと思っていた人々は、物理的な破壊という「現実」を突きつけられ、絶望に叩き落とされる。
同じ頃、天野は嵐のような警察の検問を潜り抜け、始まりの場所――「事故現場」の土砂崩れ跡地へ辿り着いていた。
彼女の目的は、AIが算出した「最高硬度の配合」を完成させるための、最後のピースを特定することだった。
「……AIの計算によれば、あいつの体は地球上に存在しない構造をしている。でも、その基になった物質は、必ずこの瓦礫の中にあるはずよ。」
天野は膝をつき、現場の中から不法投棄された産業廃棄物や土砂崩れに含まれる破片を次々とレーザースキャナーにかける。
AIの合成音声が冷たく告げる。
『対象:高純度炭素結晶、特殊セラミック片、未知の重金属反応を確認。配合シミュレーション……実行。これらを極限まで圧縮・結合させれば、標的の硬度に限りなく接近可能。』
「これね……。ダイヤモンドをも凌駕する、この世界で最も硬い弾丸。これさえあれば、あいつをぶち抜ける。」
彼女は夢中で瓦礫を掘り返す。その際、泥に埋もれた「赤い汚れのついた破片」を偶然手に取るが、今の彼女にそれを気にする余裕はない。
「不純物ね……。」
彼女はそれを無造作にサンプル袋へ放り込んだ。それが「彼の血」であり、後に奇跡を起こす唯一の要素だとは、この時の彼女も、計算を司るAIも、まだ気づいていなかった。
「待ってて、藤代。今、私が……あなたの暴走を止めてあげるから。」
彼女は泥だらけの顔を上げ、修羅の街へと引き返した。
手の中にあるのは、AIが導き出した「最強の理論」。
それが、最強の怪物との最初で最後の対等な戦いの切符になると信じて。




