天才が犯した大罪
キャノンの高層マンションに、警視庁の特殊捜査班が突入したのは、生配信が途絶えてから三十分後のことだった。
「……おい、嘘だろ」
先頭の捜査官が絶句し、足を止めた。
室内は、爆心地のようだった。強化ガラスは粉々に砕け散り、コンクリートの壁には巨大な穴が空いている。だが、火薬の匂いもしなければ、ガスの異臭もしない。
そこにあるのは、物理的な「怪力」によって、粘土細工のように引き裂かれた鉄と肉の残骸だけだった。
「警部、遺体の状況ですが……。まるで、解剖図を無理やり三次元に引き起こしたような損壊です。人間が素手でやったとは到底思えません。チェーンソーか、あるいは……」
「事故だ。ガス爆発による構造的欠陥による事故として処理しろ」
班長の言葉に、若手捜査官が耳を疑う。
「事故!? 配信であんな悲鳴が流れたんですよ! それに目撃証言では、男が一人で歩いていったと……」
「黙れ! 誰がやったか特定できるのか? 天野のソフトのせいで、キャノンの周辺調査すらままならんのだ。壁を見ろ!ありえんだろ。犯人が『人間』だなんて認めれば、今度は俺たちが『どうやって止めるんだ』と吊るし上げられる。……爆発事故だ。そう報告書を書け」
警察すらも、目に見える「現実」より、責任を取らなくて済む「虚構」を選んだ。
その頃、ネット掲示板やSNSは、異様な熱狂に包まれていた。
『キャノンの放送事故、見た? 最新のCGすげぇw』
『あれ、AIで作ったフェイク動画でしょ。藤代カイの逆襲とかいうプロモーションじゃね?』
『物理演算がリアルすぎて草。でも人間があんな壁壊せるわけないし、作り物確定だな』
凄惨な殺戮の記録は、数時間のうちに「出来のいいエンタメ」として消費され、嘲笑の対象へと変わっていった。
――そんな世間の狂騒を、暗い部屋で一人見つめる女がいた。
天野である。
五千円のセキュリティソフト『Aegis』を生み出し、この国の「匿名性」を完成させた天才。今やそれが当たり前になった。
「……フェイクなわけがない。」
彼女は、キャノンの部屋の壁が砕ける瞬間の映像を、0.1秒単位でスロー再生していた。
解析モニタには、異常な数値が並んでいる。
「衝撃波の伝わり方、コンクリートの破断面の角度……。これはAIのシミュレーションじゃない。現実の質量が、物理法則に従って『正しく』破壊されている音だ。」
彼女は震える手で、自身の開発した管理ツールを開いた。
そこには、ソフトの普及率を示す日本地図が映っている。
真っ赤だった。
日本中のPCやスマホが、彼女の作った「匿名」という繭の中に閉じこもっている。
「私は、誰もが傷つかずに済む世界を作りたかった。匿名という盾があれば、みんな自由に、正しく笑い合えると思っていたのに……」
画面の中では、依然として匿名ユーザーたちが、死んだキャノンや消えた藤代カイを「コンテンツ」として弄り倒している。
彼女のソフトが守っているのは、自由ではなく、「無責任という名の狂気」だった。
――同じ夜。
藤代カイは、モニターを前に、ニュースをじっと見つめていた。
「これだけマスコミに取り上げられていて、誰も信じない……。この事実を、俺がアイツを殺したことも……。全部、嘘だと思っているんだな」
彼の胸の奥で、再びあの「怒りと失望」がよみがえる。
「いいだろう。なら、誰にも『嘘』だと言わせないほどの、本物の地獄を見せてやる」
怪物の瞳に、冷徹な「殺意」以上の、狂おしいほどの「創作意欲」が宿った。




