鉄槌
都心の一等地にある、防音設備の整った高層マンション。
暴露系インフルエンサー「キャノン」は、高揚感に包まれていた。手元のシャンパングラスを揺らしながら、数台のモニターに流れるリアルタイムのコメント欄を眺める。
「はい、皆さんお待たせ。今夜のターゲットは、あの『AI疑惑』で炎上中のホラー絵師、藤代カイの続報でーす」
キャノンの背後には、天野が開発したあのセキュリティソフトが常駐している。彼の発信元は無数のプロキシを経由し、ログは一秒ごとにシュレッダーにかけられる。
特定不能。責任追及不能。
この「無敵の盾」がある限り、彼は神だった。
「これ、見てくださいよ。藤代の裏垢と思われるDMのやり取り、入手しました! 内容は……『今時AI使わんクリエイターはアホだ』。うわぁ、真っ黒ですねぇ。ソース? 出せませんよ、情報提供者の匿名性を守るのが僕の仕事ですから(笑)」
画面の向こうで、数万の「アリ」たちが熱狂する。
『キャノン最高!』『藤代死ね』『偽物は排除しろ』。
匿名の悪意が、デジタルの海で鋭い牙を剥く。
その時だった。
――ドォォォォオン!
雷鳴ではない。重機がビルに突っ込んだような、凄まじい衝撃音が室内に響いた。
震動でカメラが倒れ、高級家具が跳ね上がる。
「な、なんだ!? 火事か、ガス爆発か!?」
キャノンが狼狽して振り返る。そこには、あるはずの壁がなかった。
特殊な防音材と強化コンクリートで固められた外壁が、直径二メートルにわたって、まるで「爆撃」でもされたかのように粉砕されていた。
砂埃の中から、一人の男がゆっくりと歩み寄ってくる。
藤代カイだった。
彼は病院の寝巻きのような薄い服を着ていたが、その肌には傷一つ、汚れ一つ付いていない。ただ、その瞳だけが、この世のものとは思えない深い虚無を宿していた。
「……藤代……カイ? なぜ、ここが……」
「特定できないんだろう? だったら、足で探すしかない。一軒ずつ、お前のIPが特定できないシステムでもな、お前の行動で場所がわかる。サブ垢の投稿内容や、写真からこの地域にいることはわかってた。お前のような匂いのする場所を壊して回った。ここが十七軒目だ。」
カイの言葉に、キャノンは戦慄した。この男は、デジタルな追跡ではなく、物理的な「しらみつぶし」という狂気で自分に辿り着いたのだ。
「ま、待て! 警察を呼ぶぞ! 不法侵入だ、暴行未遂だ!」
キャノンは机の引き出しから護身用のスタンガンを取り出し、フルパワーでカイの胸に押し当てた。
バチィィィッ!
凄まじい放電。屈強な男でも一瞬で昏倒する電圧。
だが、カイは眉一つ動かさない。
「……なにこれ。」
カイはスタンガンの先端を素手で掴んだ。鉄製のはずのそれは、彼の指の力だけで、湿った粘土のようにグニャリとひしゃげた。
「ひ、ひぃぃっ! 化け物だ……!」
キャノンは腰を抜かし、後ずさる。背後の配信機材にぶつかり、マイクがオンになったまま床に転がった。
全国の視聴者が、画面の暗転した向こう側で起きている「現実」の音を聴いていた。
「お前が捏造した『俺の声』は、ずいぶん軽快だったな。……今度は、お前の『本当の声』を聴かせてくれ。俺のペン先より、いい音が出るだろう?」
「やめろ、助けてくれ! 悪かった、全部嘘なんだ! 注目されたかっただけなんだよぉっ!」
キャノンの命乞いがマイクを通して日本中に響き渡る。
カイは、キャノンの震える指を一本、静かに掴んだ。
その瞬間。
――ポキリ、と乾いた音がした。
深夜のネット空間から、一人のインフルエンサーの信号が消えた。
後に残されたのは、物理的に破壊され、見るも無惨な姿となった「作品」だけだった。
カイは窓から外を見下ろした。
「アリどもが。」




