完成
――ドォォォォン!!
アトリエの壁が、夜の静寂を切り裂いて爆ぜた。
最後の弾丸は、藤代カイの喉元を至近距離から貫通した。外殻と限りなく同じ高度を持ち合わせた資源と「彼自身の血」を核とした散弾が、ナノレベルで彼の肉体と共鳴し、その細胞構造を内側から崩壊させていく。
「……あ……」
カイの口から、吐息が漏れた。
視界が白濁していく。だが、その瞳に映っていたのは、返り血を浴び、自分を見つめながら泣き崩れる天野の姿だった。
彼は、かつてホラークリエイターとして「究極の死」を描こうとしていた。
だが、今この瞬間、自分自身の死という作品を完成させたのは、自分を否定した大衆でも、自分を壊したAIでもない。自分の「痛み」を唯一愛し、執念でここまで追いかけてきた、目の前のこの女だった。
「……よかった……な……。お前……だけ……は……」
激痛の果てに、カイの表情から一瞬だけ、何物にも代えがたい安堵が浮かんだ。
誰にも届かなかった彼の叫びが、ようやく一人の人間に届き、その手で終わらせてもらえた。
ドサリ、と重い音がした。
『孤高の怪物』の肉体は、自らの重みに耐えかねるように崩れ、やがて動かなくなった。
夜が明け、アトリエに警察が踏み込んだ時、そこには一人の女が、冷たくなった男の遺体のそばで座り込んでいた。
男の肉体は、死後、急速に「未知の物質」から、ただの「肉と血」へと変質していた。もはや弾丸を弾くことも、ビルを壊すこともできない。ただの、痩せ細った一人の青年の死体。
世間は、この結末をどう捉えたか。
『【悲報】藤代カイ、潜伏先で死亡。内輪揉めか?w』
『結局あいつも、ただの人間だったんだな。がっかり。』
『てか、あの女誰? 犯人なの? セキュリティソフトの開発者とかマジかよ。』
匿名掲示板のノイズは、止まない。
怪物が消えても、5000円の盾に守られたアリたちは、相変わらず無責任な言葉を投げ続け、新しい「獲物」を探している。
群がるアリこそ形を成した怪物である。
天野は、連行されるパトカーの窓から、スマホを片手に歩く群衆を眺めていた。
彼女は、自分が作った『Aegis』を自らの手でサービス停止にしてからここへ来た。だが、一度放たれた「匿名性」という毒は、もはやシステムを消したところで次が生まれる。止まるものではない。
彼女の膝の上には、あの時アトリエから盗み出した、無敵の体で殴り書きした「痛みの絵」が置かれていた。
警察の取り調べに対し、彼女は一言も、彼の弱点や殺害の動機を語らなかった。
彼の「痛み」を、世間の好奇の目に晒すつもりはなかった。
数年後。
匿名社会はさらに加速し、人々は互いの顔も見ず、言葉の刃を研ぎ続けている。
だが、一部の界隈では、ある「伝説」が語り継がれている。
かつて、この無機質なデジタル社会に、物理的な「痛み」を刻みつけようとした一人の怪物がいたこと。
そして、その怪物を、世界でただ一人だけ「本物」だと認めた天才がいたことを。
天野が独房の壁に、こっそりと刻んだ言葉がある。
『この世界に、買えないものは、たった一つだけ。――あなたの、痛み。』
アトリエの焼け跡に、風が吹く。
そこにはもう、怪物の咆哮も、女の泣き声も聞こえない。
ただ、かつて男が描いた「痛み」の記憶だけが、見えない影のように、街の隅々に残り続けていた。
「はい、皆さんお待たせ。萩浦です!本日も熱い情報を暴露していくぜ!今夜のターゲットは、あの『不倫疑惑』で炎上中のアイドル、田辺はるかの続報でーす」
「ーーおい…..」
その背後には斧を引きずる影が映り込んだ。
(完)




