痛み
静寂が支配するアトリエで、藤代カイは、作品が奪われた空白の壁を背に、闇の中に立つ天野を凝視する。
「……返せよ。それは、俺の存在そのものだ。」
カイの声は低く、地を這うような殺意を帯びていた。
天野は、継ぎ接ぎだらけの二号機を構えたまま、一歩も引かない。その瞳には、一人の男の命を奪う覚悟を決めた、冷徹な科学者の光が宿っていた。
「いいえ。これは今のあなたの『作品』じゃない。あなたが世界中にバラまいた絶望と、私たちが目を逸らしてきた唯一無二の罪よ。
――ドォォォォン!!
問答無用の一撃。
一号機とは比較にならない凄まじい反動が天野を襲うが、彼女はそれを歯を食いしばって耐え抜く。
放たれたのは、カイが自らの血を混ぜて描いた『絵』を、AIが解析し、ナノレベルで「彼の細胞」と「硬質物質」を融合させた特製の散弾。
弾丸が、カイの胸部に直撃した。
「…………っが、ああああああッ!!!」
アトリエに、耳を切り裂くような絶叫が響き渡る。
外殻は依然として無傷。だが、弾丸に含まれた「変異前の自分自身のDNA」が、外殻の結晶構造に、拒絶反応を起こさせた。
衝撃波が神経を直接叩き、カイは生まれて初めて、肉体が焼かれるような「激痛」に膝を突いた。
「……おぅえっ……! ぐほぉっ!!、っがぁあ!! なんだ、これは……これが、痛みなのか!?」
彼は狂ったように自分の胸を掻きむしる。かつては何も感じなかった肌が、今は指が触れるだけで、火花を散らすような不快感を脳へ送り込んでくる。
「……ああ、そうだ。それがあなたが踏み潰してきたアリたちが、最期に感じた苦しみと痛みだ。」
天野の声に、カイは顔を上げた。その瞳には、激痛によるパニックと、自らの聖域を汚された凄まじい怒りが混濁していた。
「ふざけるなぁよ……! 結局お前も、俺の作品を『弾丸の材料』として利用しただけじゃないか! どいつもこいつも、匿名で俺を殺し、今度は実体を持って俺を壊すのか! この世の中は、いつだって俺から奪うだけだ!」
彼は痛みにのた打ち回りながら、自らを守っていたはずの「無敵」が、皮肉にも「痛みを閉じ込める檻」に変わったことに絶望する。
逃げ場はない。
壁一面に並ぶ彼の「ホラー作品」たちが、今、本物の悲鳴を上げ始めた自分を嘲笑っているかのように見えた。
「お前だけは……お前だけは、絶対に許さない……ッ!ぶち殺すかんなぁ?」
カイは激痛に顔を歪めながら、もはや王者ではない、手負いの獣のような形相で天野へと飛びかかった。
女は、次の弾丸を装填しながら、震える声で叫ぶ。
「……あの日から、お前の絵を欲しがる奴が他にいたか!? 私は喉から手が出るほど欲しかった! お前の『痛み』だけが、この嘘だらけの世界で唯一、本物だったから!」
その言葉が、振り下ろされようとしたカイの拳を、一瞬だけ止めた。
アトリエの崩壊した壁から、冷たい夜風が吹き込む。
振り上げられたカイの拳が、天野の鼻先数センチで止まっていた。




