8.親父と過去
その世界は、神話に基づき『邪神の骸』と呼ばれていた。
『邪神の骸』には、時として女神からの神託が下される。
女神の神託とは、具体的には天空から飛来する金属塊、『神託鉄』を指した。
『神託鉄』には、絵とも文章とも付かない模様が刻まれている。
それを先天的に読み解くことが出来るのが女神の巫女であり、その一人がグレッフェだった。
彼女はウルスの仕事場を訪れて、彼に神託の内容を告げた。
「破局がやってくる。女神はそう仰っている」
それを聞いたウルスが、困惑したように彼女に聞き返す。
「破局……?」
グレッフェは、神託の内容を告げた。
「近く、地の底から邪神の血が溢れ、眷属が大地を席巻する。
女神の子らに、破局が迫る。
警戒せよ――と」
「……女神の仰ることならば、本当に起きるんだろうけど……それは、いつ?」
「近いうちに、としか言えない。
でも帝国は、それに備えて各地に地下壕を作ると決定した」
「じゃあ、都の外れで始まった工事も……?」
「そう聞いてる。
私にも、破局に備えたものを作るようお達しがあった」
「巫女に備えを……? 何を作れというんだ」
「もう考えてある。
『破局』を確実に生き延びることのできる人間と、『破局』を無かったことに出来る装置の組み合わせを」
「そんなことが出来るのか?」
「すでに装置はできているから、あとは、それを託す人間を選ぶだけ」
「どうやって選ぶ?」
「今日はそれを告げるために、来たの」
「え、それは、もしかして……?」
ウルスは朴訥なところこそあるが、察しの悪い男ではない。
話の順序を重視して勿体ぶったような形になってしまったことを反省しつつ、グレッフェは本題に入った。
「ウルス、私は女神の委託の下に、あなたを選んだ。
あなたに『破局』を生き延びて、滅びゆく人類を再生する役目を命じます」
「僕が……!?」
大抵のことでは動じない彼が驚く表情を見たのは、久方ぶりのことだった。
だが、グレッフェはそこには触れず、話を進めた。
包み布を解き、鞘に納めた剣を取り出す。
「そのために、まずはあなたにこの剣と一体化してもらう」
「剣と、一体化……?」
「そう。人間の姿で移動して、有毒な瘴気や津波から逃げきれない時は、剣の姿でこれを凌ぐ。
危険を乗り切ったら人間の姿に戻り、装置を起動して人類を再生する」
「……!」
「疑問や戸惑いもあると思うけど、それでも私は、あなたにこの役目を託したい。
……女神の戦士として卓越した、あなたに」
私情が混じっていないわけではなかったが、それでもウルスが最適任の一人であることは確かだ。
だがグレッフェは、彼が彼女の本気を汲んでくれるかどうか、心のどこかで危ぶんでいた。
剣と己の肉体とを合一するなど、正気の沙汰ではない。
しかし。
「……わかった、やろう。僕は何をすればいい?」
ウルスがそう頷いた時、彼女は大きく安堵したのを覚えている。
* * *
「フィプリオ、着いたよ」
「……んぁ」
肩を揺さぶられて、フィプリオは目を覚ました。
気づけば荷馬車は、建物の立ち並ぶ街中へと入っていた。
大通りには見覚えがあり、民家や商店の向こうには二階建ての大きな邸宅が見えてくる。
荷馬車の通れる大きな門をくぐると、そこは懐かしい実家だった。
レンガ造りの主棟や作業棟、木造の使用人棟などが、出奔した当時と変わらぬ様子で見て取れる。
彼女の家系は10代ほど前から地方長官を務める家柄で、父親の所有する私邸もその頃から改修を繰り返して使っている、由緒のあるものだ。
ウルスがそれを見て、ため息をつきながら言う。
「地方長官の私邸が、こんなに大きいとはね……特権階級になったもんだ」
「うるっせぇ。これでも親父は気前がいいって評判だったんだぞ」
「お父さんのことを裏切って家を出たのに、ずいぶん贔屓にするんだね」
「るっせぇ!」
フィプリオがウルスの腕を肘で突くと、馬車が止まり、レイクスが荷台の二人に声を掛けた。
「着きましたよ、二人とも」
「分かってるよ」
フィプリオはそう言って、荷台から飛び降りた。
が。
「きゃ!?」
男だった時との体格や重心の違いが、着地ミスとなって彼女を転倒させた。
またも女じみた悲鳴を上げてしまい、フィプリオは恥ずかしさを隠すように呻く。
「……痛って……」
「フィプリオ!」
ウルスが同様に荷台から飛び降りて、フィプリオに手を差し伸べた。
「…………」
それを無視する気にはなれず、彼女は彼の手――は気恥ずかしいので、手首を握って立ち上がる。
「まだ体が慣れきっていないんだろう。気をつけて」
「分かってるっつの……」
荷馬車から降りて御者に指示を出しつつ、レイクスがハウカに言う。
「ハウカ、私は荷運びの指示がある。先に二人を客間に案内してくれ」
「わかった。二人とも、こっちへ」
(実家だぞ。案内なんざ要らんっつの……)
フィプリオは、胸中で毒づきつつもウルスを伴い、彼女の後をついて行った。
* * *
フィプリオは、屋敷にいた頃はあまり入ったことの無かった客間に通された。
塗料で贅沢に白く塗られた石造りの内壁に、華美な絵画がいくつもかけられている。
絨毯はクゴート産の複雑な文様が織り込まれた高級品で、応接机も漆黒のエベノス材だった。
金満とは言わないまでも、カナイド州の地方長官に相応の財力を見せる設えとなっている。
フィプリオとウルスはハウカに言われ、椅子に腰かけてジャオを待っていた。
父親のこと、彼が常日頃から私邸に居ようと忙しいことを知っているフィプリオは、しばらく待ちぼうけして客室に通される展開だろうと高を括っていた。
だが彼女が座ったまま大きく背伸びをしたその時、ノックの直後に扉が開く。
「!?」
壮年の男、白髪が過半となった頭髪を丁寧にセットし、顎髭を生やしている。
ゆったりとした礼服の胸には、地方長官を示す盾を象った紋章飾りが下がっていた。
フィプリオの父だ。
「待たせた。
カナイドの地方長官を務める、ジャオ・クラルキだ」
名乗る彼に向かって、ウルスは立ち上がって礼をし、フィプリオも少し遅れ、渋々礼を取る。
「お初にお目にかかります、地方長官閣下。ウルス・イナンノと申します」
「フィプリオ・クラルキ……です」
すると、ジャオがフィプリオに視線を向け、再び口を開く。
「君かね、不肖の我が息子、フィプリオを名乗る娘というのは」
「……そうだよ」
フィプリオは最初こそ、畏まった話し方で行こうかとも考えていたが、反感も手伝い、ここは平素から実家でしていた、やや乱暴な喋り方をすることにした。
「姿も声も変わってるけど、話し方とかで何となく分からねぇか?」
身振りも交えてフィプリオだと分かるよう自然体で話したつもりだったが、ジャオの答えはすげない。
「遠縁を騙って金やコネをたかりに来る輩というのは尽きないものだ。
少々無謀だが、息子を名乗る君がそうでないという保証もない」
「レイクスから大体聞いてるだろ!?」
声を強めるも、父親は多少老けこそすれ、8年前と変わる所が無い。
「もう一度話してもらおう。本当のことなら、矛盾なく言い直せるはずだ」
フィプリオは毒づいて、再び説明を始めた。
「クソ……まずは……俺が――息子が8年前、女神の音叉と灯火を盗んで家を出たのは覚えてるよな」
「覚えているとも。我が家の汚点だ」
「……そのあと俺は、音叉と灯火の力で辺境の未発見の遺跡を探しながら、出土品を売って暮らしてた。
そんで先日、掘り当てた未発見の遺跡に入って、箱と、剣を見つけた」
「それで?」
「剣を手に持ったら気を失って、目を覚ましたらこの姿になってた」
「大人を子供に変える遺産もある。新発見のものならば信じられないことではないが」
「問題はその後だよ。『大地の同盟』が遺跡に入り込んできて、俺とこいつを見咎めて、襲い掛かってきた」
「『大地の同盟』は民間団体だが、今や帝国の有力な協力者だ。
遺跡探索と警備の業務も提携して行っている。
侵入者である君たちを捕えようとして何の不思議がある?」
「連中、名乗らなかったんだよ。疚しいことしてたってことじゃねぇか?」
「名乗らなかったのなら、なぜ『大地の同盟』だと分かった?」
「連中からかすめ取った袋の留め具に、大地の同盟の紋章があった」
フィプリオは、以前ウルスが追手たちから奪った袋を取り出して見せる。
「あと、連中の乗ってた馬にも同盟の焼印があったな。そっちは物証は出せねぇけど」
だが、ジャオは表情を変えなかった。
「……それだけでは証拠になるまい。同盟が作って売っている品を使っていただけとも思える」
「俺は元の姿に戻りてぇんだよ!」
彼女はたまらず、声を上げた。
「そのためには、こいつの話じゃ、『復原の秘宝』ってのが必要なんだ!
『大地の同盟』が、あの遺跡から持っていった可能性が高い……
あんたのコネで、そこら辺の調べを付けて欲しいんだ! それを頼みに来てんだって!」
「それ以前に、遺跡の盗掘は死罪だ。
それを分かって、地方長官の家に来たのか?
私が情に流されて、お前を許すと期待して?」
「う……」
図星を突かれて、フィプリオは言葉に窮した。
女神の遺産の中でも『兵器級』は国防上重要な存在であり、それを産出する古代遺跡もまた同じ扱いだった。
古代遺跡の盗掘は、ひいては国防を脅かす重罪なのだ。
それは承知しつつ、自分が捕まることはないと踏んで盗掘を続けていたのが、彼女だったのだが。
そこで、ウルスが手を挙げ、口を開いた。
「お話中失礼いたします、長官閣下」
世襲化したことを軽蔑していたとは思えない、慇懃な口ぶりだった。
ジャオは彼を見て、訊ねる。
「……何か言いたいことがあるかね」
「お言葉ながら」
「言ってみたまえ」
「はい。ご子息は剣の持つ作用で、今やかつての巫女と同じ肉体になっています。
往古の時代に神託の解読を司った、女神の巫女です」
そこで、ジャオの顔色がわずかに変わる。
「……まさか、神託が読めるとでもいうのか?」
「試してみる価値はあるかと」
「…………」
読めねえよ、フィプリオはそう主張しようかとも思ったが、ウルスの真意が読めず、黙っていた。
同じく少しの間、口を閉ざしていたジャオが彼女に告げる。
「ならば、フィプリオを名乗る者。
客室に通すので、そこで明日まで待て」
「待てって……待ってどうすんだよ」
「今はまだ言えん。信じて欲しくば従え」
そこで、ウルスが再度手を上げる。
「閣下、お願いがあるのですが」
「何だね」
「部屋に仕切りをご用意いただきたいのです。
一応、異性同士ですので……」
* * *
客室も、来客に貸すものだけあって、内装は客間に劣らず豪勢だった。
壁は白塗りの石レンガ、床にはやはりクゴートのものであろう、厚手の染め織絨毯が敷かれていた。
軋む音一つ立てない頑丈なベッドに腰掛けつつ、フィプリオは、衝立の向こうのウルスに問いかけた。
「なぁウルス、俺神託なんて読めねぇぞ」
神託とは、女神が天から遣わしたとされる金属塊、『神託鉄』。
そしてまた、そこに刻まれた文章らしきものを指す。
らしき、と表現するのは、その意味を読み取ることができる人間が非常に少ないためだ。
神託は絵とも文字ともつかない難解な文様のようにして刻まれており、未だかつて、学者がこれを体系立てて翻訳できたことがない。
女神の巫女だけがこの意味を理解することが出来るが、しかし彼女たちも、どの部分が何を意味するのかは説明できなかった。
神託は女神独自の言語で記されており、更に『神託鉄』から放射される女神の加護に含まれる不可視の信号が目から入ることで、脳に意味を届けているのではないか?
そう推測する学者もいる。
それを知っていただけに、フィプリオは不安を感じていた。
だがウルスは鷹揚として、
「まぁ試してみるべきだよ。僕は読めると思う。
読めれば、お父さんが君の価値を認める可能性もあるしね」
「読めなかったらどうすんだよ!
俺、マジで帝国に引き渡されて処刑されちまうかも……」
不安を口にすると、ウルスが衝立の向こうから顔を見せた。
そして、言う。
「その時はまぁ、また一緒に逃げよう。
大丈夫、上手く行く。君には女神の加護がある」
「……!」
優しく言葉をかけられて、フィプリオはむず痒さを覚えた。
具体的にどこがどう痒む、というわけではないのだが。
何か言おうとした、その矢先のことだ。
「きゃあぁあああああッ!?」
絹を裂くが如き悲鳴が聞こえて、フィプリオは身構えた。
ウルスが暗闇の中でランプの火を灯しつつ、言う。
「今のはハウカの声だ。フィプリオ、君はここで待っていてくれ」
「えっ、あ……」
扉を開けて駆け出ていくウルス。
フィプリオは取り残され、ランプの灯りの心細さに思わず毛布を握った。




