7.閃光と実家
警邏に窃盗犯を引き渡し、簡単な事情聴取を終えて、ようやくフィプリオたちは開放された。
彼女たちを追う一団――『大地の同盟』に追い付かれるかと気を揉んだが、幸いそうしたことは起きず、フィプリオは胸を撫で下ろした。
(よかった……)
「妹の荷物を取り戻してくださって、改めてありがとうございました」
彼女の弟――レイクスが、所作も麗しくフィプリオたちに礼を言う。
が。
「ところで貴女は……我々の兄であるフィプリオを名乗っているそうですが」
「は、はい……」
萎縮する彼女に、レイクスは告げた。
「失礼ながら、極めて疑わしい。
何か証拠か、それに類する情報を出せますか?」
(門前払いせずに聞いてはくれるんだよな……まぁお人好しで助かるけど)
彼女は言われて、やや不本意ながら知っている情報を並べた。
「フィプリオ・クラルキ25歳。
カナイド地方長官ジャオの長男。母はクロフ・クラルキ。
7……8年前に『女神の灯火』と『音叉』を盗んで家を出た」
「……その位は、調べればわかるでしょう」
レイクスのその言葉は、当然想定していた。
フィプリオはそれに対し、別の事柄に触れる。
「あとは、そうだな……ジャオは趣味を飽きやすい。
釣りが好きだったこともあれば、高価な球根を買っては枯らしてたこともある。
8年前までの趣味は……確か利き酒だったな。小さい保管庫まで作ってただろ」
「……!」
「妻クロフは元は女中だったが、ジャオに見初められて玉の輿になった。
子育ては俺で懲りたのか知らんが、次男以降の面倒は乳母が見るってことになって、子供をほったらかして機織りばっかしてただろ」
「…………!」
「弟のレイクスは音楽好きだったが、ストリングスはさほど上達せずに下手の横好きに留まる。
あれから上手くなったか?」
「……!?」
「妹のハウカは弓撃ちに熱心すぎて、9歳の頃だったか?
誤射で家の馬を射殺してガン泣きしたことがある」
それを聞いて、ハウカが上ずったような声を上げる。
「何で知ってるの!?」
「俺がフィプリオだからだよ!?
そりゃこんな格好になってりゃ信じられねえのは分かるけど……
8年前までで良ければ使用人の名前も言えるぞ!」
気を吐く女――フィプリオに対し、レイクスは押されたように一歩下がった。
「じ、事実だとして何故そんな姿に……」
「ウルス、説明頼む……」
「分かった」
ウルスはフィプリオに言われ、彼の知る経緯を説明し始めた。
一通りを聞いたレイクスは、顎に手を当てて唸っていた。
「むむ……持つと女に変わる剣、という点を除けば辻褄は合っている……」
「それに近い『遺産』はあっただろ、大人を子供に変えるやつとか」
フィプリオが記憶の中から補足すると、レイクスは口に手を当ててうめく。
「そんなことまで知っているとは……
本当に8年前、『音叉』と『灯火』を盗んで蒸発した兄さんなんですか……!?」
「だから悪かったって! 道具はその……紛失しちまったけど、親父にも謝るから!」
フィプリオは情けなさと羞恥で泣きそうになりつつも、弟たちに懇願した。
レイクスは少し迷ったようだったが、
「うーん……まぁその遺跡のことも気になるので、父にも判断してもらいましょうか」
「それじゃあ……?」
「あなた方を屋敷まで連れて行きましょう。馬車の席は空いてないので、荷台に乗ってですが」
「よ……よかった……」
こうしてフィプリオとウルスは、レイクスたちが仕事で乗ってきた馬車の荷台に乗って、実家まで行くことになった。
剣になることで質量が減るので、ウルスはフィプリオの腰に帯びられて。
そして太陽の下がり始めた街道を、東に向かって進んでいくと。
「ん……?」
荷物をクッション代わりにして荷台に座っていたフィプリオは、何かを感じてふと左を向いた。
(何だ……?)
街道から外れ、低木がまばらに生えた草原の向こうに、何かがいる。
全体的に彩度が低く、暗い色合いをしたそれは、灰色の泥が寄り集まって人間のような形を取っている――ように見えた。
その正体を理解すると、背筋が冷える。
(邪神の眷属……!?)
フィプリオの視線の先にいたのは、ペランドロス――泥男と呼ばれる、比較的ありふれた眷属だった。
通常、それは女神の加護の弱まる夜間にしか活動しない。
灰色の泥男が、眼球の無い虚ろな眼窩で、うなだれたような姿勢のまま、こちらを向いて佇んでいる。
彼女の目の向いた先を悟ったか、レイクスが前方を向いたまま告げた。
「……兄さん、あまり見ない方がいい。今は昼間なんだから、大丈夫ですよ」
「あ、あぁ……」
そう言われ、フィプリオが目を逸らそうとした、その時。
「――ッ!?」
不意に、その泥男がこちらに向かって駆けだした。
それどころか、伏せていたのだろう、背の高い草むらから、十体を超える泥男が姿を現したではないか。
泥男は力も強く、一対一では素人に対処できる相手ではない。
ましてあの数に追いつかれれば、フィプリオとウルスはともかく、レイクスたちが危険だ。
フィプリオは焦って、弟に声をかけた。
「お、おいレイクス! 左から!!」
「っ!?」
レイクスは泥男の群れを見て一瞬硬直するが、すぐに座席から身を乗り出して馬車の御者の肩を叩き、声をかけた。
「ラスさん、まずい! 馬を走らせてください!」「え……!?」
彼の指さす先、殺到してくる泥男たちを見て、御者も血相を変えて馬具をしならせる。
だが、荷物を載せた二頭立ての荷馬車は、さほど速く走れるわけでもない。
レイクスが、フィプリオたちに声をかけた。
「ハウカ、兄さん、荷台の荷物を捨てる! 手伝って!」
「分かった!」
フィプリオは即座に応じるが、同時に腰に帯びた剣が彼女に向かって呼びかけてくる。
(フィプリオ、それより僕を抜いて!)
「あぁ!?」
声を上げつつも言われたとおり、フィプリオは『涙の剣』を抜いた。
すると剣は途端に重さを増して、彼女は驚いて手を放す。
「うぉっ!?」
一瞬にして剣は人間の形を取り、抜き身の剣を持った青年が荷台の上に現れていた。
「僕が何とかする、君たちは離れていてくれ!」
ウルスは荷台から飛び降りると、草むらを抜けて駆けてくる泥男たちに向かって走っていった。
「せいッ!」
先頭を走っていた泥男はウルスに襲い掛かろうとするも、一太刀で首を斬り飛ばされる。
他の泥男たちもウルスへと飛びかかるが、巧みに位置を取って背後からの攻撃を未然に防ぐ彼によって、一体また一体と斬り伏せられていった。
(やっぱ強えーなあいつ……)
いつでも走り出せるように待機している馬車の荷台で――荷物の投棄はしないことになった――、フィプリオはその戦いを、固唾を飲んで見守っていた。
このままウルスが勝つと思えた時、しかし、事態は急変する。
「あっ、レイクスさんアレ……!」
声を上げた御者の指さした先から、何ともう一群、泥男たちが近づいてきている。
数はウルスが抑えている分の、更に倍はいると思われた。
フィプリオはそれを見て、絶句する。
「嘘だろ……!?」
レイクスが、荷台に据え付けられていた備品箱から剣を取り出し――護身用に常備されているものだ――、ハウカに呼びかける。
「仕方ない……ハウカ、援護してくれ!」
「うん……!」
ハウカも荷物の中から弓と矢を取り出すと、荷台に立って泥男の群れに向かって矢を番えた。
素早く弓を引き絞って撃つが、矢は命中すれど、心臓や血管などを持たない泥男を一撃で倒すには至らない。
泥男の一群はなおも迫る。
馬車を降りたレイクスが剣を、フィプリオも剣帯を外して鞘で殴りかかれるよう身構えていたが、無言で殺到するおぞましい泥男の姿に体がこわばっていた。
陋劣な思考が、脳裏に膨れ上がる。
(一人だけ逃げちまうか……?
レイクスたちが犠牲になれば……?
俺一人だけなら……?)
だが、ウルスも戦っている。
逃げてしまえば、彼女は女の身体になったまま丸腰になるだけだ。
命あっての物種とはいえ、それは選択肢として堅実か?
迷っている内に、泥男たちは更に接近してきていた。
意を決して斬りかかったレイクスが、敵に刃を突き立てる前に跳ね飛ばされる。
近くにいたフィプリオは鞘で殴り掛かる暇もなく、泥男たちに囲まれ、手足を掴まれていた。
「げッ!?!?」
生暖かく湿った感触が、服越しに伝わってくる。
泥男たちは彼女の肉を食い荒らすつもりはないらしい。
それどころかフィプリオは、両腕と両足を二体の泥男に掴まれて運ばれている状態だった。
そのような状態ではあったが、彼女は改めて恐怖し、戦慄した。
(巣穴にでも運ぶ気かよ!?)
人類が犠牲を払って調査した結果、泥男には巣のようなものはないと判っていたが。
何とか振りほどこうと足搔いてみるが、人間の倍はあろうかという泥男の力で抱え込まれては敵わなかった。
そのまま自分がどこかへと連行されてしまうのかと思われた時、
「でぁあッ!!」
引き返してきたウルスが、涙の剣で泥男たちの首を斬り飛ばしていた。
「きゃ!?」
フィプリオは力を失って倒れる泥男たちに巻き込まれる形で落下して草むらで腰を打ち、またも女のような悲鳴を上げてしまう。
「グ……フィプリオ!」
彼女を助け起こしながら、ウルスは持っていた剣をフィプリオの手に握らせた。
「え?」
そして彼は剣に戻り、音ならぬ声でフィプリオに伝えてくる。
(眷属はまだ残ってる! フィプリオ、君がこの剣を振るうんだ!)
「え、いやお前がやった方が――」
(いいから!)
抗議するも、襲い掛かってくる残りの泥男――残りといっても十体以上いる――に対して無防備でいたい訳もなく、彼女は剣を振るった。
すると、邪神の眷属は一撃で紙のように切り裂かれ――それどころか。
「うぉ……!?」
その刃が閃光を発したかと思うと、先頭の泥男の後ろから走ってきていた群れまでが、野菜を切り散らしたかのようにバラバラになっていた。
寸断された泥男たちだったものから、見た目通りの泥のような臭いが漂ってくる。
フィプリオはその事態を見て、戸惑った。
「何だ……!? ただの光じゃねぇな!?」
(昨日刃を光らせた女神の加護を、強めたものだ。
女神の巫女と同じ肉体を持つ君ならば、『涙の剣』の力をここまで引き出せる!)
「ンなこたもっと早く言えっつってんだろが!?」
答えるウルスに文句を言いつつもフィプリオには、残った数体の泥男たちが狼狽しているように見えた。
が、彼らの気が変わって再び襲い掛かって来ない内に、彼女はもう一度剣を振るった。
「ぅおらッ!!」
再び疾った閃光は、10メートルは離れていたであろう泥男たちを破壊する。
範囲を外れていた泥男たちも、何度か閃光を振るうことでバラバラになった。
「あとは……!?」
周囲を見渡すと、生き残って動く泥男はいなかった。
荷馬車の上に陣取ったハウカは無傷、泥男にはね飛ばされたレイクスも軽傷で、自力で起き上がり、歩いている。
「助かった……?」
「多分な」
剣を鞘に納めながらそう言うと、レイクスは呆れたようにため息をついた。
「兄さん、そんな真似ができるならもっと早く言ってください……」
「俺も今まで知らなかったんだよ……おいウルス説明しろ」
「僕は君の召使いじゃないけど……まぁいいか」
ウルスの説明と並行して、荷馬車は再びカナイドへ向かって進む。
説明が終わってレイクスたちが納得すると、フィプリオは気になったことを、彼に訊ねた。
「なぁウルス。この前遺跡で同盟の連中と戦った時はあんなやべぇ威力出なかっただろ。
手加減してたってことか?」
「そうじゃない。人間は全て女神の子だから、女神の加護で傷つけることが出来ないんだ。
そういう仕組みになってる」
「人間相手にゃただの剣ってことか?」
「そうだよ。だから気を大きくして、無闇に邪神信仰者たちと戦おうとしないでくれ。
そういうことは僕がやるから」
「何だよ、せっかく殴り込んでも行けると思ったのに……」
「場所も知らないのに、そんな調子で実力行使に出るつもりだったのか。無謀すぎる」
「うるせぇな……」
疲労が強まり意識は薄れ、フィプリオは眠りに落ちてしまった。




