1.遺跡と転性
石造りの地下通路は、暗闇に包まれていた。
カビがはびこり、そこから揮発した独特の匂いが空気を満たしている。
だがそこに音が響くと共に、空気の流れが生じ始めた。
ごつごつと石壁を穿ち、叩き割る乱暴な音。
「うぉらッ!!」
脆くなった壁が崩れ去り、その向こうから光が差した。
声の主は、拳を握って喝采する。
「いよっしゃあ!」
灰に埋もれた古代の遺跡が一人の男によって掘り当てられ、現代と繋がったのだ。
――かつてこの地には、巨大な帝国があった。
女神の加護の元に勢力を広げ、跋扈する邪神の眷属を打ち払い、大陸に安息が訪れた栄光の時代があった。
だがそれも、今や悠久の時の彼方。
爛熟した文明は火山灰に埋もれ、人々は未来への希望を見いだせず、邪神の眷属の勢力はいや増している。
彼――フィプリオが生まれ育ったのは、そんな時代のことだった。
フィプリオは土を掘り起こし、古代帝国の遺跡から遺物を掘り出し、売りさばくことで生計を立てていた。
が、彼は遺跡を改め始めて早々に、失望を覚えかけていた。
(クソ、しょべぇな……)
『女神の音叉』によって位置の見当を付け、地下通路を掘り当てた。
そこまではいいが、肝心の金になりそうな遺物が全く無い。
墓ならば副葬品が見つかるはずだが、広い通路はさっぱりとしていて、墓ではないようだ。
途中の倉庫と思しき空間には、積み上げられた木箱が崩れ落ちていた。
中身は乾き果ててカチカチになった、保存用らしきパンだ。
試しに砕いてみたが、恐らくは特別なパンというわけでもない。
侵入者を陥れるための罠の類なども、全くなかった。
(……非常用の食料庫か?
案内表示の文からして、『破局』前のもんで間違いないはずだが……)
壁には所々に、その行き先を示す文言と矢印が記されていた。
フィプリオはそれを読み取りつつ、慎重にではあるが、奥へ奥へと進んでいく。
(食糧庫以外には、便所らしき縦穴、寝床……
大人数で寝泊まりする目的に見えるが、宿泊施設にしちゃあ個室がないよな。
合宿所? 作りかけっぽいし、何なんだここ)
内部には、他の侵入者の形跡はない。
ならばこの遺跡は、フィプリオが一番乗りだと判断してよいだろう。
だが、広い。これほどの広さの遺跡が手つかずで残っていたということに、彼は驚いていた。
同時に、手応えのなさも感じていたが。
広さに比べて財宝の類が全くないのは、宝物庫や高位者の墳墓の類ではないということだ。
売り払えそうな日用品や美術品に、『女神の遺産』の類もない。
目印をつけて、一度引き返すべきか。
そう考え始めた時、彼は最奥らしい場所へと辿り着いていた。
「――!」
そこはどうやらまだ作りかけの部屋らしく、さほど広くない。
奥には地層が露出しており、古び果てた木材によって補強用の梁や柱が組んであった。
掘り出された土も搬出されておらず、いくつかの山になっていた。
そしてそこには小脇に抱えられる程度の大きさの『箱』と、鞘に収まったひと振りの『剣』とが置かれている。
(お、ようやくそれっぽいもん発見……?)
いや、無造作なその様子は、どちらかといえば“打ち棄てられている”と言うべきか。
フィプリオは背負っていた荷を下ろし、罠などが無いことを確認しつつ慎重にそこに近づいた。
持っていた足ほどの長さの棒で剣をつついてみるが、何も起こらない。
作りかけの部屋では、特に何かの仕掛けと連動している様子もない。
「…………」
手袋をつけたまま、彼は剣の柄を握り、持ち上げてみた。
金属製のそこそこに重い、言ってみれば妥当な重量感がある。
『女神の灯火』を口に咥え、剣を鞘から引き抜いてみると、そこには錆一つない、すらりとした美しい刀身が現れた。
腐り切っていて折れる可能性まで考えていたのだが、意外な掘り出し物かも知れない。
「…………ほーん」
いつまでも見ているものでもなかろうと鞘に納めた、その時。
「ぐ…………!?」
フィプリオは自身の体に、激しい変調を感じた。
肉体のそこかしこが熱く、意思に反して何かが内部でうごめいているような感覚だ。
その違和感と悪心で、立っていられない。
「が……」
彼は口から『女神の灯火』を落としてしまい、手からも剣を取り落とした。
そのまま土に膝をつき、四つん這いになることすら出来ず倒れる。
病気か? いや、先ほどまで何の予兆もなかったのは不可解だ。
そうした思考をそれ以上に巡らせることも出来ず、フィプリオの意識は一度途絶えた。
* * *
寝台に横たわる青年と、その横に置かれた抜身の剣。
彼女はそれらを前に、宣言した。
「これより、人剣一体の儀式を行います」
そして、女神の巫女である彼女は、その与えられた力を行使した。
女神の加護が彼女の身体を通して、紫がかった光となって地上に現出する。
光は青年と剣とを包み込んでいき、同時、一人と一振りは急速に気化して消えていった。
いや、それだけではない。
ぼんやりとした気体となってしまったそれらは、きらきらと輝きながら彼女の頭上を渦巻き始める。
「人よ! 剣よ!
互いに皮より、血より、骨より近くあれ!」
言葉に応じて、渦巻いていた気体は彼女の目の前へと凝集を始めた。
乳白色の塊として現れたそれらは、徐々に形を成し、色を得て、一振りの剣となっていく。
「…………!」
一人と一振りが、一体となった。
だが儀式は終わっていない。
彼女は息を吸い込み、剣に向かって命じた。
「剣よ、剣士となれ!」
すると剣が置かれていた場所に、剣を携え横たわる青年の姿が現れる。
「う……」
青年は一瞬顔をしかめ、起き上がって周囲を見渡した。
そして、言う。
「グレッフェ、儀式は……どうなった?」
彼は自身の意識と、その連続を保っている。
彼女は激しく安堵しつつも、彼に告げた。
「うまく行った。あとは終わらせるだけ」
女神の巫女は、剣士に向かって両手を掲げて宣言した。
「ウルス・イナンノよ、これよりあなたは『涙の剣』と共にあります。
女神の課した使命を果たすため、あなたが生き延びて、戦い続けることを望みます」
彼女の望んだ戦士が、ここに誕生した。
あとは、秘宝を託すのみ。
グレッフェは穏やかな気持ちで、儀式の成功を喜んだ。
* * *
苦しみが和らぎ、フィプリオは暗闇の中で目を覚ました。
痛みや熱はほぼ引いていて、自身が体重を預けている土の感触がひんやりと心地よい。
ただ、何の不満もないかと問われれば、そんなこともない。
(喉渇いた……)
倒れてからどのくらいの時間が経っただろうか?
水も、時計も、近くに置いた荷物の中だ。
フィプリオは水を飲もうと起き上がり、そこで自身の体が軽くなっている事に気づく。
(ん……? それだけじゃねぇな……!?)
首筋を何かがさらりと流れる感触に驚いて首元に触れると、そこには細く、長い髪が垂れ下がっていた。
「は……?」
彼の髪は、先ほどまではそれほど長くはなかった。
訝りつつも暗闇の中、周囲を慎重に、手で探る。
先ほど落としてその辺りに転がっているであろう、抜き身の剣で手を切ってはたまらない。
(あった)
フィプリオは『女神の灯火』を探り当て、再起動した。
その先端から光が溢れ、暗闇を切り開いてくれる。
強い光に顔をしかめつつ、目が慣れてくると、そこには。
「は……!?」
見れば、伸びた髪はさらさらとしていて、色も鮮やかなブロンドに変わっている。
その上、思わず声を上げてしまっていたが、その声がおかしい。
「こ……!? 声が何か……高いぃ!?」
地下通路に響く、鈴を鳴らしたような悲鳴。
異変はとどまるところを知らなかった。
視線を下ろせば、そこには妙な膨らみがある。
「!?」
思わず触れると、そこから柔和な弾力が、服越しに伝わってきた。
ボタンを外してシャツをはだければ、そこには男にあらざるべき起伏があるではないか。
(ウソだろ……!?)
悪寒を覚えて股間に手を伸ばすと、やはりというべきか、あるべきものが消え失せている。
何度確かめても、そこには先ほどまであったはずの器官がない。
「う、ウソだぁあああああっ……」
フィプリオは嘆きつつ、己の頬を左右からバシバシと叩く。
「……痛った……」
しっかりと痛いので、悪夢の類ではないらしい。
彼は、彼女になってしまったように思われた。
すると、そこに。
「――!?」
フィプリオの耳に、多数の足音が聞こえてきた。
ドヤドヤとした靴音が、遺跡の内壁に反響しながら接近してくる。
(やべぇ……!?)
帝国の調査団だとしたら、見つかって捕まれば死罪だ。
フィプリオは喉の渇きも疲労も忘れ、『女神の灯火』を振り回した。
どこか、隠れる場所は無いか。
だが、
(クソ、だだっ広くて隠れる場所がどこにもねぇ……!?)
彼は荷物の中に仕舞っていた棒を取り出して構えようとするが、親指程度の太さの材木では素手と大差あるまい。
短剣も持ってきていたが、やはり大差ない。
思い直して棒を捨て、フィプリオは傍に落ちていた先ほどの剣を拾い上げた。
さすがに抜刀していては問答無用で殺されてしまいかねないとも考えて、鞘のまま持つ。
武器を捨てて命乞いをする選択肢も、残しておいた方がいいだろう。
彼がそうしている間に、足跡の主たちがランプを携え、通路を近づいてきた。
「貴様、何者だ! ここで何をしている!」
「す、すみません! 悪気は無かったんです!!」
男の立てたどやすような誰何の声に、フィプリオは身じろぎして女の声で謝罪した。
それには取り合わず、男は彼に問う。
「名乗れ、どこの者だ? 一人でこんなところにいるとは、只者ではないな」
「え、えーと……その……」
相手は、リーダーらしきがっしりとした体格の男を含めて五人。
これならあるいは、隙を見て出し抜くこともできるか?
五人だけでここまで入り込んでくるとも考えにくいので、他にもいるのかも知れないが。
一行の中の一人が、フィプリオを見て言う。
「隊長、だいぶ上玉ですよこいつ。
内緒でごにょごにょして――」
隊長と呼ばれた男が、それを遮った。
「よせ。こんな場所に一人でいるとは、盗掘者にしても得体が知れん。
連れ帰って行状を自白させる」
相手の様子を見つつ、フィプリオは愛想笑いを浮かべながら言う。
「あ……正直に話したら……許してくれます……?」
「正直に話しているかどうかは我々が判断――
――ッ!?」
その時、フィプリオは足元に転がっていた箱を引っ掴み、隊長の顔面めがけて投げつけた。
同時に走り出し、五人を迂回して走り抜けようと試みる――が。
「げっ!?」
太い腕で投擲を防いでいた隊長が素早く動き、フィプリオの足を蹴り払う。
彼は転倒し、持っていた剣が遺跡の床に転がった。
隊長はそのままズカズカと接近して姿勢を下げ、打ち身で怯んだフィプリオの襟首を掴んで引き寄せる。
「これだから、女という生き物は!」
怒声を浴びせられ、思わず目に涙が滲む。
引き絞られた拳が彼の眼窩を激しく打つ――その直前。
「やめろ」
その隊長の手首をがっちりと掴み、打擲を阻む者がいた。
「っ!? 何だ貴様!?」
赤毛の、若い男だ。その端整な顔立ちは今は険しく、隊長を睨み据えている。
「誰だ……!?」
部下の男たちも知らないらしい。
だがフィプリオは何となく、その見知らぬ青年に見覚えがあるような気がしていた。
(でも誰だ……思い出せねえ……)
青年は、隊長の手首を力強く掴んだまま告げる。
「まずは彼女から手を離してくれ」
「…………!」
「きゃ!?」
隊長が彼の襟首から乱暴に手を離すと、フィプリオはバランスを崩して尻餅をついた。
思わず女のような悲鳴を漏らしてしまうが、無かったことにして立ち上がる。
同時に手首を解放されて、隊長は腰の剣を抜きながら青年に尋ねた。
「何者か? この女とはどういう関係だ」
「僕はウルス・イナンノ。女神に仕える戦士だ」
「女神だと……!?」
「それより、君たちは誰だ? 名乗らないのか?」
「…………」
青年――ウルス・イナンノが問うが、隊長たちは答えない。
回答する意思が無いと見たか、彼は手振りで周辺を指して続ける。
「君たちは今、『女神の壕』にいる。
入域にあたって神殿の許可が下りているなら、僕に名乗っても問題ないはずだ。
僕は嘘偽りなく名乗ったが?」
「神殿……?」「ていうかこいつ、どこから出やがった!?」「面妖な!」
不気味がる男たちからわずかに目を逸らし、ウルスがフィプリオに尋ねた。
「すまないが、僕の認識と状況が噛み合わない。
君は事情を知っているかい? 今は何年か分かる?」
「え……創造暦6496年……」
「えっ……?」
答えに対して怪訝そうな表情を見せつつも、彼はすぐに真剣な面持ちで歩み寄り、フィプリオの手を取った。
「差し当たっては、君を保護する。
外の様子が知りたい、一緒にここから出よう」
「えっ、えっ……」
フィプリオは、戸惑った。
体が女になり、見知らぬ集団に襲われ、挙げ句の果てに突然現れた謎の青年が自分を保護すると名乗りを上げている。
「逃がさん――がッ!?」
剣を構えた隊長がウルスの後ろから斬りかかるが、彼はこれを一歩横に歩いて回避し、反撃で一蹴した。
遅れて襲いかかった四人の部下たちも、舞踊のような動きで叩き伏せられていく。
「この野郎――ぐぁ!?」「げひゅ!?」「ぶぉ!?」
フィプリオはそれを見て、あやふやながらに決断する。
一応は、こちらに危害を加える意思の無さそうな方について行くべきだろう。
「じゃ、じゃあその……頼む……」
「承った。行こう」
その時、甲高い笛の音が遺跡に響き渡った。
ピィィィィィィィィィィ――!!
「集ゥ合ォォォォォッ!!」
敵わないと見たか、隊長が吹き鳴らしたのだ。
すると、遺跡の入り口の方からどやどやと、更なる大人数の足音が聞こえてくる。
そしてウルスが、フィプリオに呼びかけた。
「まずい、走るよ!」
「えっ、ヤバくね……?」
「大丈夫、問題ない!」
「お、おい!?」
強引に手を引かれ、彼は遺跡の入り口に向かって走ることになった。
幅の広い直線の通路を走ると、向こうから更なる集団がやってくる。
「女連れを止めろッ! 殺しても構わんッ!!」
隊長の絶叫じみた声が、遺跡の奥から聞こえてきた。
新手の男たちはその命令に従うのか、シャベルや剣を構えて彼女たちを攻撃するつもりらしい。
数は十人を超える。
ウルスがそれを見て、呻く。
「死んでも恨むなよ!」
「何者だ、止まれぎゃおうッ!?」
ウルスの抜き放った剣の一撃でスコップの頭を斬り飛ばされ、ついでに股間を蹴られた男が絶叫する。
戦士は襲いかかってきた男たちをあしらい、蹴散らしていく。
フィプリオも、その強さに圧倒されていた。
(こいつ、ハンパなく強え……!?)
「こっちだ、君!」
言われて再び手を取られ、着いて行くが、そこでフィプリオは痛みに気付いた。
中々に豊かな乳房が二つ、彼の胸郭の上でぶるぶると上下しており、これが痛む。
(………胸が揺れて乳首が服に擦れてんのか!?)
男だった時には想像もしなかった感覚に驚愕しつつも、フィプリオはウルスに手を引かれたまま走った。
明らかに細くなった自分の手に対し、彼の手の何と逞しく、頼もしいことか。
(いやいやいや、そんなこと考えてる場合じゃ……!?)
混乱しているうちに、二人は入口近くまで来ていた。
フィプリオが土砂を掘って開通させた、遺跡の入り口だ。
彼が掘った入り口はごく狭かったが、後から来た男たちが掘り広げたのだろう、一人が走って駆け抜けられる程度の幅はあった。
そこを塞いでいた、警棒で軽く武装した男を、ウルスは飛び蹴りで排除する。
「ごめんよ!」
「ぐへぁ!?」
二人はそこを駆け抜けて、外へと飛び出した。
そこにはうっすらと、日の差し込む森が広がっている。
フィプリオが入り込んだのは午後だったが、太陽の位置が変わっていた。
いつの間にか朝になっていたらしい。
彼らが出てきたのは、山の斜面に掘られた横穴だった。
フィプリオはせっせとここを掘り、遺跡を掘り当てたのだ。
ただ、入り口の周囲は襲撃者の仲間らしき男たちがたむろしていた。
彼らが、誰何する。
「何だお前ら……!?」
フィプリオたちはどう見ても、彼らの仲間ではない。
彼自身今や女の身体であり、ウルスも古代人のような緩やかな衣服を纏っていて、違いは明白だ。
どこから逃げるべきかフィプリオが迷っていると、ウルスは彼女の手を引いて走り出す。
「こっちだ!」
「あ、おい待て――」
見張の男が声を上げるが、青年は止まらない。
「あっバカ!?」
フィプリオは思わず、悲鳴じみた声を上げていた。
また乳首が擦れるだろうが――そう文句を言おうとしたが、その場に留まるわけにもいかず、フィプリオは彼に従った。
(こいつ、何なんだ……!?)
森の中を手を引かれながらしばらく走ると、やはり我慢しきれず、彼女は言おうとしていたことを告げる。
「ちょっと待て、走ると乳首が擦れて痛えんだよッ!」
「あっ……すまない、じゃあ抱き上げて行こう」
「は!?」
言うなり、ウルスはフィプリオを姫君のように抱え上げた。
優しげな顔立ちとは裏腹に、その体に張り付いた筋肉は固く逞しい。
その雄々しさに、彼は戸惑った。
「ちょ、いやおま……」
「森を突っ切る。僕に掴まって、顔を伏せていた方がいい」
「マジかよ……!?」
腐葉土を踏みしめて走るウルスの腕の中で、フィプリオは仕方なく、彼の首筋にしがみついた。




