第9話 今日の昼休みの対峙
橋本悠一は絶体絶命のピンチに立っていた。
校舎の屋上。春の風が心地よく吹くはずの場所で、目の前に立ちはだかるのは元カノの北桜恵麻。茶髪のロングヘアを軽く揺らし、自信たっぷりの笑みを浮かべる彼女の視線に、悠一の背筋が凍った。
ついさっきまで、如月絃葉と二人で弁当を広げ、笑い合いながら穏やかな昼休みを過ごしていたのに。あのほんわかした時間が、恵麻の登場で一瞬にして台無しだ。
悠一は頭を抱えたくなった。
「ねえ、悠一。私とまた付き合およ。そっちのほうが絶対いいって!」
恵麻がグイッと一歩踏み込み、甘ったるい声で迫ってくる。
「は⁉ な、なんで⁉」
悠一は思わず声を裏返らせた。
「なんでってさ。だって、私、悠一ともう一回やり直したいなって思ってるんだもん」
「いや、んなこと言われても! 俺、今は絃葉と付き合ってるし! そもそも、お前との話はもう終わっただろ!」
悠一はキッパリと拒絶した。もう二度と、恵麻のペースに巻き込まれるつもりはない。すると、隣に座る絃葉が、チラリと不安げな目を向けてきたのだ。
「橋本君……この子と、前に付き合ってたの?」
その声は、まるで壊れそうなガラス細工のようだった。悠一は慌てて弁解する。
「う、うん、確かに付き合ってたけど! 今はもう全然関係ない! 恵麻のほうは、俺のことなんてただの遊びだったって言ってたし!」
「そっか……じゃあ、無理に付き合う必要ないよね?」
絃葉の言葉に、悠一はホッと胸を撫で下ろした。
「うん、だよな!」
二人は小声でヒソヒソと確認し合う。だが、その様子を恵麻が見逃すはずがなかった。
「ちょっとー! なに、二人でコソコソ話してんの? っていうかさ、私、実は悠一のこと、めっちゃ好きだったんだよね~」
そう言うや否や、恵麻はズイッと悠一の左隣に腰を下ろした。右には絃葉、左には恵麻――まさかの美少女二人に挟まれる状況に、悠一の脳内はパニック状態だ。
「てか、悠一、めっちゃいい感じの弁当食べてるじゃん! 豪華~! 私も食べてみたいなぁ」
恵麻の視線が、悠一の手元の弁当にロックオン。
「こ、これは絃葉が作ってくれたやつだから!」
悠一は咄嗟に弁当をガード。絃葉から貰ったカットステーキ弁当は、渡したくなかった。
「へー、如月さんのお弁当ね。ふーん、でもさ、悠一、私の食べさせてあげよっか?」
恵麻はニヤリと笑い、悠一の左腕にスリスリと体を寄せてくる。耳元で囁くような声に、悠一の背筋にゾワッと鳥肌が立った。
「ど、どんなのだよ」
警戒しながら問うと、恵麻は得意げに隠し持っていたモノを見せつけてきたのだ。
「じゃーん! これよ!」
見せられたのは、コンビニのサンドイッチ。しかも、半分かじられたやつ。ビニールの包装に、微妙にマヨネーズが付いている。
「悠一、食べてみたいでしょ? 私の特別なサンドイッチ」
「いや、遠慮する! コンビニのやつなんて、いつでも買えるだろ! それに、食べかけって……」
悠一は少々引き気味だ。
「えー、なんでよ! 私の食べかけだよ? ほら、間接キス的な感じでいいじゃん!」
恵麻は唇をとがらせ、わざとらしいウインクを飛ばしてきた。が、悠一は全力で拒否した。
「いや、いいって! もう別れたんだから、別のやつと付き合えばいいだろ!」
冷ややかな視線で突き放す悠一。もう恵麻の甘ったるい誘いに乗る気はゼロだ。
絶対に復縁なんてしない。
悠一は心の中でそう思った。
「なんでそんな冷たいのー? 私、めっちゃ本気なのに!」
恵麻は不満げに頬を膨らませ、グイッと悠一の左腕に抱きついてきた。柔らかな感触が腕に伝わってくるものの、そんなのどうでもいい。悠一の思いはただ一つ――
勘弁してくれ!
右に絃葉、左に恵麻。屋上の昼休みは、まるで修羅場と化した。悠一は心の中で叫んだ。
どうすりゃいいんだ、この状況!
「俺はただ、絃葉と普通に幸せな青春送りたいだけなんだ」
悠一は屋上の空を見上げ、内心の苛立ちを抑えながらハッキリと言い放つ。
もうこのドロドロした空気、うんざりだ!
春の風が吹く中、目の前には元カノ――北桜恵麻がニヤリと笑みを浮かべていた。
「えー、なにそれ? 私、ちゃんと悠一の理想の彼女になるって! ほら、めっちゃ努力するし、ねっ」
恵麻は甘ったるい声で迫り、グイグイと悠一の腕に体を寄せてくる。ふわっと漂う彼女の香水の匂いも、悠一にはただのノイズでしかなかった。
「いや、そういうのいいから! マジでどっか行ってくれ!」
悠一は冷ややかな視線を彼女に投げ、ピシャリと拒絶。だが、恵麻はそんなのお構いなし。むしろ楽しそうに、ますます体をくっつけてきたのだ。
「うっそー、悠一、なんでそんな冷たくするのー? ほら、私の愛、受け止めてよ♡」
その瞬間、右隣に座る絃葉の我慢が限界に達した。
「ねえ、北桜さん? 橋本君、めっちゃ困ってるんだけど。見てわからない?」
絃葉の声は、普段の柔らかさとは打って変わって、キリッと鋭い。黒髪のロングヘアを揺らし、ジッーと恵麻を睨みつける姿は、まるで守護天使のようだ。
「は? というか、あなたには関係ないじゃん。というか、急に声を出すとか、怖いんですけど」
茶髪のセミロングヘアをかき上げる恵麻は、絃葉に対抗するように余裕の笑みを崩さなかった。
「関係ないわけないでしょ! 橋本君がこんなに嫌がってるのに」
「ふーん、そう? 私には、悠一が照れ隠しでつれない態度してるだけに見えるけどなー。ね、悠一、そーでしょ?」
恵麻はさらにグイッと悠一に密着し、わざとらしいウインクを飛ばしてきたのだ。
その声は低く、どこかゾッとするような女の怖さをまとっている。絃葉の眉がピクリと動いた。
「北桜さんって本気で空気読めないの? それとも、わざとやってる?」
絃葉の反撃に、恵麻はフンと鼻を鳴らす。
「空気読めてないのは如月さんでしょ? 悠一と私の関係を邪魔しないで。というか、どっか行ったら? 悠一、ほんとは私のこと大好きなくせに、ね♡」
恵麻はもう悠一の左腕にべったり。彼女の柔らかな感触が腕に伝わるが、悠一の心は氷点下だ。
内心――うわ、キツい! 助けてくれと叫びながら、げんなりしていたのである。
もう我慢の限界だった。悠一は深呼吸し、恵麻を真っ直ぐ見据えた。
「恵麻……この際だから、ハッキリと言うけど。俺、お前のこと嫌いだから。食べかけのサンドイッチもいらないし、そもそもお前との時間、全部無駄に感じてるよ。自分勝手に振ったくせにさ」
その言葉は、まるで屋上の静寂を切り裂く刃のようだった。恵麻の目が、漫画みたいに点になる。
「え、うそ、なにそれ……⁉」
恵麻がポカンと固まる中、悠一は絃葉に視線を移す。
「絃葉、ここにいるとマジで面倒くさいから、どっか行こ」
「う、うん、いいよ!」
悠一の突然の態度に、絃葉は驚きを隠せていない様子だったが、少しすると現状を受け入れた顔つきになる。
絃葉の顔は次第にパッと明るくなり、ちょっと照れた笑顔がめっちゃ可愛かった。
言いたい事をハッキリと告げた事で、悠一の心はすっきりとしていたのだ。
二人は席を立ち、屋上の扉に向かって歩き出した。
一方、取り残された恵麻は、まるでフリーズしたロボットのよう。いつも自信満々の彼女が、珍しく呆然と座り込んでいる。悠一の背中に、彼女の視線が突き刺さるが、もうどうでも良かった。
これでいい。俺の青春は、絃葉と一緒に作っていくと――
屋上に流れている春の風が二人の背中を押す。悠一は絃葉と並んで歩きながら、ようやく心が軽くなるのを感じていた。




