第29話 夜道の出会いは突然に
橋本悠一は、その日の夜。いつものように地元の駅に降り立った。
電車のガタゴト音が遠ざかり、静かな夜の空気が肌を撫でる。
六時くらいの電車で帰ろうとしていたが、気が付けば、七時の電車になっていたのだ。
大分、辺りは暗い。
電灯の明かりが道を薄暗くも照らしていた。
今、一緒にいるのは、如月絃葉。
彼女とは信号機のある交差点まで横に並んで歩き、そこでまた明日ねと互いに手を振って別れた。
軽くため息をつきながら、悠一は一人で夜道を歩く。
頭の中では、今日一日の出来事が、リプレイされる。
特に、放課後。絃葉と一緒にデパートの喫茶店で過ごした時間が一番楽しかった。
振り返ると、胸元が熱くなる。
「やっぱり、如月さんと一緒の方がいいよな」
そんな決意が、悠一の心にしっかりと根を張っていたのだ。
でも、それと同時に、どこか引っかかる気持ちもある。
如月絃葉と今後付き合っていく前に、幼馴染の渡辺弥生に、今感じている想いを伝えないといけなかった。
弥生には、遅かれ早かれ、告白の返答をしなければならなかったからだ。
そう思い、夜の住宅街を進む。
そんな時、ふと視界に入ったのは、誰かの家の壁近くの道端に設置された自動販売機。オレンジ色の明かりが、夜の闇にポツンと浮かんでいるようだった。
「たまにはジュースでも買ってから帰るか。それと月空詩の分も」
悠一は立ち止まると、どのジュースがいいかと悩み、自販機のボタンや値段を眺める。
コーラ?
麦茶?
それとも、缶コーヒーがいいのか?
でもな、今は夜だし、状況的に別のジュースの方がいいよな。
そんな事を考えながら、悠一は迷っていたのだ。
すると、ふと、近くから不思議な気配を感じ始め、悠一はチラッと横を見やる。
そこには見覚えのあるシルエットが一人。
その存在にハッと気づく悠一。
「や、弥生か?」
「うん……」
小さく声が聞こえ、その子が自販機近くまでやってきた事で姿が明らかになる。
悠一の言う通り、その子は幼馴染の渡辺弥生だった。
「悠一、奇遇だね」
「そうだな。まさか、弥生とここで会うとはね」
「そうだよね。私も、ここで悠一と会うなんて、ちょっとビックリ」
弥生は少々驚きの表情を浮かべつつも、気恥ずかしそうにはにかんでいたのだ。
弥生と悠一の家は比較的近くになる。
だから、こうして偶然に会うことも珍しくないのだ。
でも、急に彼女と対面すると、変に緊張してしまう。
悠一はゴクリと唾を飲み、彼女の様子を伺うのだ。
彼女は無言のまま距離をさらに詰めてくる。
無言の時間を過ごす事も出来ず、悠一の方から話題を振ってみる事にした。
「弥生は、何を買うつもりなんだ?」
悠一は自販機の方へ視線を向けた。
「うん……何かは買うよ」
弥生からあっさりとした返答があった。
「あのね、悠一。この前のこと、決めてくれた?」
その言葉に、悠一の心臓がドクンと跳ねる。
この前の事とは――遊園地で、交わした約束の事だ。
弥生からの告白。
あの時の弥生の目は真剣そのものだった。
悠一は、返答を先延ばししてもらっていたのだ。
まさか、今日、こんな形で出会うとは思っておらず、内心焦るものの、逆に考えれば早く返答するチャンスでもあった。
「……その件なんだけどさ。俺、如月さんと付き合う事にしたんだ」
悠一は緊張しながらも言い切ったのだ。
「そ、そっか……やっぱり、私のこと、恋人としては見れなかったんだ」
「ごめん、弥生。俺はやっぱりさ、今まで通りの関係の方がいいかなって。そういう結論になったんだ」
悠一は胸の奥がチクリと痛むのを感じながらも、精一杯の誠意を込めて伝えた。
弥生の瞳が、電灯の光を反射してキラリと光る。彼女は唇を噛みしめ、言葉を絞り出すように続ける。
「そ、そっか……で、でもね、私。ずっと悠一の事が好きだったんだよ。小学生の頃から。覚えてる? 家族ぐるみでキャンプや旅行に行った事とか、近くに公園で夕方まで一緒に遊んだりしたこと」
「う、うん。覚えてるよ。あの時は楽しかったよな」
「私ね、悠一と一緒にいるだけで嬉しかったの。これからも、ずっと一緒にいられるって信じてたの」
弥生の声は、夜風に溶けそうに儚い。
そんな彼女の姿を見て、悠一は言葉に詰まっていた。
「悠一って、いつも優しかったよね。私が忘れ物をした時、自分の分を貸してくれたり。悩んでいる時も、真剣に聞いてくれたし」
「それは、弥生とは昔からの付き合いだし、普通の事だと思ってたんだけど」
「違うよ。そういう自然な優しさが、私には凄く嬉しかったの」
弥生の言葉は、心の奥に突き刺さる矢のよう。
悠一は思わず目を逸らす。
急に恥ずかしくなってきたからだ。
「逆にさ、悠一は私のこと、どう思ってたの? 本当にただの幼馴染?」
「ま、まあ、そうかな。恋愛ってより、普通に会話している方が楽しかったし。変に告白して関係を壊したくなったしな」
「そっか……でも、私にはそんな優しさ、要らなかったのに、普通に告白してくれたら、すぐに受け入れたのに」
弥生の目から、ポロリと涙が零れた。
悠一の胸が、ギュッと締め付けられる。
けれども、もう決めた事なのだ。
絃葉との未来を選んだわけで、これ以上、自身の気持ちをまげて振り返るわけにはいかない。
悠一は深呼吸をした後、気まずい空気感を強引にも変えようと話題を振る。
「あのさ、弥生も何か買うなら、俺が奢るよ。弥生には色々と迷惑をかけてしまったし……」
「別に、迷惑とかじゃないし。むしろ、そういう風に言われる方が、嫌なんだけど」
「え?」
「私、べ、別にいいよ。悠一が真剣に決めたんでしょ。昔の悠一なら、適当に決めて、簡単にフラれての繰り返しになるかもしれないし。まあ、私がいなくてもちゃんとやれてるみたいだし。べ、別に気にしてないし」
弥生は後悔染みた口調になってはいたが、少しだけ気分が楽になってきたようで、少し明るい顔つきになってきていた。
「悠一、奢ってくれるんでしょ?」
「あ、ああ」
「じゃあ、あのオレンジジュースでお願い」
弥生が指さしているのは、五〇〇mlのペットボトル。悠一は財布から取り出した一五〇円を自販機に投入する。
悠一は取り出し口からペットボトルを掴み、それを彼女に手渡したのだ。
「ありがと、悠一」
弥生の目元はまだ潤んでいたものの、ペットボトルを受け取ると、笑顔を向けてくれたのだ。
悠一は自身の分の缶ジュースと、妹にはペットボトルの炭酸飲料を購入。
「じゃ、行こうか」
「うん」
悠一の問いかけに、彼女は首を縦に動かす。
二人は夜道を歩き始めた。
夜の住宅街は静かで、二人を包み込む空気は少し重い。
でも、自身が抱えていた想いを伝えた事で、悠一の心は軽くなっていたのだった。




