9.男爵家の内情
カタリナの部屋は、確かに広かった。
重厚な暖炉や作り付けのクローゼットは、今どきの屋敷では見ないほど巨大なもの。
元は、館の主の部屋だったのかもしれない。
正餐用のドレスから、クリーム色のシンプルなドレスに着替えたカタリナは、ソファに座っていた。
軽く挨拶して肘掛け椅子に座ると、口元のほくろが妙に色っぽい、黒髪の侍女ゼルダが緋色のハーブティーを注いでくれる。
「ところでサン・フォン。
あなた、男爵家の内情について、なにか聞いてないの?」
カタリナは、学院時代のように家名で呼んできた。
少し、砕けた雰囲気になる。
「さっぱり。ノアルスイユは、聞いているかもしれませんが」
「彼、本当に今夜中に着くのかしら?」
「どうでしょう。道もあまり良くなかったし、月のない夜に無理をするよりどこかで泊まってくれた方がいいんですが。
というか、レディ・カタリナ。あなたこそ、なにかご存知ではないのですか?
なんといっても、オスク男爵家とは親戚じゃないですか」
カタリナは半笑いした。
「祖父はオスクに婿入りした大叔父を忌み嫌っていたし、父も全然交流してないもの。
ああでも、ゼルダが面白いことを聞き込んだのですって。
手伝いに来ていたエーラン子爵家の者が『花嫁のクリスティーヌは亡くなったレオン卿と思い合ってたはずなのに、どうしてクリスティーナ様の婚約者を奪ったんだ』と怒ってたって」
左様でございます、とゼルダが軽く頭を下げた。
「え? ええええええええ!?
でも、今日の晩餐の様子じゃ、クリスティーナとヘクター卿の仲は悪くなかったし、クリスティーナとクリスティーヌも仲いいんですよね?」
「そ。で、わたくし思うのだけれど。
クリスティーヌは、レオン卿の子を懐妊してるんじゃないかしら」
「あああ……!」
サン・フォンは声をあげかけて、隅に控えているアドバンにじろりと睨まれた。
「唯一の男子であるレオン卿が、急に亡くなった。
でも彼の恋人だったクリスティーヌが、卿の子を妊娠しているのがわかった。
男爵みたいなタイプ、家を男系の孫に継がせたいって考えそうじゃない。
でもでも、二人は結婚してなかったから、このままじゃ生まれてきた孫は婚外子ってことになる。
婚外子じゃ、男爵家の跡取りには据えられないわ。
クリスティーヌが子を産んでしまう前に夫を充てがうしかないけれど、そんな役目を引き受けてくれる紳士なんて、そうそう転がってない。
だったら、手っ取り早く花嫁を差し替えて、とにかく嫡出子として産ませ、先々はその子に継がせようってことなんじゃないかしら」
「あー……そういうことなら、ティーナも兄の子の将来のためならやむを得ないと、婚約者の差し替えを飲むかもしれないですね」
クリスティーナとクリスティーヌが面倒で、サン・フォンは思わず略してしまった。
「レオン卿の遺児が産まれたら、間を置いてヘクター卿はクリスティーヌと離婚、改めてクリスティーナと結婚する約束でもしてるんじゃないかしら。
だけど、女の子が産まれたら、わざわざ偽装結婚した意味どこってなるし、仮に男子が産まれたとしても、再婚したヘクター卿とクリスティーナの間に男の子が産まれたら、自分の子を跡取りにしたくなって、めちゃくちゃ揉めてもおかしくない。
『なにがなんでも男系男子脳』って、頭が悪いから先のことを考えられないのよね」
「頭が悪い……」
カタリナお得意の直球表現に、サン・フォンは無の表情になった。
「そういえば、さっきのアレは、」
サン・フォンが気になっていたことを聞こうとした瞬間、どこかから短い叫び声?が聞こえた気がした。
カタリナにも聞こえたようで、え、と顔を見合わせる。
アドバンがさっと動き、ドアを開けて廊下をうかがった。
しかし、しばらく待っても、なにも聞こえない。
首をひねりながら、アドバンが扉を閉じた。
「なんだったのかしら?」
再度、顔を見合わせた瞬間──
ドーン!というか、ガシャーン!というか、かなり大きな物が落ちたような音が、わりと近くで聞こえた。
サン・フォンもカタリナも、びくっとなったくらいだ。
「なななななんの音?」
「大きな家具でも、倒れたんでしょうか。
玄関ホールに甲冑が飾ってありましたから、それが倒れたとか?」
「ああ、あったわね。
吊り具でも切れたのかしら。
でも、甲冑くらいで、あんな大きな音になる?」
泊めてもらっている身で、あまり夜中にうろうろするのはよろしくないが、どうにも気になる。
「一階のようでしたね。私が見てきます」
結局、アドバンが一礼すると、部屋から出た。
続いて、「やっぱりわたくしも行ってみるわ」とカタリナも席を立ち、サン・フォンも慌てて後を追う。
ゼルダも、扉に「封印」魔法をかけてついてきた。
そっと階段を下りると、塔の大扉が開け放たれていた。
その前に、群像のように何人か立ち竦んでいる。
寝間着の上にガウンを引っ掛けてきた秘書のイアン。
執事服のままの老執事ヨーゼフ。
同じく従僕服のままの従僕のマルタン。
ジャケットを脱いで、ジレ姿のヘクター卿。
もう一人、使い古したコック服を着た男。
皆、口を開けて塔の中を見ている。
「なにが起きたのです!?」
その後ろからやって来た、元家庭教師のデルフィーヌも中を見るなり絶句した。
塔の中は、書斎風に設えられていた。
1辺が、7、8mほどのほぼ正方形の部屋だ。
右手には、火が入った大きな暖炉があり、他の壁面は大人の背丈ほどの高さの本棚でほぼ埋まっている。
本棚の上には、魔獣との戦いを描いた巨大なタピストリーが何枚もかけられ、壁の大半を覆っていた。
外側は石壁だが、内側の壁は羽目板張り。
床は寄木細工で、窓はまったくない。
煤で黒ずんだ天井は遠く、二階分ほどの高さがあるようだ。
突き当りの壁の真ん中に、ホールにでも置くような大きな柱時計があるのが目立つ。
柱時計と暖炉の間には、古びたソファも置いてあった。
あとは家具らしい家具はほとんどなく、唯一、部屋の中心にめちゃくちゃ散らかった大きな執務机が据えられていた。
椅子に座った男──オスク男爵は、こちらに背を向け、執務机に突っ伏している。
男爵の身体の上には、直径1.5mほどのシャンデリアが乗っかっていた。
さっきの音は、シャンデリアが落ちたもののようだ。
運悪く、その真下にいたのだろう。
男爵の後頭部は、ザクロのように弾けている。
そして、書斎の左手の隅、一番奥の本棚に背をつけ、ガウン姿のクリスティーナが震えていた。