8.奇妙な晩餐
またまたお通夜展開になるかと思われた晩餐だが、案外盛り上がった。
カタリナがヘクターに、あれやこれやと研究のことを訊いていき、それにヘクターが答えたり、クリスティーナが補足したりで、会話が弾んでいく。
最初、ヘクターはおっかなびっくりだったが、カタリナは会話の名手。
ちょっとしたことを面白おかしく語るのも巧いが、なにより聞き上手なのだ。
カタリナの次兄とヘクターが知人だとわかったこともあり、すぐに三人は魔導銀の精錬手法や残渣の利活用について、サン・フォンにはさっぱりわからないレベルで議論しはじめた。
男爵は、つまらなさそうな顔で、塩気の効いた鴨のローストをがつがつと食べている。
というか、ヘクターとクリスティーナ、まるで夫婦のように息ぴったりだ。
空席を挟んで座っているし、互いに視線を合わせたりはしないが、男女のことに鈍いサン・フォンでも二人が親密な仲であることはわかる。
てっきり、王都で任務の説明をされた時は、ヘクターがクリスティーナを裏切り、義妹のクリスティーヌを妊娠させたから、急遽花嫁の差し替えとなったのだろうと思っていたが、もうこれは絶対に違う。
ならばなぜ、花嫁の差し替えという展開になったのか──
サン・フォンが勝手に混迷を深めているうちに、晩餐は早々に終わり、皆、席を立った。
本来なら、男女で別れて歓談を楽しむところなのだが、クリスティーナはさすがに疲れた様子。
カタリナに早く休んだ方がよいと勧められたこともあって、先に下がる。
ヘクターも、その後を追った。
二人が去ってから、クリスティーナは隣に座った父と一度も言葉を交わさず、視線すら合わせなかったことに、サン・フォンは気がついた。
「カタリナ。お前は酒に強いようだが、オーダージュはどうだ。
飲みたいなら、七十年物を開けてもいいぞ」
「あー……」
オーダージュとは、ぶどう酒を2度蒸留し、長期熟成させた高級酒だ。
七十年物といえば、超高級酒。
貴族であっても、ぱかぱか飲めるものではない。
カタリナは少し迷って、部屋の隅でひっそりと待機しているアドバンの方をちらりと見る。
アドバンが、気に入らぬげに片眉を上げたのを見て、逆に「では、ご相伴させていただきますわ」と頷いた。
正餐室の端には、ガラス扉つきの巨大な食器棚があり、異国の飾り皿などと共に、いかにも古そうな酒瓶が並んでいる。
男爵は、腰につけたチェーンから鍵を取り出して扉を開けると、こちらに背を向け、みずから酒を注いだ。
両手に、口がすぼまったグラスを一つずつ持って戻ると、一つをカタリナに差し出す。
「あら。おじ様。
ヴァランタン卿の分は?」
グラスを受け取りながら、いかにも無邪気にカタリナが訊ねる。
男爵は、少し慌てた。
ヨーゼフやマルタンは片付けで引っ込んでいるし、アドバンには触らせたくないのだろう。
自分のグラスをテーブルに置くと、サン・フォンの分も用意しに行く。
「え」
サン・フォンは声を上げかけ、カタリナが唇の前に人差し指を立ててみせたのを見て、どうにか飲み込んだ。
戻ってきた男爵が、雑にサン・フォンの前にグラスを置く。
男爵の爪は、くすんだピンク色に塗られていた。
貴族の男性は、従者に爪の手入れをさせ、美しく磨いていることが多いが、色までつけているのは珍しい。
「大輪の黄薔薇のような、美しきカタリナに」
男爵はねっとりした視線をカタリナに注ぎながら、軽くグラスを掲げた。
今日、自分の養女が結婚したし、跡継ぎも正式に決めたのに、そっちじゃないんだ、とサン・フォンは驚いた。
というか、こういう大事な酒は、家族で祝いとして飲むべきではないだろうか。
しかし、酒は美味かった。
桃を思わせる甘い香りがまず来るのだが、鼻へ抜ける瞬間、そこにヘーゼルナッツを思わせる香ばしい香りも加わる。
そして、年月だけが生み出すことができる、甘味酸味苦みが複雑に絡まりあった味わいが、口から喉へと響きあっていく。
美しい迷宮のような酒だ、とサン・フォンは思った。
気を抜いたら、魂がふわふわっと身体から離れてしまいそうだ。
ほーっと、カタリナが吐息をついた。
「素晴らしいお酒ですわね」
「あ、ああ」
男爵も頷いたが、思っていた味と違っていたのか、微妙に戸惑っているようだ。
いずれにしても、もう一杯と、後ねだりをするような酒ではない。
カタリナとサン・フォンは、男爵に礼を言うと、部屋へと引き揚げた。
雨は止んだようだが、外は月のない闇夜。
午後遅くか夕方には着くようにすると言っていたノアルスイユは、今頃どうしているのだろう。
身体は疲れているが、夕方、うとうとしたせいもあるのか、眠くはない。
ぼへーとしていると、控えめにノックの音がした。
「入れ」
扉を開けたのは、仏頂面のアドバンだった。
「失礼いたします。
カタリナ様が、寝る前にハーブティーでもご一緒できないかと」
「え」
いくら幼馴染とはいえ、令嬢の寝室に男が入るとか完全NGだ。
聞いてみると、カタリナの部屋は、寝室とは別に居間もあるという。
アドバンも侍女もいるし、それなら問題なかろうと、サン・フォンは腰を上げた。