7.貴様、誰の許しを得て
「サン・フォン」
気がついたらうとうとしていたサン・フォンは、はっと意識を取り戻した。
もう思い出せない夢の中で、何度か扉を閉める音を聞いたような気がする。
眼の前には、淡いピンクの正餐用ドレスに着替えたカタリナが、大きな扇を片手に立っていた。
どうやら、扇で肩をつつかれたようだ。
原色とか、ぱっきりした色を好むカタリナにしては、やけにおとなしいドレスで、サン・フォンは二度見してしまった。
その視線に気づいたカタリナは、「お祖母様が作らせたドレスなのよ」と仏頂面になる。
「どっちにしても晩餐の時間よ。
エスコート、お願いするわ」
「も、もちろん」
窓の外は、もう暗い。
慌てて立ち上がったサン・フォンは、ジャケットを整え、肘を差し出した。
カタリナが、するりと寄ってきて肘に掴まる。
いかにもカタリナらしい、華やかな香りがふわりと立った。
独身男にはこの香りは毒だろうなと、しっかり者の妻の尻に自分から敷かれにいっているサン・フォンは思った。
正餐室は、左の棟の一番奥だった。
玄関ホールよりは明るい雰囲気の部屋で、中央に置かれている長テーブルの端に、6人分の用意がされている。
すぐに男爵、クリスティーナ、そして花婿のヘクターも来た。
「お嬢様、ヴァランタン卿。こちらにどうぞ」
サーヴするのは、さっきの老執事ヨーゼフと従僕マルタンのようだが、なんでかカタリナの執事アドバンが仕切る。
流れるように、カタリナは主人が座る端の席から一つ空けた席に着席、空席はサン・フォンが埋めることになった。
あ?と男爵が間の抜けた声をもらす。
カタリナを侍らせてにちゃにちゃするつもりが、ゴツい騎士を盾にされて気に入らないようだ。
「貴様、誰の許しを得てここにいる!?」
男爵は、アドバンを怒鳴りつけた。
「許しもなにも。
サン・ラザール公爵閣下の御名代であるカタリナ様に、お仕えするのが私の義務であり誇りですので」
淡い金髪をうなじでくくった執事は、優雅に頭を下げた。
優雅なのだが、下がる気配は1ミリもない。
アドバンは、背はそれほど高くないが、身体に厚みがあり、肩幅もある。
耳が奇妙なかたちに変形しているのは、寝技のある格闘技を相当やっている証。
男爵、ヘクター、ヨーゼフ、マルタンが一気にかかっても、秒で全員無力化しそうだ。
こちらは男爵家、あちらは公爵家とはいえ、なんで他家の執事に仕切られてるのかと、男爵家側はあっけにとられているが、カタリナは勝手に座ったまますましている。
マナー違反もはなはだしいが、ぶつくさ言いつつ男爵は主人の席に座り、カタリナ達の向かいには、紺色のドレスに着替えたクリスティーナとヘクターが間を空けて恐る恐る座った。
「お邪魔いたします。
クリスティーヌ様は、ご体調が思わしくなく、失礼するとのことです」
地味な青灰色のドレスを着た、30過ぎくらいの、ガリガリに痩せた女性が扉口にやって来て、それだけ告げるとお辞儀をして下がっていった。
花嫁は晩餐も欠席、ということらしい。
しかし、今の女性、家政長にしては若すぎるし、侍女にも見えなかった。
どういう立場なのだろう。
サン・フォンが彼女が消えた方をぼーっと見ていると、クリスティーナが「デルフィーヌ先生です。もとは家庭教師だったのですけれど、ずっと私達の面倒を見てくださって」と、そっと教えてくれた。
ならば、今は姉妹の相談相手兼、この館の家政長代理というところか。
痩せているのもあるが、表情も声も情味というものがまるで無く、枯れ枝を組み合わせて作った人形のようだとサン・フォンは内心思った。
胸元に飾っていた、エナメルと思しき青緑色のブローチ以外、色というものがまるでなかったような気さえする。
まずは、前菜が運ばれてきた。
カタリナにはアドバンが辛口の発泡ワイン「カーヴァ」を注ぎ、他の者には老執事ヨーゼフが赤ワインを注いで回る。
「おじ様。ヴァランタン卿は、王立騎士団長サン・フォン侯爵の三男。
今は憲兵隊の少尉ですけれど、いずれこの国の諜報を統括する立場になるかもしれません。
この際、誼を通じておかれてはいかがかしら」
カタリナは、軽くグラスを掲げると、艶麗に微笑みながらすいっと干す。
誰かが息を呑む気配がした。
「け、憲兵隊か」
男爵も、あからさまに挙動不審になる。
憲兵隊は、本来は騎士団内部の捜査機関だが、貴族が絡む犯罪も扱う。
なにか後ろ暗いことでもあるのだろうか。
というか、さっきの先代子爵夫人の口ぶりでは、叩けば普通にホコリまみれで酷いことになりそうではある。
今の法律では、領主だからといって、領民にしたい放題して許されるわけでは決してない。
もっとも、領主やその一族が加害者の場合、裁判を起こすのに十分な証拠や証人を揃えるのが難しいことも多いが。
「レディ・カタリナ。勝手な噂を立てないでください!
俺みたいな脳味噌まで筋肉が詰まってる男が、諜報なんてできるわけがないじゃないですか」
「あら。それは謙遜というより卑下だわ。
あなた、地頭はいいんだし。
それに、うちの父みたいに見るからに腹黒なタイプより、何も考えてなさそうな者が諜報機関を率いる方が、バレにくくていいんじゃない?」
「何も考えてなさそう……
いや、否定はしませんが! できませんが!」
実は、騎士団の事務方を務めつつ、王家直轄の謎機関でなにかしているっぽい大叔父からも、そうほのめかされたことがある。
サン・フォンは、ぐぬぬとなるしかなかった。