6.魔性の男爵令嬢
カーラといえば、婚約者がいた王太子と恋に落ち、その結果、婚約破棄からの王太子急死という悲劇を招いた「魔性の男爵令嬢」だ。
事件から半世紀経っても、「例のピンク髪」で通じるほど、その悪名は今も生きている。
てっきり、家族に甘やかされた、我儘で自己中心的な女性だったのだろうとばかり思っていたが、この絵では、むしろ家族から疎外された孤独な少女だ。
では、大人になったカーラはどうなったのだろう。
サン・フォンは先代夫妻の肖像画を探したが、見当たらない。
さんざん探して、階段のそばの目立たないところに、当代の肖像画と並べてかけてあるのをようやく見つけた。
見た瞬間、サン・フォンは軽く息を引いた。
寝椅子に浅くかけたカーラがまとっているのは、薄墨色の慎ましやかなドレス。
まるで喪服だ。
アクセサリーはつけず、化粧っ気もない。
泣き腫らしたように目の縁が赤く、喪失に耐えているような表情は未亡人のよう。
寝椅子の後ろに立つ、カタリナの大叔父である先代オスク男爵は、サン・ラザール家特有の整いすぎて酷薄そうにも見える顔立ちだが、疲れ果てた虚ろな目をしている。
そして、カーラそっくりの、幼い男の子が父と逆側に立っている。
カーラと手をつないではいるが、身体は離れていて、心ここにあらずといった風情の母と、遠慮しながら手をつないでいるように見える。
思っていたのと、全然違う。
サン・フォンは当代の肖像画に視線を移して、またまたショックを受けた。
ピンク色の髪が普通にふさふさしている、三十代前半と見える男爵、憂い顔の妻、クリスティーナとすぐにわかる幼い少女はいいとして、母の隣に立ってこちらに笑顔を向けている金髪のレオンが、昔、アルフォンスに見せてもらった、婚約破棄をやらかした王太子の肖像画にどう見ても似ているのだ。
やらかし王太子の弟である、先代国王にも目元がちょっと似ている。
カーラが産んだオスク男爵は、カーラ自身に似すぎていて、結果、誰の子かわからないという悪評をさんざん立てられてしまった。
オスク男爵家が今も社交界で避けられるのは、王太子に婚約破棄をさせ、その死を招いたこと、さらにカーラが──言葉は悪いが、とんでもないあばずれだと思われていたことに尽きる。
だが、レオンを見る限り、早世した王太子の血を引いているとしか思えない。
もちろん、カーラが複数の男性をもてあそんでいて、たまたま王太子の子を産んだということもありえるが、この二枚の肖像画を見る限り、真相は違うところにあるのではないか。
カーラにそっくりな男爵は、どこに行っても、すぐに「例のピンク髪の子」、つまり父親もわからない子だと陰口を叩かれていたはずだ。
これがレオンのように父親によく似ていれば、「非公式ながら王家の血を引く男爵」ということで、敬して遠ざけられることはあっても、露骨に馬鹿にされることは少なかっただろう。
さきほど、先代エーラン子爵夫人があげつらっていた諸々のアウトな行動も、この複雑な状況に起因していたのかもしれない。
男爵は、早世した息子をどう思っていたのだろう。
自分がこの顔であれば、要らぬ苦労をしなくて済んだはずなのに、くらいのことは思ったかもしれない──
なんにしても、王家の闇も、貴族社会の闇も深すぎる。
どんよりしつつ、肖像画の前から離れたサン・フォンは、廊下の向こうに、三十代なかばくらいの従僕を見つけた。
妙に生気のない従僕はマルタンと名乗り、玄関ホールから少し入ったところにあるサロンを教えてくれ、茶もポットで持ってきてくれた。
花のない薔薇の株が雨に打たれているだけの、侘しい裏庭に向けた肘掛け椅子に座り、月遅れの論説雑誌をパラパラする。
遠くで、舞踏室の片付けをしているらしい物音がかすかに聞こえるくらいで、屋敷は静まり返っている。
そういえば、夕食はどうするのだろう。
公爵の名代として来たカタリナがいるのだから、相応の格式の食事になりそうだが、まーた男爵がカタリナにべたべたしようとして揉める予感しかしない。
やっぱり、子爵家の好意に甘えた方が良かったよなぁとため息をついたところで、どこかで扉を閉じる音がした。
方角からして、塔のあたりだ。
誰か塔に出入りしたのだろうかと思いつつ、ページをめくると、カタリナの婚約破棄騒動を批判する匿名コラムが掲載されていた。
家の定めた婚約を令嬢が勝手に破棄するなどと世も末だ的な悲憤慷慨が、いかにも老害しぐさでなかなか笑える。
巻頭には、カタリナに悪事を暴露されたついでに、投資詐欺で逮捕されたフランソワ卿の裁判の速報も載っているのが、また間が悪い。
あの婚約破棄騒動にはサン・フォンもぶったまげたが、あのまま結婚していたら公爵家だって大疑獄に巻き込まれた可能性は十分あったわけで、あれはあれで正解だったのかもしれない。
また、ぱたんと塔の扉を閉める音がした。
このサロンの前の廊下は、塔に通じている。
ドアは半開きのままだ。
塔に出入りした者がこの廊下を通るとは限らないが、もし通りがかったら、ついでに見学させてもらえないだろうか──