4.クリスティーナの奮闘
男爵の長女であり、本来は花嫁となるはずだったクリスティーナは、それでもなんとか場をもたせようと奮闘した。
クリスティーナは赤みがかった栗色の髪の、どこか寂しげな顔立ちの令嬢だ。
瞳と同じ、深い青の耳飾りをつけている。
自分の元婚約者と義妹の結婚式には出席しづらかったのか、神殿では姿を見なかった。
だが、花嫁が披露宴を欠席したので、せめて自分が挨拶せねばと出てきたのだろう。
まだ若いのに、男爵に取り入りたい代官や地主たちを次々に父親にぶつけて、女性たちから遠ざけた手腕はなかなかのものだった。
だが、今度はイアンという男爵の秘書が、謎に色男ぶってあちこちにアピールしている。
黒髪のイアンは、見たところ二十代後半くらいか。
顔立ちは整っている方だが、命知らずにもカタリナに特攻してきて、サン・フォンはびっくりした。
それを見咎めた男爵が、イアンを掴まえて叱りつける。
呂律の回っていない罵声はよく聞き取れなかったが、「お前は用済みだ」とかなんとか言われたイアンは、顔を真っ赤にして出ていった。
もう、めちゃくちゃだ。
あまりの居心地の悪さに、客はもごもご言いながら、一組が帰り、二組が帰りと消えていった。
そして、どんどんあからさまになっていく先代子爵夫人の嫌味にようやく気づいて反論したら、秒で言い負かされた男爵も引っ込んでしまう。
「レディ・カタリナ。本当に、この館に泊まられるのですか?」
これで義理は済んだとばかりに帰り支度をしながら、先代子爵夫人はカタリナに訊いてきた。
「ええ。そのつもりですけれど」
夫人は深々とため息をついた。
「身内の恥を晒すようですが……
愚妹のせいで、ルイジは自分が王位を継ぐはずだったのだと畏れ多くも思い込んでいるのです。
そんな自分が一夜の情をかけるのは、相手にとっては望外の恩寵に違いないと決めつけて、近在の娘を手籠めにしたり、高貴な女性にも隙あらば手を出そうとする始末で。
あの不愉快な秘書も、ルイジが遠縁の郷士の妻に産ませた子。
皆、最低限のつきあいはしますけれど、ここや領都の館には泊まらないし、舞踏会にも出ない。
屋敷に招待することもありません。
わたくし共の屋敷にいらしてくださると、なにかと安心なのですが」
「あらあら」
カタリナは、ネズミを見つけた猫のような不穏な笑みを浮かべる。
サン・フォンは、ぞくっとした。
権力を嵩に女性を傷つけるなど、カタリナがもっとも忌み嫌う行為だ。
「ま。家の者も連れてきていますし、ヴァランタン卿もいますから。
せっかく来たんですから、又従姉妹のクリスティーナともう少し話したくて」
せっかくの申し出を軽く扱われた夫人はイラッと眉を寄せ、「このボーっとした赤毛はあてになるのか?」と書いてあるような顔で、サン・フォンをガン見した。
「さすがはサン・ラザール公爵家のご令嬢、豪胆でいらっしゃる。
わたくしは、警告いたしましたからね。
くれぐれも、ご用心を。
気が変わられましたら、いつでもお越しください」
夫人は皮肉交じりに念を押すと、「男爵家はあなたにかかっているのだから、しっかりしなさい」とクリスティーナにくどくどと言い置いて、帰っていった。
夫人に従って、一族の者だけでなく、給仕や楽士がごっそりと消える。
先代子爵夫人は、実家のために、最低限の体裁を整えようと使用人を大量に連れてきたようだ。
見送りは不要と言われ、泣き笑いのような顔のまま、がらんとした舞踏室に一人佇んでいるクリスティーナの姿は、痛ましかった。
「お嬢様」
つつつと、カタリナの執事アドバンが寄ってきた。
「どうしたの?」
「いつのまにやらお部屋の窓が開いていて、雨が吹き込んで寝床が濡れてしまったとかで。
別の部屋に移ってほしいと、男爵閣下が」
ほーん、とカタリナは片眉を上げた。
「あらあらあらあら。
仕方ないわね。
荷物の移し替え、ゼルダに頼んでおいてちょうだい。
部屋のチェックは、あなたに」
「承りました」
アドバンは、恭しく頭を下げる。
「そうだ。サン・フォンの服をどうにかできないかしら」
言われて、サン・フォンは自分の身体を見下ろした。
雨合羽を着ていたので、上は無事だが、膝から下は結構濡れてしまっている。
水を抜いて拭いたりしたが、ブーツの中もぐちゃぐちゃ。
着替えは、ノアルスイユの馬車に載せたままだ。
「あの、亡くなった兄のものでもよろしければ、お召し替えを」
気を取り直したクリスティーナが、申し出てくれた。
カタリナは「まだ紹介していなかったわね」と、サン・フォンとクリスティーナを引き合わせてくれた。
クリスティーナは「式に書類を間に合わせてくださって、ありがとうございました」と深々と頭を下げ、自分が届けた書類のせいで、花婿を奪われることが確定した令嬢にそんなことをされたサン・フォンはめちゃくちゃ焦った。
あわあわしながら、後からノアルスイユも来ることも伝える。
クリスティーナは男爵家の老執事ヨーゼフを呼んで事情を説明し、サン・フォンは彼に連れられて先に二階へ上がった。
右の棟の二階は、すべて客室。
大小合わせて十数室はあるようだ。
往時は、この館にも頻繁に泊りがけの客があり、支族や周辺の貴族との交流が盛んだったのだろう。