26.命の限り、戦う価値
「マドモワゼル・デルフィーヌ。
あなたが自首したとしましょう。
事が事だから、秘密裁判になると思うけれど……
取調官は、あなたが自分から男爵を誘惑したんじゃないか、愛人だったのに巧くいかなくなって、報復として汚名を着せようとしているんじゃないかって頭から疑ってくる。
あなたの言葉は虚言だという前提で扱われ、あなたの苦しみは半笑いで流される。
取調官だけじゃないわ。
検察官も、裁判官も、獄卒も、みんなそう。
もしかしたら、弁護士だって」
サン・フォンは、否定することができなかった。
カタリナの言う通りだ。
「彼らはみんな男性だし、その多くが、女は男の言いなりになるべきだって無意識に思い込んでいる。
獣欲の犠牲になった者を気の毒に思う人がいても、被害者が加害者の非を訴えたら、『被害者が本当に打撃を受けたのなら、立ち直れないはずだ、だから本当は被害者じゃない』って手のひらを返してくる。
男性だけじゃない。
女性にも、そんな人はたくさんいる。
結局、彼らはこの世界がどうしようもなく不条理だってことから、眼をそむけたいだけ。
そのことで、どれだけ被害を受けた人が傷つくか、想像することもできない。
そんな人達は、うんざりするほどたくさんいるわ」
カタリナは、デルフィーヌの手をとった。
「男爵が生きているのなら、話は別よ。
どんなに過酷でも、命の限り戦う価値はあるかもしれない。
でも男爵は、もう亡くなった。
あなたがボロボロになりながら戦い抜くことができたとしても、生前からクズだと広く知られていた男が、やっぱりクズだったと記録されるだけ。
そしてあなたは縛り首になるか、情状酌量が認められて徒刑三十年になるか二七年になるかってところ。
社会のために訴えるにしても、最初っからルールそのものが全然フェアじゃない。
復讐にしたって、割に合わなさ過ぎるわ。
もう、やりたいことをやって、幸せになることを考えましょうよ。
ほら。さっき、夢も希望もあったって言ってたじゃない。
月並みな言い方だけれど……その夢を果たすのが、一番の復讐になるんじゃないの?」
「夢……」
デルフィーヌは虚ろな声で繰り返すと、泣き笑いのような顔になった。
「……もう、あの頃の夢なんて、思い出せません……」
デルフィーヌは、すすり泣く。
「どうしても思い出せなければ、また見つけましょうよ。
なんだってできるわ。
オスクの姉妹を守り通したあなたなら」
カタリナはいつになく優しく、デルフィーヌを励ました。
「というわけで、ヴァランタン卿。
なんとかしてくれるわよね?」
唐突に振られたサン・フォンは、深々とため息をついた。
寄り添ったままのクリスティーナとヘクター。
クリスティーヌと、彼女に手を貸すイアン。
抜け殻のようになったままのヨーゼフ。
そしてマルタンとオーバン。
涙にくれるデルフィーヌ。
男爵家の者達が、ある者は堂々と、ある者は不安げにサン・フォンを見つめている。
「ああああもう! わかりました!
魔力暴走ってことで、報告書を書きます!
ですが!」
サン・フォンは声を上げると、皆を見回した。
「俺が心配なのは、皆さんに『人を殺す』という道がついてしまったことです。
このまま『なかったこと』にしたら、また法では裁けない非道に出くわした時、あなた方は、今度は迷わず『殺す』という手段を選ぶかもしれない。
俺は、その未来を防がなければならないんです」
燃え盛る屋敷を背景に、こちらをじっと見つめているカタリナに、サン・フォンは真正面から向き合った。
「条件があります。
あなたも、皆も、男爵になにをしたのか供述書を書いて、署名してください。
俺も所見を書いて署名して、秘密の場所に保管しておきます。
将来、あなた方の誰かの周りで殺人の疑いが生じたら、俺はその人の供述書を上に提出する。
それで、いいですか?」
「いいわ。すぐにコテージで書きましょう」
カタリナは即答した。
「お嬢様!?」
アドバンが声を上げる。
カタリナが、みずから鎮静剤を男爵に飲ませたことを認める供述書を残すということは、サン・フォンに弱みを握られるということだ。
「ヴァランタン卿は、高潔な騎士。
よこしまな使い方をすることは、ありえません。
間違って世に出たりしないよう、十分な配慮もしてくれるでしょう。
このわたくし、サン・ラザール公爵家のカタリナが保証します」
カタリナは、圧の強い微笑みをサン・フォンに向けると、男爵家の人々を見渡した。
「……わかりました。
カタリナ様がそうおっしゃるのなら、私も書きます」
クリスティーナが最初に頷き、後の者も続いた。
屋敷はかなりの部分が焼け落ち、黒黒と残った柱の間で、炎は徐々に衰えはじめている。
足元が暗くなってきたので、魔法が使える者は「ライト」と唱えて、灯をつけた。
「ヨーゼフ。ほら立って」
クリスティーヌは、打ちひしがれているヨーゼフの腕を引っ張った。
「私の赤ちゃんには、お父さんがいない。
素敵なおじ様はいるけれど、おじいちゃんもいないのよ」
なにを言われているのかわからない様子で、ヨーゼフは顔を上げた。
「兄様は、子どもの頃、あなたに絵本をよく読んでもらったんだって、懐かしそうに言っていた。
ヨーゼフ。私の赤ちゃんにも楽しい絵本を読んであげて。
ね? いいでしょう?」
ヨーゼフの眼が見開かれる。
「は、はい……もちろんです、ティーヌお嬢様!」
涙を拭いながら、ヨーゼフはよろよろと立ち上がった。
よかった、とクリスティーヌは朗らかに笑い、クリスティーナもほっとした顔になる。
「あ!」
不意に、クリスティーヌが声を上げた。
「あれ? あ。あ。今、赤ちゃんが動いたかも!
なんか、おなかの奥がぴくってしたの!」
一同、えええええと驚いた。
「早く、温かいところでティーヌ様に休んでいただかないと!」
デルフィーヌが慌てる。
「だ、暖炉に火を入れて部屋を温めてまいります!」
さささささとマルタンが足早に先行する。
「温かい飲み物をご用意せねば!」
ゼルダもその後を追った。
結局、皆、コテージに急ぎ、とにかくクリスティーヌを居心地よく休ませようと、てんやわんやの騒ぎとなった。




