20.「まっとうな紳士」
「そうして、5年ほどこの屋敷で穏やかに暮らすことができました。
でも、もともと肺の弱かった奥様は、流行り病で亡くなられてしまって。
亡くなられる間際、どうかクリスティーナ様とクリスティーヌ様を『まっとうな紳士』と結婚させてやってほしいと、私のような者に、すがりつくようにおっしゃいました。
あまりにおいたわしいご様子で……」
母が亡くなった時のことを、思い出したのだろう。
クリスティーヌがすすり泣いた。
「ちょうどその頃、弟は無事学校を出て良い職を得、先の見込みは立ったから家に戻ってこいと言ってくれました。
でも、断りました。
奥様が亡くなられた時、お二人は15歳。
これから、娘盛りを迎える年頃です。
命を賭けてでもお嬢様方をお守りし、大恩ある奥様の願いを叶えるのが、私の最後の務めだと思ったからです」
強い目でデルフィーヌは、言い切った。
「奥様の葬儀が終わった後、閣下は、領都の館へお二人を連れ戻そうとしました。
なんのかんのと理由をつけ、先送りしているうちに、やがて関心を失ったのか、そんな話も来なくなったのは僥倖でした」
さらっとデルフィーヌは言うが、サン・フォンは驚いた。
雇われた立場で、主人の要求をかわし続け、諦めさせるのは並大抵のことではない。
レオンやヨーゼフの援護もあったのかもしれないが、相当巧みに立ち回ったのだろう。
「でも、田舎に引きこもっているだけでは、奥様の願いは果たせません。
『まっとうな紳士』と結婚するには、社交の経験が絶対に必要です。
エーランの別邸で、なにか集まりがある時は、できる限りお二人をお連れしました。
けれど、閣下の悪名、そして先代のスキャンダル。
今のオスクと縁を結びたがる方など、当家と一番つながりが深いエーランにもいらっしゃいませんでした」
それはそうだろう、とサン・フォンは思った。
多くの貴族が、「例のピンク髪」の孫娘と聞いただけで、息子との結婚は許すまい。
「エーランの大奥様は、クリスティーナ様を貴族か、その跡継ぎに嫁がせたいとのご意向でした。
後添いならなんとかなるのではないかと、おっしゃったこともあります。
ですが、家格にこだわれば、他家が結婚を忌避するような、悪癖に染まった者に嫁ぐことになってしまうのではないか。
それは、奥様の思いとは違うのではないか。
そんな風に悩んでいた頃、留学先から帰省されたレオン様が、ヘクター卿をこの屋敷に連れてこられました。
レオン様も妹君たちの行く末を心配され、いずれ叙爵される見込みが十分あり、人柄も立派なヘクター卿ならどうだろうと引き合わされたのです」
「え。あれは見合いだったのですか?」
ここでヘクターが驚いて声をあげた。
「……私は、最初からお見合いだと思っておりました」
クリスティーナが、頬を染めながらそっと言う。
場に合わない、甘酸っぱい空気が流れた。
「ええと……そのくらい鈍い紳士の方が、逆に巧くいくことってあるわよね。
……で、それで?」
困惑しながら、カタリナが続きを促す。
「ヘクター卿はクリスティーナ様に跪かれ、ご婚約となりました。
閣下は、クリスティーナ様を嫁がせるなら、もっと地位のある者でないとと渋りましたが、レオン様がそれなら、相応の持参金を持たせなければならないと指摘してくださり、なんとかなりました。
家格がどうこう、高貴な血がどうこう、もっともらしいことを言いながら、閣下はお金のことしか見ていなかったのです」
デルフィーヌは、吐き捨てるように言った。
「エーランの大奥様も、最初は反対されましたが、レオン様がヘクター卿の将来性を熱く説かれ、ご納得いただけました。
そして、婚約の準備、結婚の準備で、レオン様はこの屋敷にしばしばいらっしゃるようになり、いつしかクリスティーヌ様と思い合うようになられて」
「私は、子どもの頃からお兄様が大好きだったから……
やっと、思いが通じた時は、本当に嬉しかった」
クリスティーヌが、そっと自分のおなかに手を置いて呟く。
そうだったわね、とクリスティーナが微笑みかけた。
「……やっと、ゴールが見えてきた、と思いました。
ただ、1つ懸念がありました。
レオン様は閣下としばしばぶつかられるようになり、閣下は、男爵家の援助で商学校を出て、王都で商会勤めをしていたイアンさんを呼び寄せたのです。
イアンさんには、一応魔力もある。
レオン様への牽制であることは、明らかでした」
「お。やっと俺がでてきた。
てか、一応ってなんだよ。
そりゃ、魔導卿を名乗れるような魔力じゃないけどさ」
イアンが、減らず口を叩く。
先代エーラン子爵夫人は、イアンは男爵家の遠縁にあたる郷士の息子だと言っていた。
つまり、皆、男爵の子だと知っていても、法的には嫡出子だし、男爵家との縁もある。
平民として暮らしていたのだから魔力は弱いのだろうが、それでも属性魔法をぎりぎり発動させることができるのなら、男爵家の養子として迎えることはできなくもない。
「私は、閣下を殺すつもりで準備していました。
本当は、あの日から、ずっとずっと殺してやりたかったんです。
けれど、閣下が、レオン様にやりこめられた腹いせにイアンさんを嗣子とする遺言状を書いていたりしたら、大変なことになる。
レオン様が正式な嗣子と決まったら、ただちに、と時を窺っていました。
ですが、半年前、急に閣下がいらして、クリスティーヌ様を他家へ嫁がせると言い出し、レオン様と争ったあげく、レオン様を廃嫡し、クリスティーヌ様を娼館に売るなど飛んでもないことをおっしゃいました。
もう、タイミングなんて言っていられない。
今夜、閣下を殺してしまうしかない」
デルフィーヌは、強いて口角を上げてみせた。
「私は、閣下が夕食を召し上がっている隙に、寝酒用のウイスキーに青酸カリを入れました。
深夜、レオン様とクリスティーヌ様が屋敷にいないことに気づいた閣下が、護衛を連れて飛び出していった後、閣下の寝室を覗くと、割れたウイスキーの瓶が転がっていました。
寝室に入っても怒りが収まらなかった閣下は、ウイスキーの瓶を壁に投げつけたのでしょう。
きっと、その勢いでレオン様の寝室に押しかけ、レオン様とクリスティーヌ様が駆け落ちしていることに気づいたのです。
あのウイスキーを、一口でも二口でも飲んでくれたら、レオン様は……」
デルフィーヌは、そこで絶句した。
ぽろぽろっと、その瞳から新たな涙が溢れる。
「あの時、刺すとか、斬るとか、殴り殺すとか、とにかく直接手にかけてしまえばよかった。
でも、私は閣下の近くに行くと、身体が自由に動かなくなり、息もほとんどできなくなってしまう。
こんなことでは、到底直接殺すことはできません。
私には、毒しか手段がないのです」
デルフィーヌは、歪んだ笑みを浮かべて自嘲する。
「その後、こじれたことになってしまいましたが……ようやく、今日、ヘクター卿が次代オスク男爵と定まりました。
今夜こそ、私は閣下を仕留めたかった。
なのにまた、しくじってしまったのですね」
彼女は顔を上げると、アドバンとヘクターに問うた。




