17.たったそれっぽっち
「お、お暇って……
まさか、あなた……」
クリスティーナが、絶句した。
ヘクターも、固まっている。
平民による貴族殺しは、火あぶりによる死刑が基本だ。
それを覚悟の上で、ヨーゼフは長年仕えた男爵に毒を盛ったということか。
いやいやいやいや、それはダメだ、とサン・フォンは首を横に振った。
ヨーゼフが、亡きレオンを思って涙ぐんでいた様子を思い出す。
慈しみながら成長を見守ってきたレオンが殺され、男爵家の未来を断たれたとヨーゼフは絶望したのだろう。
その果てが火あぶりは、辛すぎる。
皆、言葉を失っていた。
「……じゃあ、砒素と鉛もあなたなの?」
さすがのカタリナも、そっと訊ねる。
「い、いえ。そちらには、心当たりがなく……」
ヨーゼフがへどもどしていると、「砒素は、俺です」と料理人のオーバンが、やけに軽く片手を上げた。
「もう、4、5年ばかり前か。
領都の屋敷の、中庭の隅で休憩してたら、男爵様に空き部屋に引きずり込まれる小間使を窓越しに見ちまったんでさ。
小間使は、まだほんの小娘でね。
俺に気づいて、助けてって顔で、必死にこっちを見てた。
こんな言い方は良くないってのはわかってるが、自分が屠られるのを分かってて、引きずられていく家畜のような眼だった」
「は!? なによそれ!?」
キレかけたカタリナに、オーバンは片手を上げ、続きを聞け、とばかりに制した。
「俺は、なんにもしなかった。
俺みたいな、たかが料理人が、男爵様を止められるはずがねえ。
間に入ったって、一方的にボコられて、首になるだけだ」
皆、黙り込んでいる。
カタリナもだ。
「それまでだって、小間使や下働きが急に暗い顔になって辞めたりしたことは何度もあった。
小遣い目当てで、『男爵様のご寵愛』を受け入れる娘もいたけどね。
そういう娘は、急に悪い顔になって、ろくに仕事しなくなるんで、尻軽女って陰口を叩かれていたもんだ。
どっちにしたって、おかしな話だ。
本邸は、変に暗くて、ギスギスしていて、男も女もどんどん辞めるし、新しく入った者もなかなか居着かない。
だけど、俺ら古くからいる者は『また男爵様が悪い癖を出した』って、流してた。
あの娘が家畜なら、俺らだってみんな家畜なんですよ。
で、家畜のてっぺんに、けだものがのさばってやがる。
あの娘の眼を見た時、俺はようやっと、そのことに気づいたんです。
もう無理だ、とっとと死んじまえって、心の底から思ってしまった」
すんません、とオーバンは、「けだもの」の娘であるクリスティーナに頭を下げた。
クリスティーナは、震えながら眼を伏せる。
「男爵様は、たまに夜食にオニオングラタンスープを作れって言ってくる。
亡くなったカーラ大奥様が野菜が苦手な男爵様のためによく作らせたとかで、作ってたのは料理人だけど、おふくろの味ってことなんですかね。
そのスープは、男爵様しか召し上がらない。
俺も、男爵様にしか作らない。
そのスープに、砒素をほーんの少し入れるようになりやした。
焼串のさきっちょで、砒素を詰めた小瓶をちょんちょんして、そのまま焼串でスープをかき回すだけです。
すぐにめっかって、火あぶりになるのはこっちもごめんなんでね」
オーバンは、困り果てたような笑みを浮かべた。
「だからまあ、男爵様が砒素で亡くなったのなら、それは俺が殺したってことです」
投げ出すように言うと、オーバンは後ろに下がって壁にもたれた。
サン・フォンは、改めて男爵の無惨な遺体を見下ろした。
彼が傷つけたのは、犠牲となった女性たちの尊厳だけではない。
直接被害に遭わなくとも、男爵家に仕える者達の尊厳もまた、歯止めのない男爵の悪行によって徐々に徐々に腐蝕されていたのだ。
「……わ、私が。
私が、もっと強く旦那様をお諌めしていれば」
ヨーゼフが、震えながら深々とうなだれた。
執事は、使用人の統括を行う立場だ。
改めて、責任を痛感しているのだろう。
「爺さん、それは無理だって。
アンタに言われたくらいで止めるような人間だったら、そもそもこんなことしやしないだろ」
イアンが雑にフォローする。
深々と、マルタンがため息をついた。
半歩、前に進み出て胸を張る。
「さきほど、レディ・カタリナがおっしゃったように、鉛は私です。
3年ほど前、封を開けていない古い白粉を詰めた箱が物置から出てきました。
鉛白の製造が禁じられる直前に、誰かが買い込んだのでしょう。
肌を美しく見せるので、身体に悪いと言われても、使いたがる者はいましたから。
それを、旦那様のタルカムパウダーに混ぜました。
最初は、少しだけ。
今は、ほぼその白粉です」
カタリナも、ため息をついた。
「やっぱり。念の為聞くけれど、なぜそんなことを?」
「つまらない話です。
昔、田舎から出てきた、下働きの女の子がいて、少し話すようになりました。
だけど、その子は……」
マルタンは、首を横に振った。
「結局、半年分の給金をヨーゼフさんに貰って、地元へ帰っていきました。
慰労金が出るほど長く勤めてなかったんですが、ヨーゼフさんは、そういう子には多め多めに出してたので」
「たったそれっぽち?
下働きの給金で半年分なんて、埋め合わせにもなんにも、ならないじゃないの!」
カタリナが、吐き捨てるように言った。
さっきのオーダージュなら、3杯分になるかどうかというところだ。
うなだれたヨーゼフが、ますます身を縮める。




